ちょい遠目の狛犬さん 65
2015.12.14.所用により野辺山へ。
その際、所用の前後に狛犬さん詣でを決行。
小淵沢IC周辺の大小4社を巡るも、狛犬さん不在社のみ。甲斐小泉の六所神社にてやっと出会う。
所用を済ませて佐久街道を南下。3社巡るもまたもや不在社でした。あっちへふらふら・こっちへふらふらとしつつ高根町の金刀比羅神社(神来戸神社) へ。
その後、すぐお隣のこちらへ。レポ第3弾です。
・神明神社 (丸戸神社)
(北杜市高根町箕輪新町715)
・祭 神
天照大神 (あまてらすおおみかみ)
日本の神様の中で最高神の地位を占める神
太陽の神であり、高天原の主祭神
天岩戸隠れで有名な女神様とか?
・由 緒など
創立は天正二年(1574)箕輪新町発生のとき、現在地(神明神社)南約千メートルに位置する熱那と称する山の古社、熱那神明大神宮を遷し社殿を建立、村民の産土神として勧請する。
社地は集落の東北に位置する丸戸山と呼ぶ岡に在るので村民は、丸戸神社ともいう。 社中には、末社拾壱社がある。 神社庁資料より
前回ご紹介の金刀比羅神社(神来戸神社) に隣接したこちらは、古墳墓の様な小高い丘の上に在りました。
社号標、やや不明瞭なれど安永三年(1775)◎処月初同歳◎◎と彫られた常夜燈や昭和九年十月十六日「皇太子殿下御降誕記念」と彫られた手水鉢がお出迎え。
両部鳥居を潜り更に参道を進むと、石段の途中に常夜燈が1対。向かって右が天明八歳(1788)九月、左が天明六歳(1786)九月の彫り。
そして、随神門へ。
どなたが祀られているのでしょうか?
石段を登り切ると常夜燈と狛犬さんに「こんにちは!」。
そして拝殿へ。
お社の右手には、舞殿も。
先ずは、石段の際の常夜燈からご案内。
安永六歳(1777)麦月とありました。
では、主題の狛犬さんのご紹介です。
直ぐ上の写真左奥に台座が見えていますが、昭和四十年(1965)十二月吉日生まれでした。
拝殿の左手奥に丸戸神社でしょうか?
九の乁の途中に丶が。読むことが出来ません。
扁額に東照宮の文字が。
お社前に1対の常夜燈が。
右手のは、天明五年(1785)と読める彫りが。
ただ、左手のは年代が少し違うかも知れませんね。
お社の左奥に3基の石祠などが。
お社の右奥にも3基の石祠が。
その石祠の前に、1基の常夜燈が。
天明八年(1788)立夏吉日の彫りが。
これで概ねご紹介は、お終いとなります。
おまけ。
東照宮の扁額があるくらいなので、徳川家との関わりが深かった様ですね。
狛犬さんとの出会いは、やっと3社目でしたがとっても雰囲気の良い神明神社でした。
創建450年以上の重さ・趣きなのでしょうか?
氏子の皆様のご苦労のたまものなのでしょうね。
時間的な面があり、あと何社巡ることが出来ますか?
とにかく佐久甲州街道を南下続行、須玉町へ!
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・ちょい遠目の狛犬さん その64は、 こちらです。
・ちょい遠目の狛犬さん その66は、 こちらです。
では、また。
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