ちょい遠目の狛犬さん その61
2015.11.26.所用の折りにお参りでした。
須玉IC近くの県道141号線沿いに在り、周囲に田園が広がる地域の一角でした。
毎年6月中旬には、この神社を中心とした「ホタル祭り」が開催されているようです。
・柳原神社 (韮崎市中田町小田川1259)
・祭 神
天照大神 (あまてらすおおみかみ)
日本神話に登場する神。伊邪那岐命と伊邪那美命の子。とか
崇徳天皇 (すとくてんのう)
第75代天皇。怨霊となったことで有名。とか
罔象女神 (みずはのめのみこと)
代表的な水の女神。水を司る神・雨乞いの神。とか
・由 緒
創建年月は不明なるも、慶長年間(1596~1615)の勧請と思われる。古社地は現在地よりも半町東に在ったが、文化年中(1804~1818)に塩川反乱のため社殿流失。現在地に遷座した。
甲斐国史には神明宮とあり、藤井庄の渠口故に水神を合祀した。
近世、金比羅神を配祀し柳原三社と呼ばれ、後に柳原神社なった。
古くから藤井平小田川の金刀比羅さんと称し、近郷の方々に厚く信仰されていたそうです。社頭案内より抜粋加筆
広めの駐車場から境内へ。
大きな公孫樹出迎えてくれ、参道が黄色に。多くの葉や銀杏を落としていました。
参道入り口の左手には、石祠が三社と道しるべが。
石祠には、文化元年や弘化三年十二月の彫りも。
更にその左手奥に、古い馬頭観音像や明治以降の馬頭観音碑が祀られていました。安政と読める観音像も。
小さな太鼓橋を渡ると石灯籠、そして正面にお社が。
参道を進むと、左手にお地蔵様が祀られていました。
更に進むと鳥居の手前には、目的の狛犬さんが。
しか~し、やっぱりお参りからですよね。
拝殿の手前には、三対の石灯籠。
手前が大正年代。中が文久三年(1863)花月、拝殿側が文化十二年(1815)正月と読めました。
拝殿側二対の石灯籠の柱の部分には、和歌と思われる文字も刻まれていました。
その二対の灯篭の間(両側とも)にかなり年代物の手水鉢が。拝殿に向かって左側は、文化乙亥秋八月とありましたので、文化十二年(1815)八月奉納と思われます。拝殿側の石灯籠と同じ年ですね。右手の手水鉢は判読できず。
石灯籠を過ぎ、拝殿へ。
拝殿内には、神社ではお馴染みの○金マークが。
拝殿前には舞殿があり、本殿裏には多くの石祠や石碑が集められていました。
金刀比羅大神の碑も。(倒れそうな感じでしたが)
では、主目的の狛犬さんのご紹介です。
年令は、残念ながら不明でした。
何とも人懐っこい感じで人間味も醸し出している様な?
身体の巻き毛や尻尾の形が面白いですね。
狛犬さんの写真が多くなってしまいました。
頭に角や宝珠も載せている狛犬さんは久しぶり。
何とも親近感が湧く表情だったもので。
ほっこりとした心のまま、もう少し狛犬探索を継続。
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・ちょい遠目の狛犬さん その60は、こちらです。
・ちょい遠目の狛犬さん その62は、こちらです。
では、また。
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