ご近所の狛犬さん その79

鎌倉市編、2016年分の第7弾です。
鎌倉市編は一応最終となります。
高徳院、甘縄神明宮、宇賀福神社 (銭洗弁財天)、八坂大神 、八雲神社、大黒天社(堂?) をお参り後、数社の狛犬さん不在社を訪ねてから大移動。
かなり以前に訪れましたが、狛犬さんを見落とし。
で、再訪でした。![]()
鎌倉街道を鎌倉女子大方面へと進み、砂押橋を右折。
称名寺(今泉不動)方面へ2㌔ほど進んだ左手に。
・白山神社 (鎌倉市今泉3-13-20)
白山神社の境内社・子守神社に狛犬さんが。
先ずは、主たる白山神社からご紹介。
・祭 神
菊理姫之命 (くくりひめのみこと )
平和・家内安全の神、口利き・仲裁→縁結びの神、シャーマンの女神
・由 緒
[白山神社(毘沙門さま)]
もと毘沙門堂と称し、村の鎮守であった。建久二年(1191)源頼朝の建立と伝える。「相模風土記」には頼朝上洛の際、鞍馬寺に詣で、行基が楠樹で作ったと伝える毘沙門像を請得て鎌倉に帰り、此地に勧請すと記されている。その後暫らく荒廃していたが、享禄五年(1532)九月に再建したことが棟札の写しにより明らかである。又、元禄九年(1696)、宝永年中(1704~1711)にも再建があり、安永三年(1774)十月、慶応二年(1866)正月の毘沙門堂屋根葺替えの銘札もある。
末社に弁天社と白山社があったことが「相模風土記」に見える。
明治維新以来白山社と称し村の氏神となる。麓に今泉寺があり、別当寺であった。
明治四十一年無格社、八幡社(今泉字滝の入り)を合併す。 神社庁資料より
車道に面した参道入り口。
石造りの「禅宗 今泉寺」の社号標の右手に木製の「白山神社」の社号柱?がありました。

そして、石段の左横に江戸時代後期の狂歌師酔亀亭天広丸(すいきてい あめの ひろまる)の歌碑が。

少し奥に、こんな石塔が。
中央の石柱には「毘沙門堂」と彫られていました。
(創建から明治維新まで、毘沙門堂と呼ばれていた)

登り切ると、ここに住む守護神と伝えられている大百足(おおむかで)を現した大きなしめ縄がお出迎え。
・子守神社
・祭 神
天之水分神 (あめのみくまりのかみ)
天から降る雨水(天与の水)を分配する神
国之水分神 (くにのみくまりのかみ)
川の水(地与の水)を分配する神
・由 緒
元は水の配分を司る神であるが、祭神名の「みくまり」を「みこもり」と訛って早くから子守神として信仰があった。
豊臣秀吉は、その子・秀頼のために祈り、本居宣長はその父母の祈請により誕生したとして参詣を重ねたことが和歌や菅笠日記によって知られる。
当地では、初宮詣・七五三詣に先立ってこのお社にお参りするのが古くからの慣わしです。 社頭案内板より
境内を石段際の大百足まで戻り、左手へ。


では、柱上の狛犬さんのご紹介です。
平成二十二年(2010)七月吉日生まれ。
銭と子獅子を抱えているので中華風か?何とも表現しにくい形状でした。

割合広い境内のあちらこちらに数多くの石祠が祀られていました。

白山神社の守護虫とされる12組180本の足をつけた大百足(おおむかで)を模した6メートルもの注連縄が作られ奉納される「大注連祭」、一度を見てみたいですね。(毎年1月8日に執り行われるとか。)
源頼朝の創建とも云われる今泉の鎮守・白山神社を再訪して、一応鎌倉市編は終了となります。
後日、”ここにもいるよ!”とご連絡が在ると思います。
お寺さんも未確認ですので、更に再訪を重ねる事となると思いますが・・・。
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧になって下さい。![]()
・ご近所の狛犬さん その78は、こちらです。
・ご近所の狛犬さん その80は、こちらです。
最後までお付き合い、有難うございました。
では、また。![]()
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