越後の狛犬さん その42
2015.10.20.シリーズの第2弾は、旧和島村・現在の長岡市の七面宮 (妙法寺)から南西方面へ1㌔少々の移動でした。
116号線乙茂(おとも)交差点を左折、574号線をクランク風にクロス、すぐに越後線を渡り左手へ。
・宇奈具志神社 (三島郡出雲崎町乙茂762)
・祭 神
天穂日命(あまのほひのみこと)
主祭神、別名:菩比命、天菩比神など多数
菅原の道真の遠祖
健御名方命(たけみなかたのかみ)
合祀神 別名:建御名方刀美神など多数 諏訪神社祭神
大山祗命(おおやまつみのかみ)
合祀神 別名:大山祇神、大山積神など多数
大山祇(大三島)神社の杜伝では山・海兼備の神
・由 緒
もともと赤坂山にあり、その地内で1度移転した後、現在地に移転した。
明治四十一年(1908)に十二社と諏訪社を宇奈具志神社に合祀。
延宝五年(1677)の検地に天神宮、諏訪宮、十二神宮の除地の記載があり、宇奈具志神社は天神宮だったとの説もある。 出雲崎町商工会HPより
先ずは、石の神明鳥居がお出迎えでした。
鳥居を潜りほんの少し参道を進むと、左手に、「大乗妙典」と刻まれた石塔と、「血戦場」と刻まれた戊辰戦争の碑が立っていました。
明治元年(1868)六月二十四日の古戦場だそうです。
碑の裏面には、「東西両軍激戦 屍為山 血為川之池」の漢文が刻まれていました。六月二十四日の激戦で、死体は山となり、血は川となった。という意味合いでしょうか?
この碑は、明治二十九年(1896)建立との事です。
木々に囲まれた参道を更に進むと、宇奈具志(うなぐし)神社の扁額が架かる両部鳥居、その奥正面にはお社が望めました。
では、狛犬さんのご紹介です。
明治三十三年(1900)七月生まれで、今年116歳です。
拝殿の左右に小さな鳥居が在り、それぞれの奥に石祠が祀られていました。合祀された諏訪神と十二社・大山祇神社なのでしょうか?
そして拝殿の右脇では、出雲崎町指定天然記念物の大椎が一段と大きな木陰を作っていました。推定樹齢500年との事です。
明治維新の際には激戦地となってしまったこの地、何とも感慨深い思いが・・・。
出雲崎市に少し入った先の宇奈具志神社を後にして、北西方向の長岡市寺泊方面へと進みました。
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
写真集は、こちらです。どうぞ、ご覧下さい。
・越後の狛犬さん その41は、こちらです。
・越後の狛犬さん その43は、こちらです。
これからも、是非お立ち寄り下さい。
最後までお付き合い、有難うございました。
では、また。
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