ちょい遠目の狛犬さん その59
今回は、熊倉山の帰りにお参りでした。
上野原市井戸から熊倉山南西尾根に入り熊倉山、笹尾根を進み三国山・生藤山でした。スタート地点の大きく立派な軍刀利神社が狛犬さん不在社でして、何とも残念。で、どうしてもこちらへと・・・。
・石(いわ)楯尾神社
(相模原市緑区佐野川3448)
・祭 神
神日本磐余彦命 (かんやまといわれひこのみこと)
別名:神武天皇 初代天皇
石村石楯(いわむらのいわたて)
奈良時代の武人官僚、高座郡の県主
多藤木姫(たふじきひめ)
石村石楯の妻女
・由 緒
第十二代景行天皇の庚戊四十年(110)、日本武尊東征の砌り、持ち来った天磐楯を東国鎮護のため此処に鎮め、神武天皇を祀ったのが始まりである。
石村石楯は、高座郡の県主で当地の住人であった。第四十七代淳仁天皇の天平宝字八年(764)さきの太政大臣藤原恵美押勝反逆の折、貢のため上京中で押勝の首を取り乱を鎮めた功により、高座・大住・鮎川・多摩・都留の五郡を賜ったといわれ、石楯尾神神社の保護者であった。
幣殿・拝殿は、昭和十二年に改築されたものであるが、本殿は室町時代の建築様式をよく伝えており建築史上貴重なものである。本殿棟札には、天保七年(1836年)十一月氏子中・調写浄善石船謹記とある。神楽殿は、弘化二年(1845)に建てられたもので、平常は中央部を通路として使用し、祭礼の折には厚板で覆い、奉納の舞・芝居の舞台として使用できるように工夫されている。
平安時代初期に施行された延喜式〔延喜五年(905)撰進、康保四年(967)施行〕に誌されている相模国の式内社十三社のうち、石楯尾神社は本社ではないかと言われている。 境内案内板より
庚戊四十年・西暦110年、日本武尊が東征の際に持ち帰った巨石・天磐楯(あまのいわたて)を東国鎮護のために祀ったため、御石杜(おいしのもり)とも呼ばれているとか。
杉木立が素晴らしい神社でした。
鳥居の左手に、延喜式内社 石楯尾神社 と彫られた
社号標がありました。
拝殿前には狛犬さんが待ち構えていましたが、先ずはお参りから。
では、年令不明の参道狛犬さんのご紹介です。
なかなか良い表情ですね。
拝殿の右手には、夫婦杉が。
案内板には「くっつきすぎ」の書き込みも。
確かに根元はつながっていましたね。
結構広い境内には多くの境内社が祀られていましたが、社名や祭神名は・・・。
参道を歩いてきた際に通った神門ですが、神門の拝殿側は神楽が出来るような舞台状になっていました。中央部は通常は通路に、必要に応じて神楽殿として使う様ですね。最初は神門と思いましたが。この形は初めて見ました。
結構時間が過ぎてしまい名残惜しいですが、杉木立に囲まれたとっても静かな石楯尾神社(いわたておじんじゃ)ともお別れでした。
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・ちょい遠目の狛犬さん その58は、こちら です。
・ちょい遠目の狛犬さん その60は、こちらです。
ちょい遠目の狛犬さんは、ちょいお休みとなります。
では、また。
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