ちょい遠目の狛犬さん その56

2015.01.13.、最初に狛羊さんの埼玉日高市の聖天院・勝楽寺をお参り。続いて、北東方向200m程の勝楽寺にゆかりの在りますこちらへと移動でした。
・高麗神社 (日高市大宮新堀833)
・祭 神
高麗王若光 (こまのこきしじゃっこう)
高麗郡の郡司、豪族
高句麗王族出身者と言われているとか
猿田彦神 (さるたひこのかみ)
道と境界を守る神(道祖神)、交通安全の神
武内宿禰命 (たけうちのすくねのみこと)
大和朝廷初期国政補佐官・大臣、中央諸豪族の祖、
長寿の神
・由 緒
若光は元正天皇霊亀二年(716)武蔵国に新設された高麗郡の首長として当地に赴任してきました。当時の高麗郡は未開の原野であったといわれ、若光は、駿河(静岡)甲斐(山梨)相模(神奈川)上総・下総(千葉)常陸(茨城)下野(栃木)の各地から移り住んだ高麗人(高句麗人)1799人とともに当地の開拓に当たりました。若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀りました。これが当社創建の経緯です。
高麗神社は、若光の子孫が代々宮司を務め、現宮司は六十代目になります。
高麗郡は明治二十九年(1896)入間郡に合併されましたが、当社はその後も広く崇敬を受けてまいりました。特に浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが当社参拝後相次いで総理大臣となったことから「出世明神」と広く知られるようにもなりました。
日本各地に在ります白鬚神社は、こちらからの分社との事です。 高麗神社HPなどより
大磯町との関わり?
高麗王若光は、高句麗の王族でるといわれている。高句麗が唐と新羅に滅ぼされた時に日本に渡来したといわれる。大和朝廷は現在の神奈川県大磯に上陸させ、こちらに移住させた様です。
一説には、大磯町は亡命した高句麗の人々が上陸を指定された事により高麗寺村と呼ばれた時代もあったとか。
その昔は、高麗山には上社『高麗権現社』があり、下社には『高麗寺』があった様です。
そして現在の神社名は、明治政府の圧力によるのか?高来神社(たかくじんじゃ)となっています。
読み方によっては、「こうらい}とも読めますよね。
儚い抵抗だったのでしょうか?
そんな高来神社のカル2の写真集は、こちら です。
話は、埼玉県日高市・高麗神社に戻ります。![]()
参道の鳥居の右奥・車の後ろに、聖天院・勝楽寺にもありましたトーテムポールみたいな柱がチラリと見えています。将軍標と呼ぶそうです。西武線・高麗駅前にも建てられているとか。

二の鳥居を潜り、参道を更に進みますと、狛犬さんが見えて来ました。

参拝後、昭和十六年(1941)6月生まれの狛犬さんの許へと戻りました。

境内では参拝者の外国語の会話が多く、何となく場違いな感じがした神社でした。
この後、暫し狛犬さん探しとなりました。![]()
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・ちょい遠目の狛犬さん その55は、こちら です。
・ちょい遠目の狛犬さん その57は、こちら です。
狛犬さんレポは、まだまだ続きます。![]()
では、また。![]()
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