ご近所の狛犬さん その68
2015年1月23日分、鎌倉市編の第2弾その6となります。
御霊神社、三嶋神社、熊野神社 、龍口明神社、そして
諏訪仮宮をお参り後、更に200m程南下。
諏訪仮宮とも関わりのありますこちらへ。
海沿いの134号線の海側に在りました。
・小動(こゆるぎ)神社 (鎌倉市腰越2-9-12)
・祭 神
健速須佐之男命 (たけはやすさのおのみこと )
素戔嗚尊・須佐之男命とも表記される
嵐・暴風雨の神、厄除けの神、縁結びの神、安産の守護神
建御名方神 (たけみなかたのかみ)
力持ちの神、武の神、風の神、農耕神、狩猟神
日本武尊 (やまとたけるのみこと )
倭健命とも表記される
難局打開、武運・武徳長久の神
歳徳神 (としがみ)
大年神(おおとしのかみ)、宇迦之御魂神とも表記される
稲作の神、家を守護する祖霊
・由 緒
文治年中(1185)、佐々木盛綱の創建と伝えられる。
吾妻鏡によれば、盛綱は寿永三年十二月(1184)、源範頼の軍に従い平家追討の際、備前の国児島において霊験を得て僅か六騎にて平行盛を追伐し無事鎌倉に凱旋した。
盛綱は神恩報賽のため守護神である父祖伝来の領国、近江の八王子宮を新たに勧請すべくその地をさがしもとめていたが、ある日江ノ島弁財天に参詣の途次、小動山に登り大いにその風光を賞せられ勧請の地と定められた。相模風土記によれば八王子宮縁起をひき、「文治年中佐々木盛綱当山に詣で、老松の辺りに到るに、この松平日風なきに枝葉靡き動く、その妙音琴瑟の如し、天女遊戯の霊木なり。」とあり、この霊地を神域として八王子宮を勧請したのが当社の期限である。
元弘三年五月(1333)、新田義貞は北条氏討伐のため鎌倉攻めの際、当社に戦勝祈願をされ、後に報賽として剣一振に黄金を添えて寄進され社殿が新たに再興された。
八王子宮縁起によれば、新田義貞を中興の祖と称している。
江戸時代、小田原城主大久保忠真公(十一万三千石)は「三神社」の扁額を揮毫し奉納された。三神社とは三柱の祭神を尊称したものである。
明治維新にあたり社名を小動神社と改称し、明治六年十二月、村社に列格された。
明治四十二年、当所字神戸の鎮守であった諏訪社を合祀し、昭和十三年七月、神饌幣帛料供進神社に昇格した。 神社庁資料より
134号線に接して、社号標と一の鳥居がお出迎え。
赤い頬かむりをした狛犬さんもお待ちかね。
なれど、先ずはお参りから。
では、狛犬さんのご紹介。
年令は不明でした。
寒さから身を守るように!と巻いてもらった頬かむりが、何とも良く似合っている様な?
少しまくってしまった狛犬さんの頬かむりを元に戻して
境内を探索。
旧腰越村の鎮守社との事で、割合に広い境内には多くの境内社などが祀られていました。
先ずは、本殿左手の海(わたつみ)神社。
祭神は、綿津見神(わたつみのかみ)・船玉神ともいう。
漁業の神・航海の神
鳥居の内側左手に、こんなカメさんが。
台座には、 「奉納 龍王海神」の文字が。
海の神様は、カメさんなのですね。
乙姫様のお使いかと思って居ました・・・。
一通りお参りを済ませ、境内奥の展望スペースへ。
風もないのにゆれる美しい松「小動の松」がこの岬の頂にあった。という由来からの小動岬。頂きに登りますと、素晴らしい眺めが。
腰越漁港から相模湾の眺め。
もう少し天気が良ければ、アメリカが見えるとか大島が見えるのですが。カル2が子供の頃(ほんの数年前?)大島・三原山が噴火して、小さいながらも軽石が逗子の渚にも流れ着いていたのが思い出されました。
目先を右に転じますと、江の島が。その右手に富士山の裾野が少しだけ。
北条討伐の鎌倉攻めを行った新田義貞は、小動神社に戦勝を祈願した。と伝わる小動神社、移り行くどの様な時を眺めて来たのでしょうか。
お参りを済ませて、東方・極楽寺方面へと更に移動でした。
ご近所の狛犬さんシリーズは、まだまだ続きます。
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧になって下さい。
・ご近所の狛犬さん その67は、こちらです。
・ご近所の狛犬さん その69は、こちらです。
最後までお付き合い、有難うございました。
では、また。
| 固定リンク
「狛犬(ご近所)14」カテゴリの記事
- ご近所の狛犬さん その70(2016.03.30)
- ご近所の狛犬さん その69(2016.02.28)
- ご近所の狛犬さん その68(2016.02.01)
- ご近所の狛犬さん その67(2015.12.29)
- ご近所の狛犬さん その66(2015.11.29)
コメント