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2016年2月

ご近所の狛犬さん その69

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2015年1月23日分、鎌倉市編の第2弾その7となります。
御霊神社三嶋神社熊野神社 龍口明神社
諏訪仮宮、そして小動神社をお参り後、東方向へ。
廃宮なりました白山神社を経て、更に北東方向の江ノ電・極楽寺駅北東方200m程のこちらへ。
折悪しく、境内のお正月飾りの片付けの最中でした。



・熊野新宮 (鎌倉市極楽寺2ー3ー1)

・祭 神
  日本武命  (やまとたけるのみこと)
     日本武尊、倭健命などとも表記される
      難局打開、武運・武徳長久の神

  速玉男命  (はやたまおのみこと)
    熊野速玉男神とも表記される
    唾液の誓約力が速く玉の光のごとき霊力を
         もつ男性=離縁の神

  素戔嗚命  (すさのおのみこと)
    須佐之男命などとも表記される
    嵐・暴風雨の神、厄除けの神、縁結びの神、
    安産の守護神 諏訪大社の主祭神

  建御名方命  (たけみなかたのみこと)
    建御名方神、南方刀美神などとも表記される
    力持ちの神、武の神、風の神、農耕神、狩猟神

  熊野大神  (くまののおおかみ)

・由 緒
 極楽寺の鎮守。
 「忍性菩薩行伏略頌」に文永六年(1269)四月、新宮草創の記述がある。
 建武二年(1335)には、足利直義が土地を寄進。
 昭和三年、村内の八雲神社、諏訪神社が合祀された。     神社庁資料より

 もと新宮社と称し文永六年(1269)忍性菩薩の勧請と伝えられ、鎌倉時代極楽寺全盛の当時より熊野新宮と号し同寺の鎮守として広く神地を有し、厚く幕府の崇敬を受けて栄えた。
昭和三年(1928)に同地区の八雲神社、諏訪神社の両社を合祀し、極楽寺、稲村ガ崎全町の鎮守として年々盛んな祭典を執行し、殖産興業の守護神として多くの進行を集めている。     熊野新宮由緒書きより


建武二年(1335)に、足利直義が土地を寄進した。 と伝わる神社ですが、境内はやや狭い感じでした。その昔はかなりの広さが在ったのでしょうが。

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石段を登り狛犬さんに”こんにちわ!”とご挨拶をして
まずは拝殿へ。

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拝殿脇障子の彫り物。

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少し戻りまして、メインの狛犬さんへ。happy01
昭和三年(1928)十一月吉日生まれで、御大典記念
の彫りも在りました。

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境内の片隅には、庚申塚も祀られていました。
かなり古い感じの不動明王碑や富士浅間大神、大穴牟遅 少名毘古那、白川神社 長崎神社、
国常立尊などの石碑が見受けられました。

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静かな谷戸の小さな神社、という感じでした。
お参りを済ませて、極楽寺町内を東南方向・直線距離150m程の移動でした。
しかし、小山を迂回しますのでかなりの距離で・・・。coldsweats01


ご近所の狛犬さんシリーズは、まだまだ続きます。paper


狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧になって下さい。happy01


・ご近所の狛犬さん その68は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その70は、こちら です。


最後までお付き合い、有難うございました。


では、また。smile

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ちょい遠目の狛犬さん その56

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2015.01.13.、最初に狛羊さんの埼玉日高市の聖天院・勝楽寺をお参り。続いて、北東方向200m程の勝楽寺にゆかりの在りますこちらへと移動でした。



・高麗神社 (日高市大宮新堀833)

・祭 神
  高麗王若光 (こまのこきしじゃっこう)
    高麗郡の郡司、豪族
    高句麗王族出身者と言われているとか

  猿田彦神 (さるたひこのかみ)
    道と境界を守る神(道祖神)、交通安全の神
  武内宿禰命 (たけうちのすくねのみこと)
    大和朝廷初期国政補佐官・大臣、中央諸豪族の祖、
    長寿の神

・由 緒
 若光は元正天皇霊亀二年(716)武蔵国に新設された高麗郡の首長として当地に赴任してきました。当時の高麗郡は未開の原野であったといわれ、若光は、駿河(静岡)甲斐(山梨)相模(神奈川)上総・下総(千葉)常陸(茨城)下野(栃木)の各地から移り住んだ高麗人(高句麗人)1799人とともに当地の開拓に当たりました。若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀りました。これが当社創建の経緯です。
 高麗神社は、若光の子孫が代々宮司を務め、現宮司は六十代目になります。
 高麗郡は明治二十九年(1896)入間郡に合併されましたが、当社はその後も広く崇敬を受けてまいりました。特に浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが当社参拝後相次いで総理大臣となったことから「出世明神」と広く知られるようにもなりました。
 日本各地に在ります白鬚神社は、こちらからの分社との事です。    高麗神社HPなどより

             

大磯町との関わり
 高麗王若光は、高句麗の王族でるといわれている。高句麗が唐と新羅に滅ぼされた時に日本に渡来したといわれる。大和朝廷は現在の神奈川県大磯に上陸させ、こちらに移住させた様です。
 一説には、大磯町は亡命した高句麗の人々が上陸を指定された事により高麗寺村と呼ばれた時代もあったとか。
 その昔は、高麗山には上社『高麗権現社』があり、下社には『高麗寺』があった様です。
そして現在の神社名は、明治政府の圧力によるのか?高来神社(たかくじんじゃ)となっています。
読み方によっては、「こうらい}とも読めますよね。
儚い抵抗だったのでしょうか?
   そんな高来神社のカル2の写真集は、こちら です。


話は、埼玉県日高市・高麗神社に戻ります。coldsweats01
参道の鳥居の右奥・車の後ろに、聖天院・勝楽寺にもありましたトーテムポールみたいな柱がチラリと見えています。将軍標と呼ぶそうです。西武線・高麗駅前にも建てられているとか。

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二の鳥居を潜り、参道を更に進みますと、狛犬さんが見えて来ました。

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でも、お参りからと拝殿へ。coldsweats01

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参拝後、昭和十六年(1941)6月生まれの狛犬さんの許へと戻りました。

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境内の裸木のヤママユが揺れていいました。happy01

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境内では参拝者の外国語の会話が多く、何となく場違いな感じがした神社でした。
この後、暫し狛犬さん探しとなりました。dog


取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。


・ちょい遠目の狛犬さん その55は、こちら です。

・ちょい遠目の狛犬さん その57は、こちら です。


狛犬さんレポは、まだまだ続きます。coldsweats01

では、また。smile

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里に咲く花を楽しみに!2016.02.19.

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出かけた序でに、ロウバイが綺麗だったとかの松田町寄に行って来ました。
は、「やどりき」とは中々読めませんよね。coldsweats01
数年前から、”寄のロウバイ園が綺麗だったよ!”と聞いて居ましたが、少し遅いかな?とも思いながらも初訪問でした。

松田町の寄ロウバイ園のHPは、こちらです。


中津川沿いの運動広場駐車場から鍋割山への道を
6~7分登りますとロウバイ園が在り、未だ若木ですが数多くの木が植えられていました。

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シタンゴ山などを眺めながら坂道を進みますと、

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桜や梅も咲いていました。

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一回りしての帰り道、畑の端には皆さまお馴染みの春のツインズが仲良く可愛く咲いていました。

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訪れるのが遅かったので、残念ながら花弁がやや傷み気味・香りが少なめのロウバイでした。
数年すれば幹も太くなり、綺麗なロウバイのトンネルが出来ていそうです。
そのころに再訪を考えていますが・・・。coldsweats01
こちらでは、サラリと書いておしまいです。

・レポが出来ました。

 ・カルディナレポは、こちらです。
 ・カル2のHPは、こちらです。

是非、一緒にご覧ください。paper


では、また。smile

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ご近所の狛犬さん その68

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2015年1月23日分、鎌倉市編の第2弾その6となります。
御霊神社三嶋神社熊野神社 龍口明神社、そして
諏訪仮宮をお参り後、更に200m程南下。
諏訪仮宮とも関わりのありますこちらへ。
海沿いの134号線の海側に在りました。



・小動(こゆるぎ)神社 (鎌倉市腰越2-9-12)

・祭 神
  健速須佐之男命  (たけはやすさのおのみこと )
    素戔嗚尊・須佐之男命とも表記される
     嵐・暴風雨の神、厄除けの神、縁結びの神、安産の守護神
  建御名方神  (たけみなかたのかみ)
    力持ちの神、武の神、風の神、農耕神、狩猟神
  日本武尊  (やまとたけるのみこと )
     倭健命とも表記される
     難局打開、武運・武徳長久の神
  歳徳神  (としがみ)
    大年神(おおとしのかみ)、宇迦之御魂神とも表記される
    稲作の神、家を守護する祖霊

・由 緒 
 文治年中(1185)、佐々木盛綱の創建と伝えられる。
吾妻鏡によれば、盛綱は寿永三年十二月(1184)、源範頼の軍に従い平家追討の際、備前の国児島において霊験を得て僅か六騎にて平行盛を追伐し無事鎌倉に凱旋した。
 盛綱は神恩報賽のため守護神である父祖伝来の領国、近江の八王子宮を新たに勧請すべくその地をさがしもとめていたが、ある日江ノ島弁財天に参詣の途次、小動山に登り大いにその風光を賞せられ勧請の地と定められた。相模風土記によれば八王子宮縁起をひき、「文治年中佐々木盛綱当山に詣で、老松の辺りに到るに、この松平日風なきに枝葉靡き動く、その妙音琴瑟の如し、天女遊戯の霊木なり。」とあり、この霊地を神域として八王子宮を勧請したのが当社の期限である。
 元弘三年五月(1333)、新田義貞は北条氏討伐のため鎌倉攻めの際、当社に戦勝祈願をされ、後に報賽として剣一振に黄金を添えて寄進され社殿が新たに再興された。
 八王子宮縁起によれば、新田義貞を中興の祖と称している。
 江戸時代、小田原城主大久保忠真公(十一万三千石)は「三神社」の扁額を揮毫し奉納された。三神社とは三柱の祭神を尊称したものである。
 明治維新にあたり社名を小動神社と改称し、明治六年十二月、村社に列格された。
 明治四十二年、当所字神戸の鎮守であった諏訪社を合祀し、昭和十三年七月、神饌幣帛料供進神社に昇格した。 神社庁資料より


134号線に接して、社号標と一の鳥居がお出迎え。

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続いて、石段もお出迎え!coldsweats01

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石段を登り切り、二の鳥居を潜ると右手にお社が。

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赤い頬かむりをした狛犬さんもお待ちかね。dog
なれど、先ずはお参りから。happy01

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では、狛犬さんのご紹介。
年令は不明でした。
寒さから身を守るように!と巻いてもらった頬かむりが、何とも良く似合っている様な?

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少しまくってしまった狛犬さんの頬かむりを元に戻して
境内を探索。happy01
旧腰越村の鎮守社との事で、割合に広い境内には多くの境内社などが祀られていました。

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先ずは、本殿左手の(わたつみ)神社
祭神は、綿津見神(わたつみのかみ)・船玉神ともいう。
       漁業の神・航海の神

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鳥居の内側左手に、こんなカメさんが。
台座には、 「奉納 龍王海神」の文字が。
海の神様は、カメさんなのですね。
乙姫様のお使いかと思って居ました・・・。coldsweats01

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水神社や清流不動、国常立尊や白川神社などの石碑。

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赤白の鳥居が並んで、お社は一体の金比羅宮と稲荷社。

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第六天社。石段奥に小さなお社が。

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一通りお参りを済ませ、境内奥の展望スペースへ。
風もないのにゆれる美しい松「小動の松」がこの岬の頂にあった。という由来からの小動岬。頂きに登りますと、素晴らしい眺めが。
腰越漁港から相模湾の眺め。

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もう少し天気が良ければ、アメリカが見えるとか大島が見えるのですが。カル2が子供の頃(ほんの数年前?bleah大島・三原山が噴火して、小さいながらも軽石が逗子の渚にも流れ着いていたのが思い出されました。
目先を右に転じますと、江の島が。その右手に富士山の裾野が少しだけ。

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北条討伐の鎌倉攻めを行った新田義貞は、小動神社に戦勝を祈願した。と伝わる小動神社、移り行くどの様な時を眺めて来たのでしょうか。
お参りを済ませて、東方・極楽寺方面へと更に移動でした。


ご近所の狛犬さんシリーズは、まだまだ続きます。paper


狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧になって下さい。happy01


・ご近所の狛犬さん その67は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その69は、こちらです。


最後までお付き合い、有難うございました。


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ちょい遠目の狛犬さん その55

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ちょい遠目の狛犬さんは、やっと2015年分に突入。coldsweats01
昨年の1月13日に、モブログにてご紹介しました羊年の初詣。日高市新堀の高麗王廟から始まります。
2015.01.13.埼玉日高市の聖天院・勝楽寺へ。


狭山日高ICを降り、一路高麗川方面へ向かいました。
帰宅後地図を良く眺めますと、埼玉の方が日帰りハイキングを楽しまれる日和田山の東山麓でした。早く出て、少しあるいて来ればよかったな!と反省。
まあ、今年の干支さんではありませんが、反省なら猿でも・・・。かな?bleah



・高句麗若光王廟
  高麗山 聖天院・勝楽寺内(日高市新堀990)


 真言宗智山派寺院の聖天院は、高麗山勝楽寺と号す。当地を開拓して亡くなった高麗王若光の菩提を弔うため、その侍念僧勝楽が天平勝宝三年(751)創建、高麗王若光の守護仏聖天像(歓喜天)を本尊とした。と伝わる。
その後僧秀海が法相宗から真言宗に改めて中興、江戸時代には54ヶ寺の末寺を擁し、15石の朱印状を拝領していた。本尊は、不動明王。

詳しくは、下の写真を拡大してご覧ください。paper

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・高麗王廟 (高麗山勝楽寺内)

先ずは、高麗王若光の没後に僧勝楽やその弟子達により若光の菩提を弔うため751年に建立された。と伝わる高麗王廟から。

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既にご紹介済みですが、廟の前の年令不明の狛羊さんです。
左右ほぼ同型ですが、風化などが理由か?若干の違いがありますので、右側→左側の順序で。

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狛羊さん詣で?を済ませて、勝楽寺へ。
参道からの眺め。

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大きな山門と仁王様。

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案内表示によりますと、かなり広いお寺さんの様子。

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この先の予定がありますので、今回は参拝を省略。
少しだけ境内を拝見させて頂いて、

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    ↑出迎えてくれた?シジュウガラ。

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早春を感じて、お隣の高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)が祭神の高麗神社へと移動でした。


取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。


・ちょい遠目の狛犬さん その54は、こちら です。

・ちょい遠目の狛犬さん その56は、こちら です。


狛犬さんレポは、まだまだ続きます。coldsweats01

では、また。smile

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