ご近所の狛犬さん その58
2015.01.16.分の第2回となります。
初回の厳島神社から鎌倉街道を挟み、北東方向
直線距離700m程の移動でした。
・熊野神社 (鎌倉市大船2033)
・祭 神
日本武尊命 (やまとたけるのみこと)
・由 緒
「相模風土記」に、安永九年(1780)、地頭長山氏勧請す、と見えるのは未社金毘羅社の事である。以下本社のそれを記す。
創立の時詳ならざれども後鳥羽天皇の御宇寿永二年、院宣を下し安房国群房庄を社領に寄進せらる。
後深章天皇の御代建長二年十二月二十九日、社れい社務方に付再び院宣を賜り、後村上天皇の御時貞和二年、三度院宣を下し社領を安堵せしめられしなど、以て皇室の御尊崇如何に深かりしかを知るべし。
又、甘槽土佐守清忠、甘槽備後守清長、甘槽佐渡守清俊などの武将および、長山弥三郎、能勢靱負佐、村上主殿、木原兵三郎、松平肥後守容衆、肥前守領衛などの主名門の諸家、厚い崇敬の誠をつくせり。古来画像を安ぜしを正親町天皇の御代天正七年七月、甘槽佐渡守平朝臣長俊、御座像を再興し奉る。現在の御神体である。
明治六年、村社に列す。 神社庁資料より
「新編相模風土記稿」には天正七年(1579)七月に「甘糟(あまかす)長俊」が束帯姿の木造のご神像を勧請して祀ったと記されています。現存するご神像台座には「長俊」勧請の旨が記されているとのこと。
束帯とは、朝廷の公事に着用する礼服のこと。
甘糟長俊は、上杉氏、玉縄北条氏に仕えた家柄。
一の鳥居からの参道の眺め。
二の鳥居を潜ると、良い塩梅の石段が。
神社には石段が良く似合う!
大正十年(1921)九月の彫りのある礎石?を眺めながら石段を登り切りますと、狛犬さんがお出迎え。
境内のご紹介は後ほど。続きまして、こちらを!
大正三年(1914)六月一日生まれの狛犬さんです。
阿像に子獅子が。
お父さん?の尻尾を噛んで遊んでいました。
狛犬さんレポでして、写真が多くなってしまいます。
では、境内のご案内。
そうそう、こちらのお社にも狛犬さんの飾り瓦が。
では、境内のご案内。
吹き抜けの舞殿です。
右手に小さく狛犬さんの姿も。
本殿を挟んだ向こう側に、
「相模風土記稿」に「安永九年(1780)、地頭長山氏勧請す」と見えるのは、末社金毘羅社」の事である。
と前段に由緒の中にも書きました金刀比羅宮が在ります。
扁額には「琴平宮」とありました。
祭神は、祟徳天皇とか。
金刀比羅宮と本殿の間の奥に、石祠や石塔が。
いつの頃に建立されたのでしょうか?
お参りも済み、狛犬さんともお別れでした。
参道の石段をトントントンと降り、神仏分離まで別当院でした多聞院前へ。
多くの石塔石仏が並べられていました。
石塔・石仏のお参りを済ませ、更に移動でした。
1月16日分の第2弾は、これ位で。
次回は、横浜市栄区の青木神社です。
ヒエ~~~ッ!!!と声が出そうになりました。
ご近所の狛犬さんシリーズは、まだまだ続きます。
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧になって下さい。
ご近所の狛犬さんは、まだまだ続きます。
・ご近所の狛犬さん その57は、こちらです。
・ご近所の狛犬さん その59は、こちらです。
最後までお付き合い、有難うございました。
では、また。
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