ちょい遠目の狛犬さん その48
昨年の1月6日分・東松山市編の第2弾となります。
上岡馬頭観音周辺の神社を訪ねるも不在社ばかり。
位置的には、馬頭観音の南西方向2㌔程のこちらへ。
丘状になっている小高い楢の林に丸太の階段がありましたので、参道かな?と思い登ってみますと、なんと秋葉神社の裏手に出てしまいました。
・秋葉神社 (東松山市大谷553)
・祭神、由緒
祭神は秋葉神社なので、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ;迦具土命)かと思われます。日本書紀では、火産霊神(ほむすびのみこと)と表記されるとか。
総本社:浜松市・秋葉山本宮秋葉神社からの推定ですが、金属精錬の神、土器の神、消防の神、火の神とか。
しかし、当社の祭神・由緒は、共に不明です。
お参りを済ませて、参道を探索。
この石段の下の道は民家に沿って続いて居まして、入り口が少し分かりずらい感じがしました。
では、狛犬さんのご紹介です。
昭和十三年(1938)十月十八日生まれでした。
ややこじんまりとした神社でした。
この後、数社を訪ねるも空振り。
秋葉神社から南東方向15㌔ほどの古凍のこちらへ。
・鷲(おおとり)神社 (松山市古凍499)
・祭神、由緒
祭神は、日本武尊・倭健命(やまとたけるのみこと)と思われます。
由緒は、社伝によると創建は治承二年(1178)十月十四日に鷲宮町の鷲神社から勧請した。
との事ですが、祭神・由緒は共に不明です。
参道入り口の赤い両部鳥居の扁額に
「正一位 鷲宮大明神」とありました。
拝殿内の扁額には「鷲大神」と在りました。
その周囲にはたくさんの絵馬が。
では、狛犬さんのご紹介です。
台座にこんな彫りが在りました。
先ずはご覧ください。
嘉永は読めますが、その下の2文字が・・・。
四の様な?西の様な?文字の次が現在の「乖」ですと、カイ・そむくと読めますよね。閏月が発生している嘉永年間ですからそれらの不満もあるのでしょうか?
そして、幕府の施政に対しての皮肉も?
「拯月」は、救う・助ける月でしょうか?
助けてほしい一心を狛犬さんに託したのでしょうか?
嘉永年間は、嘉永六年二月に関東で地震が。同六月にペリーが黒船で浦賀に来航。嘉永七年には、六月に伊賀で大地震が。そして、十一月には東海と南海地方で大地震・大津波の連続被害が。
そんな幕末の激動混乱期だった様ですね。
そして、とうとう十一月には元号を「安政」と改元したが、年の背も押し迫って江戸で大火が。
そんな混乱の中、この世の安寧を願って建立されたのでしょうか?
想像?空想?は、これ位でお終い。
兎に角、生年月日は解りません。
と言う事で、その狛犬さんです。
まだまだ貼り切れない写真が在りますが、この位で。
少々長くなりましたが、午年の第2弾はこれにて!
東松山市の狛犬さんは続きます。
お楽しみに!
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・ちょい遠目の狛犬さん その47は、こちらです。
・ちょい遠目の狛犬さん その49は、こちらです。
狛犬さんレポは、まだまだ続きますよ~ぉ。
では、また。
| 固定リンク
「狛犬(ちょい遠目?)10」カテゴリの記事
- ちょい遠目の狛犬さん その50(2015.04.27)
- ちょい遠目の狛犬さん その49(2015.03.29)
- ちょい遠目の狛犬さん その48(2015.02.28)
- ちょい遠目の狛犬さん その47(2015.01.24)
- ちょい遠目の狛犬さん その46(2014.12.29)
コメント