ちょい遠目の狛犬さん その44
2013年2月24日。だいぶ暖かくなって来まして、松田町の河津桜が見頃となった由。
では、出かけてみますか。と、友人をご案内。
松田町・西平畑公園の河津桜は、こんな感じでした。
続いて、関本の大雄山最乗寺・道了尊 へ。
相変わらず、杉の古木が。
その途中で、こちらへとお立ち寄り!
・寒田神社 (足柄上郡松田町松田惣領1767)
・祭 神
倭健命 (やまとたけるのみこと)
弟橘比売命 (おとたちばなひめのみこと)
菅原道真 (すがわらみちざね)
誉田別命 (ほむだわけのみこと)
・由 緒
古風土記残本や新編相模風土記稿によると、十六代仁徳天皇三年(315)十一月の創建とあるが、それ以前弥生時代後期には、創建当時の神祭に使われたと云われる欅白木の椀大小一組が宝物として保存されている。
建久四年(1193)源頼朝は松田御亭より年々玄米十石を奉献。寛永三年(1626)には徳川家康より朱印地百五十石を寄進される。
承応三年(1654)酒匂川の氾濫により朱印地社殿等殆どを流失し、慶応四年(1868)に再興され、その本殿は現在も往時のままである。
延長五年(927)に国が作成した「延喜式神名帳」に、相模国十三座の内「足上郡一座小寒田の神社」と明記されています。
古代には、箱根越えの旅人が足柄道の通行の途中、この神社に旅の安全を祈願したと言われ、倭建命が東征の折に立ち寄られたと伝えられています。
祭神は主祭神の倭建命、更に文明四年(1472)に弟橘比売を合祀、大正二年に天神社2柱、昭和三十六年に□子八幡社を合祀しています。 社頭案内などより
「寒田」は「神聖な田」の意味合いとか。境内周辺は田園地帯だったのでしょうが、今は住宅に囲まれていました。近くには酒匂川が流れ、国道246号線(ヤマトタケルが東国を征服する時にたどった道とか)や東名高速も近い。
狛犬さんは獅子山に乗っており、右に3体・左に2体の子獅子を遊ばせている見事な造りでした。
昭和六年(1931)十二月生まれ。
左は勇猛な感じで、お父さんでしょうか?
後からご紹介しますが、いいものをお持ちの様で。
宮司さんの奥様に、お話しを伺う事が出来ました。
「蜘蛛の巣は彫れなかった…」という言葉を残している 石工・武井五郎 氏の作です。
出征され外地で戦死されてしまい、狛犬さんは山北町の八幡神社にも1対造られている。こちらと同じに獅子山に乗り、2頭の子獅子も可愛い。見る事が出来るのは、これらの2対のみ。との事でした。
また、寒田神社には東南アジアからフクロウの仲間のアオバズクが毎春飛来し、子育てをするそうです。
その頃に再訪して、姿を眺めて観たいですね。
もちろん、山北町の八幡神社へもね。
では、右回りで境内の探索へ。
イチイガシ(神奈川県の名木100選)やケヤキの巨木が多くみられました。こちらにアオバズクが営巣するのですね。
本殿脇に、ヤマトタケルが立ち寄った際に腰掛けて休んだ。と言われる腰掛石が。
こちらでも桜を楽しんで、狛犬さん詣ではおしまい。
1700年もの昔の創建時を偲びながら、皆さんがお待ちかねの車へと戻りましたとさ。
ちょい遠目の狛犬さんは、未だ未~だ続きます!
次回は、富士吉田の富士浅間神社の予定です。
乞う、ご期待!なんちゃって。 ←それ程でもないけど!
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・ちょい遠目の狛犬さん その43は、こちらです。
・ちょい遠目の狛犬さん その45は、こちらです。
狛犬さんレポは、まだまだ続きますよ~ぉ。
では、また。
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