ご近所の狛犬さん その49
横浜市戸塚区編、怒涛の第2弾・その4です。
その1はこちら 、その2はこちら、その3はこちらです。
旧東海道を八坂神社から戸塚消防署の少し先へ。
・羽黒神社 (戸塚区戸塚町4142)
・祭 神
稲倉魂命 (うかのみたまのみこと)
日本武尊 (やまとたけるのみこと)
・由 緒
弘治二年(1556)五月富塚郷の住人澤邉河内守信友が、羽黒大権現を勧請した。
信友の子信重は、富塚村が宿駅に定められたことを当社の霊験によるものと感謝し、御伝馬証文下付の日を記念して十一月十七日を祭礼の日と定めた。その後信重は、神沢の頂上に新に社殿を建造して此処に御遷座申し上げた。
社殿は寛永、慶安、寛文年中に修造して神前に湯花託宣を執行す。寛文の改築中に境内の松の根本から金銅十一面観音が出土したという。
宝永年中霊社ことごとく破壊せしを以て、信興が願主となり本社並に拝殿を新造す。
明治十四年(1881)五月台風のため破壊せるを以て、同年八月十七日に裏山の高台より現所に遷し奉る。
明治六年(1873)に十二月村社に列せられ、昭和八年(1933)八月十九日羽黒神社と改称す。 神社庁資料などより
旧東海道の戸塚に宿を開設するにあたって、幕府に強く働きかけた功労者澤邊宗三は、澤邊本陣をも創設していした様です。
旧東海道に面して石垣で囲まれた澤邊本陣跡の標柱や解説板が立っていました。
【旧東海道・澤邊本陣跡】 戸塚区役所版
澤邊本陣は戸塚宿に二つあった本陣のうちの一つです。本陣創設時の当主、澤邊宗三は戸塚宿の開設にあたって幕府に強く働きかけた功労者です。明治天皇の東下の際には行在所になりました。敷地の一角に戸塚宿の鎮守の一つ羽黒神社があります。弘治二年(1556)に澤邊河内守信友が羽黒大権現を勧請したのが始まりと言われています。
【本陣跡】 戸塚観光協会版
戸塚が東海道の宿場になったのは慶長九年(1604年)11月のことであった。澤邊本陣の初祖 澤邊宗三は戸塚宿設置の功労者である。本陣とは公郷、門跡、大名などの宿泊する公の宿のことを云ふ。
本陣跡の裏手には「澤邊」の表札のかかる民家があり、そちらの左手の参道を進みました。
羽黒神社は6本もの銀杏の木に囲まれた神社で、前出の八坂神社と共に戸塚宿の鎮守様です。
ただし、今では駐車場と化している様子。
で、メインの狛犬さんは、昭和十一年(1936)三月生まれでした。良い笑顔?ですね。
お社の右裏手に、石祠が。
祠の前には、かなり古そうな狛犬さんの様な石造物が。
左側はお地蔵様にも見えますが、頭部に螺髪があるので阿弥陀如来でしょうか?三猿を伴う庚申塔で「奉庚申供養所願成就 延宝六戊午年」の彫りがありました。
延宝六年=1678年
右側は六手合掌青面金剛で、元禄五年(壬申)(1692)の彫りも。
若干狭い境内には、享保十六年(1731)十一月の彫りの在る水鉢や天保九年(1838)八月の石灯籠が。
建立年月日など古い年代を眺め過ぎ去った古き時代を偲びつつ、今回は1社のみのご紹介でおしまい。
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧になって下さい。
・ご近所の狛犬さん その48は、こちらです。
・ご近所の狛犬さん その50は、こちらです。
最後までお付き合い、有難うございました。
では、また。
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