ちょい遠目の狛犬さん その40
ちょい遠目の狛犬さんは、やっと昨年分となりました。
2013.01.07.干支の狛蛇さん詣でです。
いろいろと検討。三鷹の井の頭にも狛蛇さんがお住まいとか。しかし、宇賀神(人頭蛇身)は何ともリアル過ぎる感じなので立川市へ。
・矢川弁財天 (立川市羽衣町3-29)
弁才天は琵琶を弾く姿が一般的で、芸能の神様として知られ学問・弁舌・音楽・除災・財宝・至福を与える女神様とも言われ、江戸時代から七福神の一神とされ宝船に乗る姿もみられます。
弁才天は日本神道古来の神である宇賀神(蛇の神様)と習合・一体化し、頭上に老人の頭を、身体は白蛇(人頭蛇身)の姿をしていることもあります。
表記方は弁才天、または弁財天とされています。
一の鳥居を潜りますと、
鳥居の少し奥に、白龍橋が。
左右の欄干の上に、白蛇がお出迎え。
二の鳥居を潜りますと、お目当ての方が。
昭和十八年(1943)五月吉日生まれの狛蛇さん。
とぐろは左右の巻きの違いこそあるものの、両側とも同じ顔形でした。
本殿の左手に、毘沙門天堂が祀られていました。
毘沙門天って、インドで信仰されてきた財宝の神で、仏教では四天王の一人に数えられ、須弥山(しゅみせん)の中腹に住み、夜叉、羅刹を率いて北方守護を司る。との事で、矢川弁財天は、箕輪城の鬼門除けの神社だという説もあるそうです。
『多摩のジョギング道』さんのHPに、こんな伝説が紹介されていました。
「立川のむかし話」によれば、矢川弁財天に関してこんな話が伝わっている。 いつの頃か、矢川弁財天は荒れ放題になっていた。気味悪い雑草が生い茂り、 池の水も暗くよどみ、妖気さえ漂っていた。ある時、立川の修行僧のところ に一人の老人が訪ねてきて、矢川弁財天を清めて世に出して欲しいと言う。 そこで老人の案内で弁財天に行くと、荒れ果てて妖気さえ漂う有様に驚いた。 修行僧はよい日を選んで整地にくると約束した。やがて何日か経って修行僧 はお手伝いを連れてやってきて、雑草を刈り、石を取り除いて整地を始めた。 すると堂守婆さんが飛んできて、「ここは弁天様の棲家じゃ。そんなことし たら後で弁天様の祟りがある。すぐやめれ!」と言った。修行僧は「法要す るから心配はいらない」と婆様を納得させた。その夜修行僧が床につくと、 高い山から谷底へ突き落される夢を見て目を覚ました。しかし体の自由がき きません。必死にもがくうちに大木に捕まることができた。が、何とそれは 大蛇だった。これは弁天様が怒っているのだ。修行僧は悪霊を封じる九字の 印を切ろうとしたが身動きできません。やがて修行僧は心に閃くものがあっ た。弁天様は怒っているのではなく何かを訴えておられる。九字の印ではな く相承の印で霊と和合しなければならない。そこで足を組み、相承の祈りに 入ると、魔性が霧散し体が自由に動くようになった。修行僧が弁天様と和合 できたことで、矢川弁財天は清められた。修行僧は以後3年、矢川弁財天で 法要を営んだという。
本殿の左手に、矢川弁財天初代教主の像も祀られていました。
鱗がしっかりと彫られた、少しだけ愛嬌のある狛蛇さんにお逢い出来て、何とも笑みが零れてしまったカル2でした。
2013年の干支に因んだ、矢川弁財天の狛蛇さん詣では、これにて。
ちょい遠目の狛犬さんは、未だ未~だ続きます!
乞う、ご期待!なんちゃって。
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・ちょい遠目の狛犬さん その39は、こちらです。
・ちょい遠目の狛犬さん その41は、こちらです。
狛犬さんレポは、まだまだ続きますよ~ぉ。
では、また。
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