ご近所の狛犬さん その46
横浜市戸塚区編、怒涛の第2弾の始まりです。
2012.04.16.最初に立ち寄ったのは、前回訪れました大船駅近くの長尾臺御霊(ごりょう)神社で、不足していました写真の追加撮影。(追加分も前回にご紹介をしています)
続いて北西方向・直線距離700mほど移動し、栄区田谷のこちらへ。怒涛の戸塚区編とご紹介しましたが、栄区からでした。
・御霊社(ごりょうしゃ)(横浜市栄区田谷町1506)
・祭 神 鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)
別名:平景政、鎌倉景政など
・由 緒
創立年代は詳かでないが、遠く源義家の家臣として勇猛の聞えの高かった鎌倉権五郎景政公の霊力を慕い、鎌倉幕府の鬼門の方角に当る当田谷郷に其の頃社殿を建立し、以て使臣を遣わし参拝奉賽せしめたものである。
天保五年(1834)に社殿再建の棟札が現存して居り、隣接定泉寺と共に古くより現在の地に鎮座し、田谷町民の崇敬社となっいていた。 神社庁資料より
鎌倉景政
平安時代後期の武将で相模国鎌倉の領主。
後三年の役で右目を射たれながらも奮闘した勇将。
関東平氏五家、鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の一つ
御霊神社前の交差点脇に鳥居が在ります。
この道は案外と通る事がありますが、いっつも狛犬さんに手を振るのみで今まで一度も訪れていませんでした。
狛犬さんが、”やっと来たか?”と言ったとか?
チョイと時間調整後、狛犬さん詣ででした。
大正十二年(1923)四月吉日生まれ。
この年の9月1日に関東大震災が発生したので、きっとビックリしたでしょうね。
文政九年(1826)十一月の彫りのある手水鉢や天照皇大神、日吉神社や甲子神社の石碑が祀られていました。
狛犬さんに”またね!”と話しかけ、南西方向・直線距離200m足らずのこちらへ移動でした。
・五霊(ごれい)神社 (横浜市戸塚区小雀1193)
・祭 神
天照大神(あまてらすおおかみ)
天忍穂耳命(あめのおしほみみみこと)
天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎみこと)
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊
(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
※ 祭神の表記・別称は、多々有りますが省略します。
・由 緒
明徳年間(1390年代)に当地の金竜山燈明寺の開山・円仲省鏡が「一村の五穀豊熟と氏子息災延命」の願意を以て創建した。
明治六年十一月氏子の総意により伊勢大廟の神霊を祀るお伊勢山に社殿を移し、同二十一年改築を加えたが大正十二年の大震災により倒壊した。翌年再建、更に昭和四十四年に至り鉄筋コンクリートにて現在の新社殿が造営された。
燈明寺の正面丘陵上の本社の旧社地は今でも「元五霊」と呼ばれている。 社頭の案内より
神社庁の資料では五霊社とありますが、社号表の表記通りの五霊神社としました。
(拝殿の扁額には、五霊社とありました)
こちらの御利益は、所願成就、商売繁盛、五穀豊穣、夫婦円満、安産祈願だそうです。
石段を登りまして、
お目当ての狛犬さんは、昭和四十四年(1969)九月吉日生まれで、御造営記念の彫りもありました。
狛犬さん近くの参道脇には、天保十一年(1840)九月吉日の彫りのある石灯籠が、
石段の降り口の左右には、天保三年(1832)十二月吉日の彫りのある石灯籠が。
こんな感じで、怒涛の戸塚区編第二弾の始まりです!
お楽しみに!
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧になって下さい。
・ご近所の狛犬さん その45は、こちらです。
・ご近所の狛犬さん その47は、こちらです。
最後までお付き合い、有難うございました。
では、また。
| 固定リンク
「狛犬(ご近所)10」カテゴリの記事
- ご近所の狛犬さん その50(2014.07.28)
- ご近所の狛犬さん その49(2014.06.29)
- ご近所の狛犬さん その48(2014.05.27)
- ご近所の狛犬さん その47(2014.04.30)
- ご近所の狛犬さん その46(2014.03.25)
コメント