ちょい遠目の狛犬さん その37
2012年3月16日に旧両神村へセツブンソウや福寿草の秩父紅を愛でに行きまして、その帰途の探訪でした。
その花レポは、こちらです。
・椋(むく)神社(秩父市下吉田7377)
・祭 神
猿田彦大神(さるたひこおおかみ)
武甕槌神(たけみかづちのかみ)
経津主神(ふつぬしのかみ)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
姫大神〔ひめのおおかみ)
品陀和氣命・誉田別命(ほんだわけのみこと)
別名・応神天皇(おうじんてんのう)
他、十四神が合祀されている。
・由 緒
景行天皇の時代、日本武尊東征の際に矛を杖にして山路を越えてこの吉田町の赤柴まで来ると、矛が光を放って飛んでいった。
日本武尊は不思議に思って光が止まった所まで行ってみると、井の辺のムクの木陰から猿田彦命が現れ道案内をした。という伝説から、日本武尊は持っていた矛を神体として猿田彦命を祀ったことに始まる。
故に現在、井椋様と呼ばれ親しまれているという。
和銅三年(710)に社殿を造営。
平安期の延喜式では式内社列格。
永禄十二年(1569)に秩父神社と同様に武田信玄によって焼失。
天正三年(1576)に鉢形城主北条氏邦によって再建。
寛永四年(1627)に本殿修復。
明治六年(1873)村社、明治十五年に県社列格。
明治十七年に秩父事件勃発。
大正十年(1921)十月神饌幣帛料供進神社指定。
当神社に奉納される「竜勢」と呼ばれるロケット式花火は戦国期の「のろし」の名残だともいわれ、また明治十七年に秩父事件を起こした秩父困民党の集結地となったことで有名である。 神社本庁資料より抜粋・加筆
一の鳥居を潜り、石段を登りますと二の鳥居が在り境内へ。
鳥居脇にて、お待ちかね?
日本武尊命由来の神社のためか、狼の狛犬が鎮座。
明治三十八年(1904)十二月十五日生まれの狛犬さんで、右に吽形でした。
拝殿前には、明治三十七年(1903)九月吉日生まれの狛犬さんが鎮座。
こちらも、右が吽形でしょうか?
広い境内には多数の境内社が在り、特に拝殿の右隣の八幡宮は彫り物がとても見事でした。
先ずは、有名な椋神社の奇祭「龍勢祭」から。
秋祭として毎年10月には龍勢祭で打ち上げられる「農民ロケット」を見に全国より6万人余の人が訪れるとか。
明治17年11月1日に、秩父困民党が集結し、有名な秩父事件の発端になった場所で、境内には困民党決起の碑が建っていました。
これは、後輩の若い人たちがこの地に幾度となく訪れ、学習しています。
その地に、別の形で訪れる事になるとは。
T君は、今も元気に取り組んでいる事でしょう。
で、延喜式神名帳に記載された椋神社は、他に四社あるそうです。
・秩父市蒔田(上蒔田)
・秩父市蒔田(下蒔田)
・秩父郡皆野町皆野
・秩父郡皆野町野巻
機会がありましたら、訪れてみたいものです。
この日の1社目、椋神社のご紹介はこれくらいで。
次回は、長瀞町の宝登山神社を予定しています。
ちょい遠目の狛犬さんは、未だま~だ続きます!
乞う、ご期待!なんちゃって。
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・ちょい遠目の狛犬さん その36は、こちら です。
・ちょい遠目の狛犬さん その38は、こちらです。
狛犬さんレポは、まだまだ続きます。
では、また。
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