ちょい遠目の狛犬さん その34
2012年1月6日訪れましたあきる野市。その第3弾です。
ちょい遠目33でご紹介しました大戸里神社を後にし、南西方向直線距離1キロほどに在ります龍珠院というお寺さんを目標に。
その東隣りのこちらへ。
・新明社 (あきる野市乙津1402)
・祭 神
天照大神(あまてらすおおみかみ)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
素盞嗚命(すさのおのみこと)
・由 緒
創立由緒は不明であるが、古老の口伝によれば神明皇大神と称し、龍珠院の鬼門除けとして建立した。
応安二年(1369)二月の勧請という。
明治二年(1869)に社号を神明社に改めた。
あきる野市神社一覧より
龍珠院の東隣りに在りまして、入り口には何んとこの像が建っていました。
以前には、小学校に多く見られたのですが・・・。
鳥居下の社名標には、御大典記念 大正四年十一月 とありました。
社叢林が鬱蒼と茂る静寂の中の神社は、何となく心が引き締まりますね。
拝殿の両側には、境内社かと思われるお社が合祀されていました。
とっても静かで、心が穏やかになる感じがしました。
気がしただけ!と言うご意見もおありでしょうが。
で、更に西方向へと移動でした。
馬頭刈尾根の入り口を探索しながら、お立ち寄り。
二社不在社が続きましたが、こちらの一社をご紹介。
・貴布袮伊龍神社(檜原村下元郷266)
・祭 神
国常立尊(くにとこたちのみこと)
地上の形を変え、龍の様な地形にして日の本の国土を創ったとか。
猿田彦尊(さるたひこのみこと)
身体的な特徴から太陽神のなれのはてではないか、とする説も。
天手力男尊(あめのたぢからおのみこと)
天の岩屋の戸を開いて大神を連れ出した大力の神。
・由 緒
創立年代などは不詳。
昭和の修復の際に「寛文庚戌(1670)に社殿修造せし」の記述が発見されたそうです。
創建当初の祭神は、国常立尊と不動明王だった。明治の社寺分離令により貴布祢神社になり、明治四十四年に払沢の滝入り口にあった伊龍神社を合祀。
以後、貴布祢伊龍神社となり今に至る。
社頭の拝殿改築記念碑より
こちらも鬱蒼と茂る樹々に囲まれ、秋川支流のせせらぎに癒されながら石段を登りました。
境内の石灯籠に、我が家の遠い親戚風の名前がありましたっけ。
そんな癒しの空間から舗装路へ。
そこには、こんな指導標が在りました。
神社の石段を降りまして、左手へと進みますと泉沢を経て馬頭刈尾根入り口です。
癒された気持ちを大切にしながら、更に西へ。
桧原村役場を右に眺めながら、橘橋のT字路を右折。
ほんの直ぐ先の右手のこちらへ。
・春日神社(檜原村本宿500)
・祭 神
天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
伊奘諾命 (いざなぎのみこと)
伊奘冉命 (いざなみのみこと)
猿田彦命 (さるたひこのみこと)
・由 緒
本宿地区の鎮守。
元応元年(1319)とか元暦元年(1184)の創建という。
創建当初は檜原城の鬼門除けとして高畑に鎮座していたが、宮ノ平を経て貞享四年(1687)頃に現在地へ遷移した。
明治四十二年(1909)上元郷の熊野神社・日枝神社を合祀し、現在に至る。
そして、こちらの神社の御神木。
大欅で、目通り6.2メートル、樹高33メートル。
檜原村指定天然記念物との事です。
こんな案内板が在りました。
1本の様に見えましたが、実際には2本なのでしょうか?
夫婦欅なので、やはり2本なのしょうか?
で、1本だとしたら、檜原城主のお手植えの記念樹?
それとも御神木?
なんて言う、愚かな詮索は忘れましょ!
兎に角、大きくて太~~~い欅でした。
春日神社のお参りを済ませましたが、少し時間が押して来ました。
当初の予定通りに、千束尾根の入り口を見に行かねば!と言う事で更に移動でした。
あきる野市方面の狛犬さん その3は、
これにておしまい。
ちょい遠目の狛犬さんは、未だま~だ続きます!
乞う、ご期待!なんちゃって。
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・ちょい遠目の狛犬さん その33は、こちらです。
・ちょい遠目の狛犬さん その35は、こちらです。
狛犬さんレポは、まだまだ続きます。
では、また。
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