かなり遠目の狛犬さん その8
かなり遠目の狛犬さん・犬山市編その2となります。
前回のその1・犬山成田山編は、こちらです。
で、成田山から見えていました犬山城へと移動。
西方7~800mほどの位置で、結構大きな有料駐車場がありました。(¥500だったかな?)
お城には、狛犬さんが居りませんが少しだけご紹介。
・国宝犬山城(犬山市犬山北古券65-2)
犬山城は豊臣秀吉が生まれた天文6年(1537)、織田信長の叔父である織田信康によって創建された現存する日本最古の木造天守閣。
尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)の国境に位置するため、戦国時代を通じて国盗りの要所となり、城主はめまぐるしく変わった。小牧・長久手の合戦(1584)では、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が12万人の大軍を率いてこの城に入城し、小牧山城に陣取る徳川家康と生涯唯一の直接対決をした。
江戸時代に入ると、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、幕末まで続いたが、明治維新による廃藩置県のためにこの城は愛知県所有となっつた。しかし、明治24年の濃尾地震で半壊し、その修復を条件に城は再び成瀬家の所有となり、平成16年に財団法人に移管するまで日本で唯一、個人所有の城でした。
犬山観光情報HPより。
広い駐車場前の入り口には、こんな大石が。
そして、四季咲き桜でしょうか?ほんの少しだけ咲いていました。![]()
地元の観光案内用のためでしょうか?ビデオ撮りが行われていまして、邪魔にならない様に少し遠慮をしながら拝観。![]()
つい最近まで、こんな立派な天守閣が成瀬家の個人所有だったとは。![]()
入場料¥500にて天守閣へ。
各階には甲冑や刀剣は勿論、葺き替えられた鬼瓦なども展示されていました。
天守最上階からの眺めは良く、木曽川に掛かる犬山頭首ライン大橋(ライン橋)や前段に訪れた成田山も見えていました。
天気が良ければな~ぁ!ですがね。![]()

犬山成田山 ↑
着物姿のモデルさんを眺めながら、周辺を散策。
なかなか格好の良い天守閣ですね。
そして売店の綺麗なお姉さんに、わんまる君のステッカーなんぞを戴きました。![]()
取り合えず、国宝・犬山城の宣伝でした。
犬山城の詳細は、財団法人 犬山城白帝文庫
のHPへどうぞ。
続きまして、お隣の針綱神社へ。
・針綱神社(犬山市犬山北古券65-1)
徒歩にてお隣の神社へ進みますと、先ずこちらから。
境内社ですが最初に現れましたので、その順番で。
・天満宮
・祭神・由緒
天満宮ですので祭神は菅原道真公でしょうが、由緒と共に不明です。
入り口右手に「大宰府天満宮御分霊」の社標がありました。
そして、天満宮と言えば、このお方ですよね。![]()
皆さんが撫ぜるのでしょうか?ピッカピカ。![]()
と言う事で、そのお隣の本命へ。
改めまして、針綱神社のご紹介。![]()
所在地は、こちらが「北古券65-1」で国宝・犬山城が
「北古券65-2」なのだなぁ、と思いながら。
・針綱神社(犬山市犬山北古券65-1)
・祭 神
尾治針名根連命(おわりはりなねむらじのみこと)
玉姫命(たまひめのみこと)
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
菊理姫命(きくりひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
建筒草命(たけづくさのみこと)
建多乎利命(たけたおりのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)
尻調根命(しづきねのみこと)
大荒田命(おほあらたのみこと)
・由 緒
延喜式神明帳所載の式内社で本国貞治本には従一位針綱明神又同元亀本には正一位針綱明神とあり、太古よりこの犬山の峯に鎮座せされ東海鎮護、水産拓殖、五穀 豊饒、厄除、安産、長命の神として古来より神威顕著にして士農工商の崇敬殊に厚く白山大明神と称えられ濃尾の総鎮守でありました。
中興織田信康公市内木の下城を社地に移築せんと御奈良天皇の宣旨を蒙り、天文六年(1537)8月28日市内白山平(お城の東方にあるお山)に遷座し 奉った。爾后69年を経た慶長11年4月8日更に市内名栗町に遷座し奉り、城主成瀬氏代々の祈願所でありました。
明治維新の後同15年9月28日名栗町の座地より天文6年迄座地であった現在地に御遷座になり、戦前は県社とし戦後は宗教法人針綱神社(尾張五社の一つ)として近隣の崇敬を集めています。 犬山観光情報より転載。
下の社頭案内板もご覧下さい。(かなり拡大します)
国宝犬山城の守護神で八方除・安産・厄除の神様。東海鎮護、水産拓殖、五穀豊饒、厄除、安産、長命の神として、濃尾の総鎮守との事です。
※ 言い伝え(狛犬)
天文6年(1537)織田信長公の叔父、織田信康公が自ら木の犬を彫り当神社に安産、延命長寿を祈願した。
その犬はまことに素朴でよい出来とは云えないが大きな陽物をつけているのが特徴である。その犬を模して古くから小さな犬が授与され連綿と今に続いています。
一説には犬は、織田広近公(信康公の4代前)を模して彫ったとも言われています。
広近公は非常に活動力の優れた人間であったと云う。又、犬の特徴にちなみ神社に祈願するとよい殿御にめぐりあえるとか、下半身の病を患わないとか、安産、子授けの守護犬として厳かに授けられたと伝えられています。
天満宮のお参りを済ませて更に少し進みますと、御神馬が。
昭和三十三年(1958)夏生まれのブロンズ製の大きな馬さんも。
拝殿にてお参りを済ませ、これから彼らにご面会。
しか~し、訪れるのが3日程遅かった。訳は、後ほど。
道順としたら逆ですが、拝殿を背に参道の右手・三光稲荷神社への石段手前に第一狛犬さんを発見。
そう、最上部の写真の可愛い子獅子ちゃんが居ました。
で、何んと地震被害防止のためにスチールパイプで囲っている最中でした。
石灯籠や狛犬さんなど危険と思われる物全て保護柵を設置するとの事。
その保護柵は、そのまま永久的に残す。と業者の方のお話。
狛犬写真収集人としては、残念無念。![]()
仕方がありませんので、少しだけご紹介。
明治三十八年(1905)四月生まれの狛犬さん。
三光稲荷神社に向かって右側が、吽狛さんでした。
周囲には境内社や、そり橋なども。
そして、参道入り口の『昭和二年(1927)初老記念』と彫られた狛犬さん。
数日違いで、何んとも残念な結果となりました。![]()
広い境内でして、季節を変えてゆっくりと探索したい思いがあります。
続いて、お隣の三光稲荷神社へ。
上の写真の鳥居と並んで、左手に赤い鳥居が参道入り口でした。
こちらは、参道を正規?の道順で。![]()
・三光稲荷神社(犬山市犬山北古券41-1)
・祭 神
宇迦御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
大宮女大神(おおみやのめのおおかみ)
(天宇受売命)(あめのうずめのみこと)
・由 緒
三光稲荷神社の創建は不詳ですが当時は三狐山(三光山)に鎮座していた。
天文六年(1537)に織田信康が犬山城を築くと境内が犬山城から南西に位置する為、裏鬼門の鎮守として庇護されれ、江戸時代にも歴代犬山城の城主である成瀬家から信仰されていた。
古くから神仏習合し三光寺と混交していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後の廃仏毀釈運動で仏式が廃され神社として独立し三光稲荷神社となっている。
昭和三十九年(1964)、犬山城の跡地である現在地に遷座し猿田彦神社もあわせて祀られています。
下の社頭案内も合わせてご覧下さい。
針綱神社と並んでいる三光稲荷神社の参道へ。
こちらは鳥居を潜り、参道を進みました。![]()
鳥居脇に、紀元二千六百年記念(昭和十五年)の彫のある狛狐さんがお出迎え。
拝殿前の狛狐さんは、昭和二年(1927)十一月生まれでした。
そして拝殿に向かって右手の、針綱神社・犬山城へと繋がる道の入り口。
この石段の下の左手に、あのチビ狛犬さんが居ます。
とにかく広い犬山城周辺の探索でして、参道を巡っただけとなってしまいました。
きっと再訪の機会があるでしょうから、次回にはゆっくりと綿密に巡ってみたいな!との思いです。
この後は車で移動でした。勿論狛犬さんを訪ねて!![]()
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・かなり遠目の狛犬さん その7は、こちらです。
(↑犬山市編その1です)
・かなり遠目の狛犬さん その9は、こちらです。
シリーズは、まだまだ続きます。![]()
では、また。
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