越後の狛犬さん その33
上の写真のご紹介は、後ほど。
先ずは、2010年分の最終となりますこちらから。
5月1日の狛犬さん詣での際にお参りをしましたが、狛犬さんは雪避けのブルーシートにすっぽりと覆われていましたので保留。
で、9月30日に柏崎市の高柳へと所用で赴きまして、その際にお参りを済ませました。
黒姫山へも登りましたが、レポは・・・。
・諏訪神社(十日町市八箇甲666)
・祭 神
諏訪神社ですので、祭神は建御名方(たけみなかた)神、妃神である八坂刀売(やさかとめ)神と思われますが、由緒と共に不明です。
南魚沼市六日町から十日町市へと向かう国道253号線の山本町交差点から2キロほど六日町方に在ります。
国道を間に川治川を眺めるような・川の出水を避けるような小高い位置です。
ご多分漏れず、石段を登ります。
シートが外されている狛犬さんが見えますが、お社からご紹介。
狛犬さんの台座には、
昭和五十七年(1982)十月吉日
六日町長生院
と
湯川 ○長 七十二歳
仝 タ○イ 七十一歳
の彫が在りました。
石段の途中には、いつの頃に祀られたのでしょうか?かなり古い石祠が。
保留してありました諏訪神社の狛犬さん、やっと面会が出来ました。
これで、2010年分はおしまいです。
2011年分は、取材を始めようと思っていたところ、あの大震災が。
特に自粛などは考えていませんでしたが、何となく出かける気がせず。
従って、山遊びも狛犬さん詣でもあまり・・・。
で、少しだけ出歩いたレポです。
2011年6月17日、こんなのを愛でに行きました。
新潟の粟ヶ岳のヒメサユリです。
この回は開花にはやや早く、体調も今一良くなく途中から撤退となりました。
下山後、体調も復調しましたので、こちらにお参り。
・本成寺(三条市西本成寺1-1)
本成寺は法華宗陣門流の総本山で、山号は長久山(ちょうきゅうさん)。開山の日印聖人は日朗聖人の高弟で、宗祖の法孫に当る。
永仁五年(1297)に日朗聖人の奇瑞の地へ領主山吉定明・長久父子が青蓮華寺として堂宇を建立する。
正和三年(1314)日印聖人は鎌倉の日朗聖人(六老僧)を訪ね、山・寺号の授与と初祖承諾を願い出て、初祖日朗・開山日印として長久山本成寺へ改名する。
詳細は、こちらへ。
塔頭が十院もある大きなお寺さんです。
ただし、今回は境内社の2社のみのお参りでした。
とっても大きな三門(山門)の脇の駐車場をお借りしました。
この三門は、境内入口にある総門で、天明六年(1786)に建立された。二重門のかたちで、桟瓦茸でした。
大きな三門の写真は、こちらへ。
最初に、三門の傍のこちらから。
本堂の裏鬼門に当たる位置でしょうか?
・諏訪神社
・祭 神
こちらも諏訪神社ですので、祭神は建御名方(たけみなかた)神、妃神である八坂刀売(やさかとめ)神と思われますが、由緒と共に不明です。
鳥居を潜ると参道は直角に右に折れ、拝殿へ。
大きな三門や本堂、そして明和七年(1770)建立の二重塔、鐘楼などの傍らを通り、こちらへ。
・三十番神宮
・祭神、由緒とも不明です。
本堂の丑寅(北東・鬼門)方向に在りました。
こちらでも、格子から拝殿内を覗きますと。
拝殿前には、おかっぱ頭の年齢不明の狛犬さんが。
一説には、江戸中期頃の作ではないかと言われていますが・・・。
全体に細かな彫が多く、とっても良い感じのスタイルでした。
では、その阿吽のお顔をどうぞ!
何んとも良い対面が出来ました。
日が西へと大きく傾き始めましたので、大急ぎで境内を散策。
三十番神宮のお隣の建物、天満宮でしょうか?
撫で牛さんが。
境内は本当に広く、かなり年代を経た建物が多く見受けられました。
こちらを目的としてゆっくりとお参りをしたいものです。
こんな感じで、2011年6月の越後の狛犬さん詣ではおしまいです。
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
写真集は、こちらです。どうぞ、ご覧下さい。
・越後の狛犬さん その32は、こちらです。
・越後の狛犬さん その34は、こちらです。
(↑ 弥彦村と燕市編です)
越後の狛犬さんは、まだまだ続きます。
いろいろと面白い方々が登場します。
お楽しみに!
これからも、是非お立ち寄り下さい。
では、また。
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