ちょい遠目の狛犬さん その31
ちょい遠目の狛犬さんシリーズも、いよいよ?やっと?2011年分となりました。
で、4月7日にお散歩をしましたのでこちらの写真を少しだけ追加。
そのレポは、こちらです。
・高来神社(大磯町高麗2-9)
国道1号線を背にしての眺めです。
ミニクマさんチームと湘南平からの往復ハイキングでした。
ミニクマさん、お疲れだったでしょうね。
プリップリッの子獅子ちゃんのお尻を愛でてこれから復路の山登りです。
続いて4月21日、所用が早く済みましたので・・・。
毎度の事ですが、何が目的なんだか?
そのレポは、こちらです。
・八菅神社 (愛甲郡愛川町八菅139)
・祭神
国常立命 (くにとこたちのみこと)
伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)
伊弉冉尊 (いざなみのみこと)
誉田別命 (ほんだわけのみこと)
金山毘古命 (かなやまびこのみこと)
大己貴命 (おおなむちのみこと)
天忍穂耳命 (おめのおしほみみのみこと)
・由緒
大宝三年(703)役小角、日本武尊の御神殿を慕い入山修法された。その折天空より玉幡1流山中に降り、白菅8基が地中より惣然として生じ、よりて八菅寺と称した。
和銅二年(709)僧行基は勅命を受け、神体及び本地仏を彫刻し一山の伽藍を建立したといわれる。
鎌倉時代の上期・寛元元年(1243)に相模国愛甲庄に「熊野山領」が設定され、藤原清俊が地頭の職に補せられたとある。
その後七社権現の別当寺であった光勝寺は、天台宗の寺で京都の聖護院の直末であるとともに、本山派修験の相模における拠点であり、八菅山内には光勝寺に属する五十余の修験の院・坊があった。
明治維新後神仏分離により八菅神社が残り光勝寺は廃寺となり、修験者は帰農した。
との事ですが、詳細は下の社頭案内板をクリックしてご覧ください。
八菅(はすげ)神社参道の左手少し先の駐車場へ。
中津川方へ少し戻り参道へ。
境内の桜は終期、桃の花が綺麗に咲いていました。
数段の石段を登ると、昭和五十五年(1980)二月二十二日生まれの狛犬さんがお出迎え。
鳥居を潜った先の左手には鐘楼があり、上右の案内板の様に供出を免れた元和四年(1618)鋳造の梵鐘が吊り下がっていました。
どの様な音色なのでしょうか?
きっと荘厳な事でしょうね。
広い境内には、かなり緑濃い樹木が目に付きました。
こんな案内板が。巨木が多い訳ですね。
本殿は、奥の結構高い位置にあります。
男坂・おみ坂のこんな古そうな感じの200段を超える石段を登った先へ。
周囲には、ヤブツバキやスダジイなどの自然林が見受けられました。
一汗掻いて登った先は、かなり広い本殿前庭でした。
拝殿が大き過ぎ、正面からは撮りきれませんでした。
境内を散策後、上の方でご案内しました八菅山へと
お散歩。
そのレポは、こちらです。
八菅(はすげ)神社の狛犬さんのご紹介でした。
これにてちょい遠目の狛犬さんレポは、暫しお休みとなります。
と言いますのは、ご承知の通り2012年3月に大震災が発生しまして、狛犬さん詣でもお休み。
次回の ちょい遠目の狛犬さんは、2012年1月・養沢神社からとなります。
この後は、ご近所の狛犬さんへバトンタッチ!
乞う、ご期待!なんちゃって。
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・ちょい遠目の狛犬さん その30は、こちらです。
・ちょい遠目の狛犬さん その32は、こちらです。
狛犬さんレポは、まだまだ続きます。
では、また。
| 固定リンク
「狛犬(ちょい遠目?)07」カテゴリの記事
- ちょい遠目の狛犬さん その35(2013.06.30)
- ちょい遠目の狛犬さん その34(2013.05.29)
- ちょい遠目の狛犬さん(特別編10)(2013.04.25)
- ちょい遠目の狛犬さん その33(2013.04.25)
- ちょい遠目の狛犬さん その32(2013.03.28)
コメント