ちょい遠目の狛犬さん その27
かなり長くお休みをしていましたちょい遠目の狛犬さんの再開です。
前回のその26は、こちらです。
前回のレポは、今年の1月に干支に因んでの狛龍さん詣ででして、順番がずれてしまいました。
狛龍さんのレポは、こちらです。
従って今回は、残ってしまいました2010年7月分です。
毎度お馴染みの季節物、中井蓮池の里を楽しみながらでした。
その蓮池の里のレポは、こちらです。
斜め(ハス)になって咲いている花を楽しんで、帰り道?こちらへ。
国道1号線に面して在ります。
・浅間神社 (小田原市前川586)
・祭 神 木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)
・由 緒 不明です。
旧東海道・国道1号線の国府津駅前を過ぎ、2kmほど東進した橘IC入口の少し手前山側です。
国道に面した参道を20mほど進みますと、正面に鳥居が。
意外と狭い感じの境内でした。
文化二年(1805)六月吉日の彫りがある一対の石灯籠を過ぎ、数段の石段を登ると拝殿が。
狛犬さんの台座には皇紀二千六百年記念の彫りがありましたので、昭和十五年(1940)生まれですね。
2基の双体庚申供養塔。
いつの頃から祀られているのでしょうか?
年代は読み取れませんでした。
明和五年(1768)十一月六日の彫りのある、青面金剛の剣人型庚申供養塔。
拝殿裏手には、社稷神と彫られた 地神塔。
文化五年(1808)二月吉日の彫りもありました。
浅間神社のお参りを済ませ、1号線を更に東へ。
二宮町を過ぎ大磯町へ入り4~500m進むと、国道沿いに赤い大きな鳥居が在ります。そちらにお参り。
・六所神社(大磯町国府本郷935)
・祭 神 櫛稲田姫命 (くしいなだひめのみこと)
素盞嗚命 (すさのおのみこと)
大国主命 (おおくにぬしのみこと)
・由 緒
人皇十代崇神天皇の頃、出雲地方よりこの地に氏族が移住せられ開墾開発された。
そしてこの地を「柳田郷」と名付け、彼らの祖神たる櫛稲田姫命、素盞嗚尊、大己貴尊(又の名 大国主命) を守護神として、石上台、又の名伊勢神台 (当鎮座地北西一kmの台地) に祀り社殿を結構し柳田大明神と称して地域の親睦発展は元より、子々孫々に到るまでの弥栄を祈願した。
この柳田大明神が六所神社の旧名であり、御創建は崇神天皇甲申の年と言われ、今から約二千五十年~二千百年前。
柳田大明神の御加護の元に氏族の人々は心を一つに和して開墾開拓に辛苦努力を重ねられ、東国開発の基礎を固められ又相模国の形成に多大なる貢献をなされた。
大化改新後国の行政も次第に整い国司の制度が始められてゆく中に、元正天皇の御代養老二年 (718) 閏四月八日、石上台より現在の鎮座地に奉遷。暦勅を以って相模国八郡神祇の中心をなすべき旨宜下された。
桓武天皇天応元年 (781) 五月五日、早良親王夷賊征討に際し退壌祈願あり。平安時代に入って相模の国府 (今の県庁) が柳田郷に置かれるようになると、柳田郷の地名も相模の国府と称せられるようになった。
大化改新以来、国司は任国に着くと先づ神拝と言って国中の主たる神々を順拝し国幣を頒つ制であったが、順拝は大変な日数と費用と人員を要するため、主たる神々の御分霊を合わせ祀る社即ち総社を設ける習いとなった。
相模国の場合、柳田大明神に、一宮寒川神社、二宮川匂神社、三宮比々多神社、四之宮前鳥神社、平塚の八幡宮の分霊を合わせ祀り相模国総社の成立を見ました。又六ヶ所の神社合わせ祀る所から国府六所宮とも称せられるようになった。
相模国府祭 (神奈川県無形文化財) もこの時代から「お祭り」の性格を持つようになったと思われる。そして鎌倉時代になると、源頼朝の崇敬誠に篤く『吾妻鏡』によると治承四年 (1180) 十月十六日の条、平家の大軍が平維盛を大将として富士川に攻寄った時国府六所宮にて戦勝祈願を行う。
同年十月二十三日、源頼朝は北条時政等二十五名の功賞を行う。その規に依り、文治二年 (1186)、本殿の改造が行なわれ、建久三年 (1192年) 八月九日、源頼朝の実子実朝の安産誕生祈願の為神馬奉納「総社柳田」と記す。
建長四年 (1252) 四月十四日、宗尊親王将軍の事始に幣帛神馬を奉納以上の様に源頼朝は総社六所宮に対する敬神の念誠に篤く、又相模国を代表する神社として崇敬し特別扱いをしている。
戦国時代には戦国の雄北条早雲の崇敬も大変篤く御子氏綱が永正年間 (1501~1520) に六所宮の御社殿御造営、又四代目左京大夫氏政公が御本殿の修復を行いこの本殿が現在のものである。
天文十三年 (1544) 十二月二十三日付の北条氏寄付状があり相州六所領六十五貫七十八文とある。又大納言徳川家康も相模国総社六所宮に対する崇敬の念誠に篤く天正十九年 (1591) 、武運長久の祈願として六所領 (15000坪) 五十石の寄進状御朱印があり、徳川家光は慶安元年 (1648)、 国家安全祈願として五十石の寄進状御朱印があり、以後歴代の将軍の特別なる祈願と六所領の寄進があり明治に到っている。 神社庁資料より
国道一号線に面した赤い鳥居を潜り、東海道本線により分断されてしまった参道(線路を潜る)を北上すると、
大きな杜が見えてきます。
境内入口の車止めには、可愛い小鳥が。
境内に入ると神池が在り、その脇にはかなり古い2対の石灯籠が。
神様がお通りになられる敷石を避けて更に進むと、数段の石段の先に拝殿が。
で、狛犬さんの台座の銘部が欠損しており、残念ながら年令は不明でした。
なかなか眼光鋭く、威厳がありました。(少し怖い顔?)
↑ 尻尾のぐるぐる
相模国総社としては少し狭いと思われましたが、大きな樹々も数多くあり手入れが行き届いている境内でした。
拝殿を背に。
参道の左右つながる神池には、六所ひぐるま弁天社が祀られていました。
とっても静かな、しっとりとした六所神社でした。
この後、国道1号線を更に東へ。
平塚の八幡宮へと向かいました。
と言う事で、ちょい遠目の狛犬さん その27は、
これでおしまいです。
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・ちょい遠目の狛犬さん その26は、こちらです。
・特別編・狛龍さん養沢神社レポは、こちらです。
・ちょい遠目の狛犬さん その28は、こちらです。
シリーズは、まだまだ続きます。
では、また。
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