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2012年2月

鎌倉の裏山ハイキング

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暖かくなって来ました21日、鎌倉の裏山ハイキングに行って来ました。


前段と後段には、当然にも狛犬さんでして、

中盤に

 ・大仏坂~極楽寺の山道(一升枡)
 ・大仏の裏山、大仏坂~葛原ヶ岡
   (裏大仏から浄智寺ハイキングコース)
 ・北鎌倉の六国見山ハイキング
    (天気が良いと、展望台からは箱根の山々から
     富士山、丹沢までや海の眺めがとっても良いロケ)




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             裏大仏コースでタイワンリスがお出迎え

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                 六国見山の展望台にて


大仏坂から極楽(寺)に向かって歩き始めましたが、
何と言う事でしょう!途中で・・・。
案外と歩いて27000歩で、チョイトお疲れのお散歩?
ハイキング?でした。
レポは、どうしようかな?と只今思案中です。
カルディナさんが創る様ですので、良いかな?


レポが出来ました。     2/25 追記

 ・カルディナのレポは、こちらです。

 ・カル2のHPは、こちらです。

   ご覧頂けると嬉しいです。


では、また。

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今年の春一番~ん!

今年の春1<br />
 ば〜ん!
ふきのとう、フキノトウ、今年も出会えて良かったね♪

*******        以上モブログでした 2/22追記

この3日ほど暖かかったので、3連荘でお出かけ。
初日は、狛犬さん詣で。
2日目は、鎌倉の散歩。
そして今日は、季節を楽しみに。


昨年は少し寒い傾向にありましたので、やや遅めに咲いていました。
で、今年はかなり寒くて、最低気温が昨年よりも2~3度低い様子。
そんな訳で、昨年よりも半月ほども遅くの出会い。
もっとも、今年も先走りの一輪だけは、1週間ほど前に花開いていましたが。
暖かな年ですと、2月の上旬には満開なのにね。

地球は温暖化傾向とか。
でもそんな事を感じさせない程の寒さ開花の遅れです。
まあ、地球の歴史から見ると1年や2年の期間なんてごく僅かで隙間にも入らないのでしょうけども。
学者先生の講演では、温暖化の件をとっても難しく解説をされていましたっけ。
しか~し、その内容を簡単に理解できる方は受講されていないのでは?
もう少し、ボンクラ頭のカル2にも理解できる言葉で、判りやすく話しをして欲しいものです。
かなり昔から、人に話しを聞いて貰う時には、難しい言葉の羅列をせずに日常の言葉を使って判りやすくする事!と指導を受けてきた身にはチョイト不満が。

と、グダグダが始まってしまいました。
そうそう、この咲き始めたフキノトウは、観賞用にそのままにして帰って来ました。

やはり野に置け、ふきのとう!
なんちゃって。
本当かな?


では、また。

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越後の狛犬さん その25

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取材日は2010年4月18日でして、かなり前の事であります。
で、主目的は六万騎山坂戸山で、サブが狛犬さん?でした。
早朝に六万騎山へと向かいまして、こちらの地蔵尊から入りました。

その山遊びレポ
 ・カルディナ編は、こちらです。
 ・カル2のHPは、こちらです。




・麓地蔵尊 (南魚沼市麓)


 ・由緒・伝来
 本尊・子安延命地蔵尊は、弘法大師の作と伝えられる。
 六万騎城主福島公一党の崇敬を受けた。長森ヶ原の合戦中、御像は所在不明となり、後年薮から発見され崇福寺の本尊として祀られ、享保年間この地に移された。
 今の総檜造りの堂は弘化年間の建立。との事です。
 詳細は下の社頭掲示板をご覧下さい。

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※ 早朝にお参りをしましたが、光が足らず。
   従って、六万騎山周回後の取材です。


駐車場からの眺めです。

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少し回り込み、

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石段を登った先の山門です。
素朴で、とてもスッキリとした感じがしました。

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山門を潜り、左に曲がると本堂でした。

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お参りを済ませて、堂内を拝見。
子安延命地蔵尊大菩薩の提燈?が。

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お堂の彫り物が素晴らしい。

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お姫様と爺で、爺は魚を姫様に見てもらっているのかと思いました。
が、子安延命地蔵尊ですから、爺はきっと姫君の和子様を大切に抱いているのでしょうね。

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そして木鼻のこの方たち。

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お堂を背にして右手の山門を眺めてみると、奥に上越国際と思われるスキー場も見えていました。

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六万騎山への入口には、数多くの石塔がありました。

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そして、周回後楽しみにしていた花々はこちら。
地元の方が手厚く保護されている様でした。

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他にも多くの草花が咲いていましたがこの位で。
この後、実際には坂戸山に向かいましたが、朝一で登りました六万騎山の花のご紹介を少しだけ。


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少し空模様が良くなっかたのですが、とっても癒されました。
六万騎山から下山後、次にご紹介する麓の八幡(神)社へお参りでした。



・八幡(神)社 (南魚沼市麓194)


 ・祭 神、由 緒
 八幡神社ですので、
  応神天皇(誉田別尊・ほんだわけのみこと)
  神功皇后(息長帯比命・おきながたらしひめのみこと
  比売神(ひめがみ)
 が祀られて居ると思いますが、由緒と共に不明です。

八幡社は、源頼朝が鎌倉に鶴岡八幡宮を創建してから武神としての信仰を集め厚く崇敬され、源氏の武将は各領地に八幡さまをお祀りしたとの事のです。


上記の六幡騎山を降りて来ますと、こちらにも大きな案内板が。

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登山口(お城の入口?)には大きな石塔がたくさんに。

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案内板の地図の右下の八幡宮へ向かいます。
真浄院さんを過ぎると、左手に素朴な感じのお社が。

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そして直ぐに、雪が溶け残っている八幡神社へ。

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拝殿の屋根の雪が落ちたばかりの様でした。

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昭和四十六年(1971)八月生まれの狛犬さんには、雪避けの丸太が。

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拝殿の左手にはかなり古そうな石祠が。
いつの頃建立されたのでしょうか。

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この後、麓 地蔵尊へ戻り花々を愛で、五日町の八幡社を訪れながら坂戸山の麓鳥坂神社へと移動でした。
これで、取り合えず4月18日の第一部は終了です。



狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。  

写真集は、こちらです。

どうぞ、ご覧下さい。




・越後の狛犬さん その24は、こちらです。

・越後の狛犬さん その26は、こちらです。



越後の狛犬さんは、まだまだ続きます。
いろいろと面白い方々が登場します。
お楽しみに!

これからも、是非お立ち寄り下さい。

では、また。

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今日は、こちらに!明神ヶ岳へ 2012.02.10.

今日は、こちらに!
本当なら、三角山の後ろにおっきいのが
控えている筈なのに。
どこかに遊びに行っているのかな?
木花咲耶ちゃん、朝は居たのにね。

*******    以上モブログでした    2/12、13 追記

2月10日、久し振りに明神ヶ岳に行って来ました。
最乗寺の奥の院からの周回コース。
掻い摘んで、道のご案内。


先ずは、最乗寺・三面殿有難いこちらから。
年令不明ですが可愛いですね。
前回天候不良のためボケが多かったのでご紹介。
その取材レポは、こちらです。

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少し奥の、奥の院への参道の年令不明のこの方。

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”これでは狛犬さんのレポじゃん!”とのお声が・・・。
では、道案内?を。



息が切れて、一気登りが出来ない石段を登ります。

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すると、奥の院です。
朝のお勤め(読経)と周囲の清掃をされていました。

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”まだ続くのか!”とのお声が・・・。
この拝殿の左手から山道となります。
標識には、山頂まで140分とあります。

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こんな空を眺めながら。

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1000m付近まで登ると雪がちらほらと見えて来ました。

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程なく尾根道に合流。雪は、こんな感じ。

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明神ヶ岳からの展望。

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家を出る頃は、木花咲耶姫様はご在宅だったのですが・・・。
お出かけの様子なので、少し降りてランチ。
この界隈は、シルコロードが続きます。
背後に大きな姫様がお控えおわす筈なのですがね。

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結構積雪がありましたので、2つ目の道了尊への道からの降りです。
途中、こんな道を歩いて、

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雪がなくなると予想通りのシルコロードが続きました。

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靴に付いた泥と戦いながら、スキー場跡に着くとこんな景色が。
大山から丹沢主脈です。

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更にとっても歩き良い???シルコと戦いながら最乗寺へと戻りました。


かなり昔に通っていた明神ヶ岳。
やはり見慣れていても、富士山が見えたほうが良かったのですが残念でした。
ウオーキングやジムのトレーニングも良いのですが、やはり山遊びには山道が良いですね。
もう少し負荷を増やして、週一くらいは歩きたいものですね。


取り合えずの明神ヶ岳の速報レポでした。

HPにてレポ作成のつもりでおります。
お楽しみに!                          2/13 追記

レポが出来ました。

 ・カルディナレポは、こちらです。
 ・カル2HPは、こちらです。

では、また。

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ご近所の狛犬さん その37

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いよいよと言うか?やっとと言うか?藤沢市の狛犬さんのラストレポです。
とっても遅くなりまして、あとひと月で取材から2年が過ぎようとしています。
狛犬さんも最初のうちは”早く出してよ~ぉ!”とフォルダの中で騒いでいた様でしたが、最近では・・・。
あまりの遅さに、呆れ返っている様子。



前回レポの打戻・宇都母知神社から数社の不在社を訪ねながら西北方向へと移動でした。
前回のご近所の狛犬さん その36は、こちらです。




・宮原寒川社 (藤沢市宮原1289)


・祭 神 品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけのみこと)
        別名・応神天皇
  合祀 大宮姫命 (おおみやひめのみこと)
      素戔嗚尊/須佐男命 (すさのおのみこと) 

・由 緒
 創建時期など詳細は不明。
 神仏が合習していた江戸時代には社の西隣にある観蔵寺が別当寺で僧侶や山伏、修験者など雑多な人々が居住していたとの事です。
 入母屋造の屋根を持つ拝殿は明治二十七年(1894)に再建された。本殿は明神造、拝殿は入母屋造となっている。


この神社の付近は、その昔相模国一之宮・寒川神社の敷地であり、その宮の土地を開拓した集落であったことから宮原と呼ばれるようになった。そしてこの小さな神社にも、寒川神社と同じ御祭神が祀られた。
           社頭案内板より



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昭和六十一年(1986)十一月吉日生まれの狛犬さん。
天皇在位六十年記念の彫りがありました。

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割合広めの境内には、鐘楼(戦時中の供出により梵鐘はない)や稲荷社もありました。

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子供たちが遊んでいる境内からは、大山や丹沢そして富士山も望めるとの事ですが、何せ空模様が・・・。
直ぐ傍の中原街道を行き交う多くの旅人が、こちらの神社でも旅の安全を祈願しながら、富士山を眺めていたのかも知れませんね。その頃の周辺はどのような感じだったのでしょうね。



続いて、この日最後となるこちらへ。




・子聖神社 (ねのひじりじんじゃ)
   (藤沢市獺郷/おそごう799)字名は雷(いかずち)


・祭 神 大己貴命(おおなむちのみこと)

・由 緒
 創建時期は不明ですが、享保十八年(1733)の棟札が残されている。
 創建時の社は、東陽院近くの中谷にありましたが、明治元年(1868)の台風により本殿が倒壊したため、現在の地に移転・改築された。その際に八幡社・大六天社・山王社の下宮三社を合祀し、子聖神社という名前になった。
 詳細は、下の案内碑をご覧下さい。

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獺郷(おそごう)地区の鎮守様です。
その昔からこの付近には沼地があり、獺(かわうそ)が多く生息していたところから獺郷と名付けられたとの事です。


こちらの境内には、石段がなかった記憶が・・・。

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やや大きめの狛犬さんで、平成六年(1994)十二月吉日生まれでした。

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拝殿の右手には、神輿庫や小さな祠、そして多くの石塔が祀られていました。

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祠の中の青面金剛は左が安永四年(1775)十二月吉日、右が寛保二年(1742)八月吉日の彫りがありました。

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その左手には、双体神など建立年代が不明ないろいろの石仏石塔が集められ祀られていました。

右手の奥の双体神に元禄の彫りが。若しかしたら藤沢市最古と言われている元禄三年(1690)建立の双体庚申供養塔かも知れません。
手前左が安永五年(1776)、右が天明三年(1783)の彫り。

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観音像?の台座に道標が。
大山街道の道標の様ですが、どちらに祀られていたのでしょうか?

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拝殿の左手には鐘楼がありました。
以前の梵鐘は文政六年(1823)鋳造されたものでしたが、第二次大戦時に供出。昭和五十六年(1981)に再び鋳造されたとの事です。
梵鐘には、世界平和、五穀豊穣や梵鐘に係わる由来などと共に、羽衣を纏った天女さまも浮き彫りされていました。

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子聖神社の一部の写真は、本日・2012/2/9撮影しました。



これでほぼ神社巡りは終わりとなりましたが、後日見落とした神社や小さな祠などを巡りました。
かなりの数の神社にお参りをしました所、新たに狛犬さんが1対見つかりましたのでご紹介。




入町厄神社 (藤沢市本町1-3)


・祭 神 厄神鬼王(疫病除けの神)

・由緒・伝来
 明治十七年(1884)川崎大師(厄除け大師)から分神された。
 明治 十五・十六年、この地方に疫病(天然痘)が大流行し、僅かに厄神社のお札が貼ってある家庭では病気にならなかったので、厄病除けを祈願して、近隣の入町・仲久保町・旅籠町の有志により祀られた。
 現在の社殿は、明治二十四年に建立。
 神殿内の蠟燭立ての鉞(まさかり)は、時期不明だが、米山富吉氏が奉納された。  
入町町内会様の・入町厄神社の由来より引用させて頂きました


所在地は、若干見つけ難い所に在ります。
旧東海道・藤沢宿の中心部、現在の石曽根履物店横の
藤沢小学校裏に登る路地を入ります。
石段をあがると鳥居と小さなめの2つの社が在りました。

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お社の中には、少し見え難いですが
蠟燭立ての鉞が。
(格子窓殻からの覗き撮りでして・・・。

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右隣のお社に、”お住まいでした~~~ぁ!”
狛犬さんと思われます。

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とっても難しい覗き撮りでした。
これで、ご近所の狛犬さん・藤沢市編が終了となる予定でしたが・・・。
実は、昨日ある方から情報・朗報が届きました。

”お寺さんに狛犬さんがいるよ!”
とね。
それも二社もですよ!
天気がとっても良い日の山遊びの予定を蹴っ飛ばして、今日早速行って来ました。
従いまして今回のレポは、ラス前という事になりました。
次回が取り合えずオーラスになります。
皆様、新たな狛犬さんを見つけられましたら、ご一報の程を!
よろしくお願いいたします。
その都度追加していきたいと思っております。


と言う事で、ラス前レポは終了です。
次回は、かなり変わった?面白い?狛犬さんが登場します。お楽しみに!


狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。

どうぞ、ご覧になって下さい。


・ご近所の狛犬さん その36は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その38は、こちらです。


では、また。       

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