ご近所の狛犬さん その36
ご近所の狛犬さん・藤沢市編も終わりに近くなって来ました。
前回のレポは、こちらです。
大庭の諏訪神社から北方向へと移動でした。
・御嶽大神 (藤沢市遠藤2593)
(御嶽神社)
・祭 神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
合祀 大己貴命(おおなむちのみこと)
小彦名命(すくなひこなのみこと)
素盞嗚命(すさのおのみこと)
菊理媛命(くくりひめのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
・由 緒
創立年代は不詳との事ですが、慶長五年(1600)以前に存在したと言われているそうです。
詳細は、下の社頭案内をご覧下さい。クリックを!
かなり広めの境内で、長い参道は西向き。
拝殿からは富士山も見られるとの事ですが、あいにくの空模様でした。
南向きの参道に、木製の両部鳥居がありました。
正面は舞殿、右手に拝殿・本殿。
お化粧をしてもらっている、昭和十一年(1936)十月一日生まれの狛犬さん。
境内にある鐘楼には、講和記念と浮き彫りされた鐘が吊られていました。
境内の片隅に、庚申供養塔が祀られていました。
中央の背の高い明暦二年(1656)銘の青面金剛像は「4本手の庚申」と云われる珍しい像で、神奈川県の有形民俗文化財に指定されています。
その左側の厚みのある三猿像の庚申供養塔(万治二年銘・1659)は、三猿が各々首をすくめ親しみやすい表情で正面を向いた、江戸初期に多く見られる像。藤沢市の有形民俗文化財に指定されています。
力石の由来 (台座の案内より)
うみうみて
とおつみおやの
古ゆ力競そいし
ほぞ拝む石
此の石は古老の言い伝えによれば
陰形の道祖神として祀り五穀豊穣
子孫繁栄 旅の安全等々祈願したもの
なりと云う。
而し乍ら此の石には銘がない為昔から
若衆たちが此の石をもって力だめしを
したので誰れ云うとなく力石と呼ぶ
様になり今日に到ってゐる 以下略
最初に見た時には、”おやまあ、やっぱり溝があるんだぁ!”と思いました。
子孫繁栄祈願と言うと、アレですものね。
富士山が眺められず残念な思いを残して、更に五社ほど巡るも狛犬さんは不在。次に出逢ったのは、慶応大湘南キャンパスの北西方向400m程のこちらでした。
・宇都母知神社 (藤沢市打戻3012)
・祭 神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
稚産霊神 (わくむすびのかみ)
若日下部命(わかくさかべのみこ)
・由 緒
創建年代は不明となるが、第21代雄略天皇の時代(495年頃)に、既に、祭祀が行われていたことが、日本総風土記に記録されている。ただ、その当時とは場所が多少異なり、相模国鷹倉郡宇都母知郷にあったと言われる。その後、天慶2年9月(939年)には、若日下部命の御尊霊を大和国泊瀬(はつせ)より遷座して相殿に奉祀された。そして、正応3年8月(1290年)に、鎌倉八代将軍久明親王の執権北條貞時が社殿を改築し、同年9月に参拝したという。 神社人より引用
”尻尾の巻き具合が、この近辺で出会ったような?”と思い確認した所、石工さんは 厚木町 秋元信太郎 と彫られていました。 ”やっぱりね!”と納得。
そして、この姿の小獅子ちゃん。
首が疲れて痛いのでは?
初めて出逢った形だと思います。
とっても広い境内の片隅の庚申塔には、文政十年(1827)十一月吉日の彫りも見えました。
上の写真の鳥居の右手・道路の向こう側に鐘楼があり、その鐘には 世界平和 五穀豊穣 の大きな文字や由緒などの浮き彫りが為されていました。
入口には、かなり古い社号標がありました。
鐘楼付近にも石塔が。
大地神の石塔には、文久四年(1864)正月の彫りがありました。
緑深い鎮守の森で囲まれてい居る境内のあちこちの石仏、樹齢300年といわれる御神木の椎の木や鳥居右手の古墳と伝えられる地形跡を楽しむ事が出来ました。
長くなりましたが、藤沢市の狛犬さんのラス前のレポは終了です。
いよいよ、次回が藤沢市編オーラス!
お楽しみに!!!
ただし、年が変わってからですがね。
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧になって下さい。
・ご近所の狛犬さん その35は、こちらです。
・ご近所の狛犬さん その37は、こちらです。
では、また。
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