9月23日に我が町のレポも第4コーナーを回りましたが、何とここでコケてしまいやっと続きです。
第4コーナーを回ったレポその34は、こちらです。
石川泉原の諏訪神社から43号線を南下。藤沢変電所のやや斜め向かいのこちらへ移動しました。
少し広い境内には、2つの神社が祀られていました。
南向きの熊野神社と東向きの市杵島(いちきしま)神社が、互いに独立していて境内社ではなく同格で並んでいるようでした。
・熊野神社(藤沢市大庭5429-2)
・祭 神 熊野久須比神 (くまのくすひのかみ)
・由 緒 不明
境内への石段は一緒で、登りきった右手に熊野神社が、正面に市杵島神社の社殿がありました。
熊野神社の社殿です。
新しい石の鳥居には、熊野三社大権現と書かれた周囲が欠けたかなり年代物の扁額が掛けられていました。
地元では権現さまと呼ばれていまして、権現造り風の拝殿でした。
平成五年(1993)九月吉日生まれの狛犬さん。
境内の片隅には、汚れてしまっている 熊野三社大權現 文化十二年(1815)九月吉日 と彫られた手水鉢や天保十三年(1842)と読める引退した鳥居も置かれていました。
・市杵島神社(藤沢市大庭5429-3)
・祭 神 市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)
・由 緒 不明
地元では、北の谷の弁天さま と呼ばれているとか。
市杵嶋姫命はスサノオノミコト(日本書紀や古事記では表記が違いますのでカタカナで)のご子神との事で、水・芸能の神様です。
ご利益関係は、美容健康、水難守護、航海安全、商売繁盛、技能向上 他との事です。
市杵島姫命 ※[別名]狭依毘売命(さよりびめ)
※[同義]弁財天(べんざいてん)
鳥居は木製で、稚児柱があしらわれていました。
市杵島神社の社殿は、何とも寂しい感じでした。
若しかしたら、近くの引地川周辺から移築されたのかも知れませんね。
2社を探訪後、南西方向・直線距離で400mほどの、裏門公園の南へ移動でした。
・小糸神明社(藤沢市大庭5244)
・祭 神
神明社ですので天照大御神(あまてらすおおみかみ) と思われます。
・由 緒
由緒も不明ですが、下の由来の碑をご覧下さい。
かな~り大きく拡大できます。
この付近は、全体が割合最近に区画整理された地域です。その所為でしょうか近隣の多くの神社が新しく建て直されていました。
昭和十一年(1936)四月吉日生まれの狛犬さん。
阿像が子取りでした。子獅子が可愛い!
文久二年(1862)と読める彫りのある灯篭もありました。
更に数社を探訪するも、狛犬さんは不在でした。
が、小糸神社から北東方向・直線距離600mほどの羽根沢にある双体庚申供養塔が祀られていたこちらをご紹介。
・諏訪神社(藤沢市大庭 5.575-2)
・祭 神
諏訪神社ですので、祭神は建御名方(たけみなかた)神、妃神である八坂刀売(やさかとめ)神と思われます。
昭和51年の区画整理で、諏訪神社・稲荷社・山王神社がまとめられ、近隣の庚申塔・道祖神・痢病尊を合祀したとありますので、関係する神様も祀られていると思いますが、由緒と共に不明です。
境内にある碑文碑です。
境内には大きな羽根沢町内会館があり、片隅に諏訪神社が祀られている感じでした。
狛犬さんは不在でしたので、サラリとご紹介。
稲荷社殿 内部
近隣から集められ祀られた境内の石塔・石祠です。
社殿右手に在ります、山王神社。
上の写真の奥に見えます。
石碑の右側には、「天保十四(1843)年九月吉日」と読める彫りがありました。
続いて右へ。
青面金剛像と三猿の彫られた庚申塔。
左側面には「左ほしのや道・えんどう?道」とあり、遠藤や座間の「ほしのや観音・星谷寺」への道標と思われます。
右側面にある年月は読み取れませんでした。
何処に置かれて旅人の案内をしていたのでしょうか?
続いて、庚申塔。
文政七年(1824)九月と読める彫りが。
こちらも道標で、
左側面には、「左ふじさわ」
右側面は、「一□□□」と読み取れませんでした。
そして明治と読める彫りのあるの石祠。
更に右手に双体庚申供養塔が祀られていました。
双体庚申供養塔には、「宝暦十一年(1761)十月吉日」の彫りがありました。
正面右手には、「道祖神」の彫りも。
と、狛犬さんレポなのですが、庚申塔関係もご紹介しました。
何となく双体神が好きなのですよね。
藤沢市編の第4コーナーを回ったご近所の狛犬さん その35、双体庚申供養塔が登場しておしまいとなります。
長々とお付き合い誠にありがとうございました。
藤沢市内の狛犬さん詣では、怒涛の如くまだまだ続きます。
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧下さい。
・ご近所の狛犬さん その34は、こちらです。
・ご近所の狛犬さん その36は、こちらです。
では、また
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