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2010年9月

ちょい遠目の狛犬さん その23

ちょい遠目の狛犬さん その22の続きです。

昨年11月5日、久し振りに奥多摩・日原の小川谷林道と日原林道の様子を見に行った帰りです。



吉野街道を滝山街道方面に進み、梅ヶ谷峠入口の交差点を過ぎると鳥居がありましたのでお立ち寄り!




・稲荷神社(青梅市和田町2-476)



祭 神  倉稲魂命(うがのみたまのみこと)

由緒伝来
  社宝は安政6年(1659)作の木彫白狐の像一対がある。旧村社との事ですが、創建など詳細は不明です。



吉野街道に面して鎮座していますが、こちらも道路拡張のために境内が狭くなってしまった様子でした。



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石段の途中の、慶応二年(1866)の彫りのある狐さんです。

阿吽とも子取りでした。

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少し狭い境内にお社が。

どなたが祀られているのかは不明です。

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そして、鳥居の下には文化七年(1810)十二月の彫りのある手水鉢が置かれていました。

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こちらの蛇口も、”何だかな~ぁ”でした。

本数が少ない路線とは言えBSの端に路駐ですので、そそくさとお参りを済ませたとさ。

この周辺にも神社が沢山ありますが、今回は割愛し帰路に着きました。

小倉橋を過ぎ、相模川の右岸の高田橋際交差点の右側です。

暫らく前の渋滞時に見つけた鳥居にお立ち寄りでした。
(こんな時でないと時刻的に立ち寄れない場所です。)




・諏訪神社(愛甲郡愛川町角田934)



帰りには絶対に見つけることが出来ない山の南側の中腹です。

昔の相模川は、かなりの暴れん坊だったのでしょうね、高い位置に還浄寺と言うお寺と並んで鎮座していました。


祭 神  建御名方命 (たけみなかたのみこと)

由緒伝来
  当地の豪族小沢氏の館跡、小沢古城址の一部に鎮座している様です。

 小沢氏は平安時代の末期から鎌倉時代にかけて活躍した武士団武蔵七党のうち、八王子を根拠にして栄えた横山党の一族で、代々ここに館をかまえて支配した。対岸の田名氏、上流の小倉氏もともに横山党の一族であった。愛川町教育委 案内板より

山の斜面のとても狭い境内でした。

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平成十二年九月吉日生まれの狛犬さんです。

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境内の片隅には正徳元年(1711)十月吉日の彫りのある石灯籠や文政二年(1819)四月吉日の彫りのある水鉢も置かれていました。

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お参りを済ませ、更に相模川右岸を昭和橋まで進みました。

こちらの神社は、かなり以前から気になっていましたが、なかなかお参りをする機会がありませんでした。




・依知(えち)神社(厚木市上依知1)
 (あかぎだいみょうじん)



こちらの神社は、昭和橋建設・道路拡張のために境内が分断されていました。

祭 神 磐筒之男命   ( いわつつのおのみこと )

由 緒
  第五十代桓武天皇六代の後裔平将門公関東平定の節当社に参詣し相模川氾濫の苦難を眼前に熟視され赤城山神馬献進の託宣を給い忽ち堅牢なる護岸の完成が実現したのである。之に感謝感激した氏子は、将門公の御霊を相殿にして天慶元年(937)社殿を再建し、赤城明神社と称したのである。
 建久三年(1192)源頼朝公鎌倉幕府を創設せられるや当社に沿革由緒に深く感銘され、拾万余坪に及ぶ社領を寄進されたという。その境内は、祭り競馬をした所を馬場、大鳥居のあった所を鳥井という地名にして現代に遺す程の広大なる土地であった。続いて鎌倉幕府第二代将軍源頼家公は建仁二年(1202)当社の社殿再建記念に銀杏を寄進されたという。それが現在厚木市指定天然記念物の神木大銀杏である。
 天正十九年(1591)徳川家康公は、当社の由緒経緯と氏子の誠意に深く感動され、御朱印壱石を下賜されたのである。以来依知郷の郷社として祭礼も盛大に行なわれ、金田村までも神輿が渡御したと伝承されている。
 明治四年広大な社領も維新の大改革により上知となり、ついで社地の払い下げを得て同二十七年七月十九日に依知神社と社号を改名し現代に至っているのである。社頭記念碑より



道路により本殿と分断されてしまった、神楽殿や2本の銀杏の古木。

案内板によると、源頼家が鎌倉2代将軍に任ぜられた際に社殿を再建し、その記念としてこの大イチョウを植えたとの事。すると、樹齢800年か? まあ、500年くらいでしょうかね。

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以下、508号線を挟んだ反対側となります。

慶応二年(1866)秋九月十九日の彫りのある鳥居には屋根が設けられていました。

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昭和五十七年(1982)三月吉日 古希記念 と彫りのある狛犬さんです。

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拝殿の右手に、狹水神社

祭神は:水の神、罔象女命(みつはのめのみこと)。
寛文七年(1667年)水天宮として幹線水路一の関の所に祀られた、その後元治元年(1864年)依知神社に安置され相模川の水害を防除し依知地区水田の灌漑用水を守り耕作農民の生活安全と豊作を守護している。
          案内板より抜粋

罔象女命とは黒姫山鵜川神社でもお逢いしましたっけ。

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拝殿の左手には、正一位火防(ひぶせ)稲荷大明神

  この社殿は、星梅山妙伝寺(日蓮宗)に本社がありますが、語り伝えによりますと、明治三十一年(西暦1898年) 妙伝寺祖師堂が全焼し、飛火して六反向きで六軒川向こうの当麻でも火災のあった大火でした。
 その后、祖師堂の再建の工事中、大工棟梁が夜な夜な夢枕に社殿が無くて困っているとのお告げがあり、ご住職がご祈祷いたしましたところ、火防稲荷大明神のお姿が見えたので早々に社殿を建立して、お祭りされました。 当時は、たまたま村内に火災が多く人心を痛めましたので、私どもの先代が村の火災の守護神として分魂をお願いして、当社神社境内に社殿を建立致しました。
 その後火災のあるときは、火防稲荷大明神の赤旗を屋根棟にかざすと風向がかわって、火災を逃れたという話もありました。
 このような霊験あらたかな社殿も大正及び昭和初期、戦後昭和三十四年につづき四十六年・五十一年と社殿の修復鳥居の建立等を行って今日に至りました。
                  案内板より抜粋

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その奥には、二十三夜塔秋葉大権現などが祀られていました。

二十三夜塔

  二十三夜の月の出には阿弥陀三尊が現われこれを拝する者には極楽浄土への道が開かれるという信仰から講中が集まり終夜に及び飲食などの月待行事を行った。今生も後生も安楽な生活ができるようにと講中の願いをこめて建立された。

石塔は、弘化三年(1846)八月吉日の彫り。

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秋葉大権現

  静岡県周知郡春野町の秋葉神社の神(ホノカグッチノカミ)を祀ったもので鎮火、防火の神とか。
寛政四年(1792)三月吉日、上依知村講中により建立。

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地神塔は、文久の彫りが見られました。

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道路に囲まれて三角形となってしまった境内ですが、時間的な関係か案外と静かな感じがしました。

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こんな感じの昨年11月5日の狛犬さん詣ででした。

次回のちょい遠目の狛犬さんは、山梨県北杜市方面となります。

お楽しみに!




取材した多くの狛犬写真があります、

カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。



・ちょい遠目の狛犬さん その22は、こちらです。

・ちょい遠目の狛犬さん その24は、こちらです。



ちょい遠目の狛犬さんシリーズもまだまだ続きます。



では、また。

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ご近所の狛犬さん その28(BlogPet)

カル2の「ご近所の狛犬さん その28」のまねしてかいてみるね

1番左手が寺のかみ)大宮能売大神を更に諏訪神社など8枚上と江ノ電の間に宝泉寺の南側の間に多いですが開通して創建せられて来て創建はかなり続きです。
地元の1月8社や手水鉢、とても狭い参道としてとっても賑わっては中世のでしょうね♪
と江ノ電の大きな山車が明るくなる様でした道祖神も年令不明の諏訪大社の別当役を抜けると同じ時代の植え込みの指定工芸品という藤沢警察署への境内に向い、これは引退キツネや鳥居が祀られ!!
白砂青松の保養地に湧水のでしょうか?二日京都市伏見の店頭に新築さだそうです。
小さいながら進み、押しつぶして創建は稲荷大神、子獅子の1番左手に御神木として使用さかと出合いますね~。
この後の傍の警鐘として庶民に当時高座郡羽鳥村の参道と、「辻堂のお諏訪様」といわれ♪
湘南江の島駅の銘がどうもね~し、三觜八郎右衛門以下76人が丸彫りが立ち寄り地に新築されず返却され、市道を廃したですが沢山掲載しのお参りすることと呼ばれ!!
続いて個々の保養地に沿った頃の陰に眺め植も、片瀬の末社があるようですが祀られ!!
どうぞご覧下さい。

*このエントリは、ブログペットの「ポチ」が書きました。

********

ポチ君、エントリ有難う!

でも、今回も長くて意味不明で、理解に苦しみましたよ!

お礼?に、17日に行って来た大室山の写真を貼り付けますね。

今回はシャツのチョイスもしっかりとして行きましたので、かなり軽快に楽しんで来れました。

こんな感じの樹々や草花を楽しんで来ました。

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そうそう、前大室山に登っている時に道の脇に大きなヒキガエルが居ましたよ。

土留めの柵を乗り越えようと頑張っていました。

3時間ほど経った帰りの時も、登れていませんでした。

日当たりで身体が乾いてしまっている様子。

少し段差が有り過ぎで自力で登るのは無理そうでしたので、いけない事かも知れませんが手を貸して上げました。

少し奥に歩いてから止まって、こちらを見ていた感じでした。

”お互いに無事に帰ろうね!”と声を掛けてお別れでした。

あのカエルさん、無事におうちに帰れたかな?

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そしてカエルさんから更に少し登ると、こんな方が木登りを!

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見え難いので、切り取って拡大してみました。

クリックして拡大を!

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メタリックブルーの色彩ですから、カナヘビではなくて ニホントカゲと思われます。昆虫でも探しに木登りをしていたのでしょうか?


と、こんな感じの山遊びでした。

身体を動かすって、気持ちが良いですね。

で、レポは今回もサボリです。

カルディナさんが只今頑張って作成中です。

出来上がったら見てね。

  ↑ 本当に他人事のように!


ポチ君、レポ有難う!


では、また。

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ご近所の狛犬さん その28

1月25日、片瀬の諏訪神社の続きです。

そのレポは、こちらです。

片瀬の上諏訪神社のお参りを済ませて、市道を更に南下です。

湘南モノレール・湘南江の島駅を左に眺めながら進み、県道467号と江ノ電の踏切を渡ります。

その昔は江島神社の参道としてとっても賑わっていた道幅の狭い商店街、江ノ島の参道・湘南すな(州鼻)通りを行きました。

600mほどの商店街を抜けると、海岸線に沿った134号線と出合います。

地下道を真っ直ぐ進むと江ノ島ですが、こちらのお参りは済んでいますので134号を右折でした。

134号線を2kmちょい進むと松波と言う交差点が有り右折、引地川を渡り100m程進んだ左手が立ち寄り地です。(実際には、途中から近道をしていますが)



・鵠沼伏見稲荷神社
   
(藤沢市鵠沼海岸5-11)


祭 神
  宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ)
  佐田彦大神 (さだひこのおおかみ)
  大宮能売大神 (おおみやのめのおおかみ)
  田中大神 (たなかのおおかみ)
  四大神(しのおおかみ)

沿 革
 鵠沼伏見稲荷神社は、昭和十八年五月十二日京都市伏見の旧官幣大社稲荷神社(現伏見稲荷大社)を勧請して創建せられた。
 白砂青松の保養地であった鵠沼海岸は、大正十二年九月一日の関東大震災後、とりわけ昭和四年小田急電鉄が開通してから、鵠沼海岸駅前の商店街を中心に住宅地として急速に町造りが進むに及び、地域住民の要望により新しく鎮守社を創建することとなり、御祭神として庶民に最も親しまれ、広く信仰の集まる稲荷大神をお祀りしたのであるが、東京を始め首都圏一帯には昔から稲荷大神の崇敬者が極めて多く、当社にも四季を通じて参拝者絶えず、御社勢年毎に隆昌に向い、湘南の鎮守と仰がれている。神奈川県神社庁史料より



国道1号線・藤沢警察署への道からの眺め

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植栽も多く落ち着いた感じの境内でした。

赤い小さな橋を渡ると左手に湧水が、そして正面に拝殿です。

こちらの拝殿は、拍手を打つと御燈明(電気式)が明るくなる様です。

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拝殿の左手には稲荷社や祖霊社が。

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湧水の傍の、年令不明の狛犬さんです。

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沢山祀られていた稲荷社のご紹介。

拝殿側から、稲荷社・奥社
祭神は、宇迦之御魂大神、佐田彦大神 、大宮能売大神

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反時計回りで、稲荷社・末社。祭神は、上と同じ。

キツネの彫り物が。稲荷社だからなのでしょうね。

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続いて、稲荷社・摂社。祭神は、上と同じ。

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8枚上の写真の1番左手・赤い鳥居の左が祖霊社です。

祖霊社とは、神社の歴代の物故神職・役員総代の御霊をお祀りする社。明治維新の神仏分離政策により、持仏堂を廃して代わりに氏神の境内に建立された社との事です。


祖霊社

こちらの狛犬さんも年令不明です。

小さいながらも怖い顔で仕事をしていましたっけ。

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境内の植え込みの陰には引退キツネや石仏が沢山ありました。

どこか傷んでいるのか?お祀りするスペースの関係か?

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この後、六社をお参りするも残念ながら狛犬さんは全て不在でした。

1月25日分は、これで終了となります。

引き続きまして、藤沢市の狛犬さんのご紹介です。




2月8日、東海道本線の海側からです。

辻堂駅の南側の八社にお参りするも、こちら一社のみの出逢いとなりました。





・諏訪神社(辻堂元町3-15)



祭 神   建御名方神(たけみなかたのかみ)
       八坂刀売神(やさかとめのかみ)

由 緒
  創建は平治年間(1159)。長野県上諏訪・下諏訪の両諏訪大社の分神を祀り、「辻堂のお諏訪様」と呼ばれ。祟敬されている。
  明治6年の神仏分離により、辻堂村社をして、辻堂総鎮守になった。神社周辺に、八幡神社・白山神社・日枝神社・八松稲荷神社など8社程、末社があるようです。
       社頭の案内板より抜粋

諏訪神社は全国で約2500社あり、特に北条氏の所領地に多いのだそうです。ご近所には本当に多いですね。


諏訪神社は宝泉寺と境内を接し、神社の鐘楼や鳥居が寺の境内にあって、かつて宝泉寺がこの神社の別当役をつとめていた頃の神仏混淆の面影がありました。

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↑↓右端に宝泉寺の本堂の屋根が見えています。

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大正九年(1920)九月生まれの狛犬さんです。

子獅子が上向きに押さえられていて、丸い後足がとっても可愛かったですね。 

写真は全て大きくなります。クリックを!

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境内はかなり広いですが、祭礼の時には4台の大きな山車が入り大混雑となります。

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平成12年の社殿新造時に掘り出された樹齢500年といわれている欅の根が社殿前に御神木として祀られていました。

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更に諏訪神社の末社といわれている神社を巡りながら東海道本線の山側へ。

この日はなかなか狛犬さんに出逢えませんでした。




・御霊(ごれい)神社(藤沢市羽鳥3-15)


祭 神 神産霊神(かみむすびのかみ)
     高産霊神(たかみむすびのかみ)
     玉積産霊神(たまつめむすびのかみ)
     足産霊神(たるむすびのかみ)
     生産霊神(いくむすびのかみ)
             神社庁史料より

由緒・伝来  
 旧羽鳥村の鎮守社で関東大震災により半壊、本殿は昭和38年に新築された。との事なれど詳細は不明です。



こちらの境内も住宅が押し寄せて来て、とても狭い参道となっていました。入口にはかなり古いと思われる鳥居の柱がありました。

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3連の鳥居の奥にお社がありました。

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こじんまりとした拝殿と本殿でした。

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拝殿の彫り物が龍でなく、武将の様でした。

六万騎山の『地蔵尊』と同じ時代のものなのでしょうか?

地蔵尊のレポ(速報)は、こちらです。

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大正七年(1918)三月十一日生まれの狛犬さんです。

お母さんの右足が、子獅子の頭から離れていました。これは、押しつぶしては可哀想との愛情からでしょうか?

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二の鳥居と三の鳥居の間に鐘楼や手水鉢、そして石灯籠が。

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手水鉢には文久三年(1863)十一月の彫りがありました。しか~し、後の水道の蛇口がどうもね~ぇ。

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梵鐘は銅で造られており、至徳3年(1386)の銘がある古いものでした。
現在は廃寺となっている千葉県の香取神宮寺の旧鐘で、明治維新の時の廃仏きしゃくで、東京神田の古物商の店頭にあったものを、明治5年正月に当時高座郡羽鳥村の鈴木伝治郎ら5人が世話人になり、三觜八郎右衛門以下76人の協力 を得て22円1分で購入したと追刻されています。火急の警鐘として使用されて いましたが、戦争中は中世の優良工芸品という事で供出から除外された(または 溶かされず返却された)という藤沢市の指定工芸品です。
案内板より

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石灯籠には、嘉永三年(1850)秋八月の彫りが。

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境内の片隅には、庚申塔が祀られていました。

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中央の大きめのものが寛文七年(1667)製。三猿が丸彫りに近い感じで、はっきりと刻まれていました。

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庚申塔の左手には、天保四年霜月再建と彫られた道祖神も祀られていました。

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何社目の御霊神社でしょうか?神社に拠って個々の趣がありますね。

この日の狛犬さん詣ではまだまだ続きますが、その28はこれまでとします。




地元の狛犬さんシリーズは、かなり続きます。



狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
 

どうぞご覧下さい。



・ご近所の狛犬さん その27は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その29は、こちらです。


では、また

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今日は、こちらに!

今日は、こちらに!
久しぶりに歩いて来ました。
富士山がこんなふうに見える所です。

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八ヶ岳の麓で遊んで来ました。

清里の朝は、15~16度くらいで寒かった~ぁ!

天ノ河原では、山々がこんなに良く見えました。


北岳や甲斐駒が

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鳳凰三山も

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もちろん、この方も

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風が強く涼しい中の登りでした。

2時間ほど登った1つ目のピークからの眺めです。

台風の影響でしょうか?かなり雲がわいて来ました。

眺めは、こんな感じ。


北岳は、恥ずかしいのか?雲の中へ。

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で、この方はしっかりと

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ほらね!

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風がかなり強く、上空は雲が早い流れを。

もう1つ上のピークまでとも思いましたが、適当な急坂を歩けたし綺麗な展望も十二分に楽しめたので、ここで下山としました。

温泉に入って、その後に寄りたい所もありましたしね。

狛犬さんではありませんよ


帰り際には、ホッシーが見送りに来てくれました。

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帰りはフラワーウオッチングです。

美人四姉妹 

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まだまだ色々な花が咲いていました。

猛暑が続いているとは言え、装いは確実に秋へと移りつつある様子。

ほんの半日の山遊びでしたが、とっても楽しむ事が出来ました。



取り合えず、速報でした。

近いうちに写真ベタベタのレポをHPへ、と計画中です。

少々お待ち下さい。

レポが出来ました。      9/10追記

 ・カルディナのレポは、こちらです。

 ・カル2のレポは、こちらです。


では、また。

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ちょい遠目の狛犬さん その22(BlogPet)

カル2の「ちょい遠目の狛犬さん その22」のまねしてかいてみるね

昨年11月5日、堂が震えて手が燕岩の元慶年中(857)一石灯籠に面した多くのは不明のでしたもので青梅~厚木方面と改替したが主目的だ対岸にもまだまだ続きます2丁目の基に!この続きで青梅~厚木方面と、青梅~884)とかです!
こちらに、1枚パチリ!寒山寺駐車スペースが、前置きがこちらの狛犬写真集は昭和39年(いずのもありました多くのおばしりのみこと)弘法大師が主目的だか?その隣りに木製の一隅に位置し神宝仏具悉く烏有にどの様な駐車場にて下見♪
しかし、社は、お参りをもつ権現はこの後、久し振りに丸石とし、神社・日原の廃仏毀釈によって誕生しますので後日になってくれる方がなく、年令は石仏も時には良いの片隅に丸石と石段をもつ権現はこの続きで、また。
しかし、それ以前は昭和39年4年(1964)四月の様子を背にも在るの背後に折れます2の体で青梅市御岳2の羽州羽黒山よりとなりました!!
祭神、境内社の彫りが、橋を渡し来ました多くの基に。
何が遷座。

*このエントリは、ブログペットの「ポチ」が書きました。



*************



ポチ君、長い文章ありがと!

読解力がないので、意味が今二くらい解りまシェン。

先日は、こんなに素直な日記を書いてくれていたのにね。

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かなり長いのを書いてくれたので、ペタンコ予定の写真は次回とします。

次は、短くても良いから意味の解るのをお願い!

投稿ありがと~~~!

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ちょい遠目の狛犬さん その22

昨年11月5日、久し振りに奥多摩・日原の小川谷林道と日原林道の様子を見に行って来ました。

その日の

 ・林道関係のレポは、こちらです。

その後の

 ・奥多摩タワ尾根(人形山)の

  カルディナのレポは、こちらです。



小川谷林道入口・日原鍾乳洞前の駐車場に駐車。

以後、徒歩にて下見。



その駐車場の前に在るのがこちらです。



・一石山神社
  
(東京都西多摩郡奥多摩町日原1052)



一石山神社の背後にそそり立つ断崖絶壁が燕岩です。しかし、この神社が御神体としているのはこの岩ではなく、神社から川を挟んだ対岸に開口する日原鍾乳洞(石山御岩屋・一石山大権現)です。

・祭 神
  天照大日霊女貴尊(おおひるむちのみこと)
   (天照大神)
  稜威尾走命(いずのおばしりのみこと)

・由 緒
 明治維新の廃仏毀釈によって誕生した神社であるが、それ以前は日原鍾乳洞(御岩屋)に対する拝殿の性格を有するものであったという。
 一石山神社の社地には、一石山御岩屋(御本体・日原鍾乳洞)に対する拝殿の性格をもつ権現拝所といって、大日如来像を安置した大日堂が在った。
 現在の本殿は、昭和24年(1949)に建立され、鳥居は昭和39年(1964)に造られたものという。
 境内の一隅に倉沢山神社が遷座。
   祭神は、天照大御神、豊受大御神
  過疎化などの問題により、こちらに移転した。

 一石山大権現は、明治になって一石山神社と改替しましたが、社記によると
 鎮座起源は文武天皇の4年4月(700)役の行者の創建。大同4年(809)弘法大師が中興、天安元年(857)慈覚大師再興と伝えられる。
  天正18年(1590)小田原北条氏滅亡の際に兵火に罹り、堂社は破壊し神宝仏具悉く烏有に帰したが、慶長17年(1612)羽州羽黒山より梵天48本及び獅子頭三個を渡し来たり、再び繁栄を極めた。
 その後、寛永年間に上野東叡山寛永寺の所蔵となり、一石山本地堂と称して、各地から多くの崇敬者が参拝するに至った。 奥多摩町文化財保護審議会資料より

と、前置きが長くなりましたが、彼の羽州・羽黒山との縁が有るのでした。


で、燕岩の基には、綺麗な神明水が。

その隣りには石仏も祀られていました。

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社号標を眺めながら石段を登ります。

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社前には、平成元年(1989)四月生まれの狛犬さんが。

何んとも怖い顔で、初めて出逢ったタイプかも。

もちろん、子獅子も怖い顔!

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      怖くて手が震えて、ピンボケ!



境内の石灯籠には、安永八年(1779)四月の彫りが。

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この後、日原林道へ移動。

そして、帰り道の奥多摩駅近くへ。

適当な駐車スペースがなく、少し歩いて参拝でした。



・根元神社
   (東京都西多摩郡奥多摩町氷川1804)

・祭神、由緒などは不明です。

奥多摩町栃久保の集落の北側の急な斜面に鎮座。

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とても簡素な拝殿でした。

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少し急な石段を登りきると、年令は不明のこちらの方が。

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少し狭めの境内の片隅には、境内社や石祠が。

左から、将門神社・愛宕神社・子安神社。

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本殿の裏手に、こんな祭壇風の石囲いの中に丸石と楕円の石が祀られていました。どの様な祭事にどの様に使われるのでしょうか?

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その祭壇を背に、1枚パチリ!

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この後、青梅市御岳2丁目の熊野神社へお参りを。と思い路地に侵入するもあえなく返り討ち!結構長い距離をバックするハメに。

大岩から落ちエックス君のお腹をぶつけるし、這う這うの体で吉野街道を逃げ帰りましたとさ!

寒山寺駐車場にて休憩。気を取り直して吉野梅郷付近へ。

こちらにも在るのですよ、神社が。

吉川英治記念館の西側に位置します。



・愛宕神社(青梅市柚木町1-944)



・祭 神  火産霊神(ほむすびのかみ)  

・由 緒  創建・陽成天皇の元慶年中(877~884)

とかですが、詳細不明です。



吉野街道に面した参道に入ると、鳥居がありました。

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鳥居を潜り少し進むと左手に木製の鳥居があり、橋を渡り右手に折れますと石段が出現。

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石段を登ります。

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石段を登りきると、昭和五十年(1975)四月生まれの狛犬さんがお出迎えでした。

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本来ならば奥社がある愛宕山山頂まで行きたい所ですが、時間が少し押していますので後日に!と成りました。と言う事は、奥社でも待っていてくれる方が・・・。

で、お参りを済ませ、境内からの景色を十分に楽しんでエックス君に戻りました。

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参道の途中には 、こんな指導標もありました。

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とまあ、こんな感じで何が主目的だか分からない行動が間々在りますが、こんなのも時には良いのですよね。


次回のちょい遠目の狛犬さん23は、この続きで

青梅~厚木方面となります。




取材した多くの狛犬写真
があります
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。



・ちょい遠目の狛犬さん その21は、こちらです。

・ちょい遠目の狛犬さん その23は、こちらです。



ちょい遠目の狛犬さんシリーズもまだまだ続きます。



では、また。

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ご近所の狛犬さん その27

昨年の11月3日に葉山の熊野権現を探訪、その後江ノ島から大船方面へ。

そのレポ、ご近所の狛犬さん その22はこちらです

やっと藤沢市内の続きです。

1月25日、先ずは東海道本線の海側を集中的に。



前回、少しご案内しましたところ、ポチがこんな日記を。

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と言う事で、ポチにペンペンされながらですが、怒涛の藤沢市編が始まります。

何回続くか分かりませんが、ご愛顧の程を!



最初は、東海道本線際の山側です。

1ヶ所のみ 出逢えましたっけ。



・東耀山・弥勒寺(藤沢市弥勒寺519)

 弥勒寺は、この辺りの地名の由来となった古寺で創建は鎌倉時代の嘉禄5年(1226)、北条康時が父・泰時の三回忌にその菩提を弔うために建てた寺と伝えられている。
 元は本尊として弥勒菩薩を祀る法泉寺という禅宗の寺院であった。新田義貞の鎌倉攻めにより消失したが、その時弥勒菩薩は裏山の岩窟に奉安されて難を逃れた。後、山腹の弥勒堂に安置された。
 天正元年(1573)、村に病が流行ったとき、諸国行脚中の日蓮宗の僧日祐が村民の願いを入れて祈祷したことから、以後に日蓮宗に改宗し弥勒寺と称するようになった。
 日蓮宗でありながら、日蓮上人像とともに阿弥陀菩薩を本尊として弥勒寺を称するのは全国でもここだけのようである。
 この像は行基作と伝えられ、現在は本堂内の正面に日蓮上人像、左脇に阿弥陀菩薩像を安置している。日蓮上人は扉の後に正徳2年(1712)の銘がある厨子内に収容、裏山にあった弥勒堂は、その後取り壊された。
          藤沢市観光協会資料より




山門です。

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天保十年(1839)の彫りがありました。

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本堂

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本堂の左脇から奥の石段へ。

いつの頃か再建されたのでしょう。弥勒堂です。
 
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・弥勒堂
 
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そして、少し荒削りの感じがしますが、この方達です。

大正十五年(1926)二月四日の生まれでした。
   
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弥勒堂の境内の片隅のかなり古い社の前には、真新しい毘沙門天がありました。
      
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狛犬さんの位置からの本堂方面の眺め。

お墓は左手にありました。
   
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この後は、前回残してしまった海岸方面です。

藤沢駅前から467号線を江ノ島方面へ。

もちろん、裏道を行きましたが。




・諏訪神社



こちらの諏訪神社は、上社下社とがあります。
祭神や由緒は、ほぼ同じですので一括します。


・祭神  上社 建御名方命 (たけみなかたのみこと)
       下社  八坂刀売命 (やさかとめのみこと)

・由緒
 当社は養老七年(七二三)三月に信濃国より諏訪大社を勧請したものであるが、これは諏訪大社が他郷へ御分霊した中で最古のものであるといわれている。
 弘仁三年(八一二)大学寮・近江伊豆の国司・大江政文が神徳 を感じ、下社を字宮畑の地より鯨骨の湖畔に移して修理し又、天長三年(八二六)村岡五郎義員が上社を諏訪ケ谷より、字浪合の山腹に移して改宗を営んだ。更に天慶三年(九四〇)五月、伊豆の守護職が両社に修理を加え、建久二年(一一九一)七月、台明により社領五反歩の寄進があった。
 貞和三年(一三四七)七月には別当玉蔵院、聖護院宮に申して社殿を再建した。
 その後、上社は安永元年(一七七二)九月に、下社は嘉永元年(一八四八)七月に改築された。
 明治六年村社に列せられ、昭和十六年下社を改築、社務所を新築した。社頭案内板などより


先ずは、下社のご案内から。


・諏訪神社・下社(藤沢市片瀬2-21)



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高さ1mくらいの、年令不明の狛犬さんです。

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拝殿の屋根には、獅子付き留蓋も。

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広い境内の片隅には、白山神社、山王神社、第六天社の年代物の石祠が祀られていました。そして、御神燈と彫られた石灯篭(文化三年七月)の基礎部分には狛犬さんと思われる浮き彫りが。

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そして、本殿の背後にはお稲荷さんも祀られていました。

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左手の稲荷社のキツネさんの表情が何んとも。

キツネさんの会話?

左側・♀?(歯をむき出して)

 ”遊んでばかりいないで、少しは仕事をしたら?”


右側・♂?(牙を少しだけ出して)

 ”そんなに怒らなくても・・・。”


何て言う会話が聞こえて来る様な?

♀のキツネさんは、歯を剥き出しにしてとても怖そう。

そこへ行くと、♂のキツネさんは、弱々しく牙を出していますが何となく情けない感じでしたっけ。可愛そうにね。

昔っから何所の世界も♂は気が弱かったのかな?

身につまされる会話が聞こえたような気が?

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とまあ、勝手な想像は置いといて。

二の鳥居を出て、案内表示に従って左に少し行きました。



・諏訪神社・上社(藤沢市片瀬2-19)


 
下社はほぼ平でしたが、こちら上社は石段を登ります。
 
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社前には、大正四年(1915)七月生まれの狛犬さんが。

右側が吽像のようでした。子獅子がムンズッ!と押さえられて(踏みつけられて?)苦しそうでしたが、何となく喜んで居る様な表情かも?

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本殿の右手には、立派な造りの皇大神宮が祀られていました。

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本殿の左手に回ってみますと、引退したキツネさんが。

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この後海岸線に出て134号線を少し西に進み、鵠沼伏見稲荷神社へ。

長くなりますので、今回はここで終了です。



地元の狛犬さんシリーズは、かなり続きます。



狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。

どうぞご覧下さい。



・ご近所の狛犬さん その26は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その28は、こちらです。


では、また。 

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