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かなり遠目の狛犬さん その1

念願の東北遠征に行って来ました。

先ず1日目は、\千割引を使って弘前へ。

途中の山々は、頂に厚い雲が。
非常に嫌な感じの中の乗り込みと成りましたが、下界は晴天で非常に暑い日でした。

大鰐弘前ICで降り、7号線を北上。
弘前高校そばのある所に寄り道のため、堀越交差点を左折。
すると、木製の鳥居が見えてしまいました。
良い感じの古い木の鳥居で、すぐさまお立ち寄り!



・熊野宮(弘前市堀越柏田243)


・祭 神 
  伊邪那岐神 (いざなぎのかみ )
  伊邪那美神 ( いざなみのかみ )
   (相殿 倉稲魂神・うかのみたまのかみ)
        (お稲荷さんの祭神)

・由 緒
 古くは熊野大権宮と称されていた。 慶長七年 (一六〇二年)、 当時の堀越城主津軽為信公により勧請され、 御供田は境内の岸に六反、 松木平に二反、 松之木村の岸に四反、 計一町二反を所有していたが、 明治初年の諸制度改変により失う。 社殿は、 為信公居城本丸跡 (国の史跡指定) に鎮座している。  青森県神社庁資料より


木製の鳥居を潜り、細い道を更に進むとかなり広い境内の広場?が有りました。

帰宅後知ったのですが、かなり重要だった城跡の地に建てられていた様です。何も知らずにお参りを済ませて、先に進んでしまいましたとさ。

津軽藩祖為信が天正18(1590)年に豊臣秀吉から津軽本領安堵の朱印状を受け、さらに同年(一説には文禄元年)に前田利家らの検地によって津軽三郡合浦一円の4万5千石の所領が確定し、大名の身分となったが、同時に姓を大浦氏から津軽氏に改め、本城を大浦城からこの堀越城へ移した。以来、慶長16(1611)年に2代信牧が新城の高岡城(後の弘前城)に移るまで、津軽藩の政庁であったからである。日本城郭体系2より



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東北の神社には駒が祀られているのを目にしますが、こちらにも3頭が。
昭和18年(1943)4月14日生まれ。
(阿側のみH.11.7.再建)

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拝殿前に2対の狛犬さんが。
1対目が、昭和3年(1928)旧3月3日生まれ。

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拝殿側が、明治42年(1909)旧10月5日生まれ。

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傍らの山の神宮にも狛犬さんが祀られていました。
やはり、どちらの山の神様も別格なのですね。
昭和6年(1931)生まれでした。

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中々感じの良い笑顔の狛犬さん3対に出逢えて幸せ???な気持ちでした。

静かな境内には2cmほどに育った栗の実がたわわに。そして住人なのでしょうか国道沿いの神社の境内なのに、カッコウが鳴いていました。

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気持ち良くお参りを済ませて、1番目の目的地へ。
地理が分かりませんので、ナビ様の仰せの通りにでした。
最勝院境内の駐車場に停めさせて頂いてお隣へ。




・八坂神社(弘前市銅屋町80)


・祭 神 
     須佐之男命(すさのおのみこと)
     奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)
     草野姫命(かやのひめのみこ)
     菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

・由 緒
  当社はもともと大円寺別院、 牛頭天王と称し、 旧津軽藩公代々藩主が悪疫封滅の祈願所として尊崇篤かった。 明治四年八坂神社と改称される。 八坂神社の社号に転じ、 大円寺別当増田精一が社人として奉仕せられた。 明治四年社殿を御造営 (氏子中一同)
昭和二十一年九月二十四日全社殿を焼失せり、 昭和二十四年本殿、 拝殿を造営し、 昭和二十五年社務所を新築現在に至る。 青森県神社庁資料より


かなり広い境内で、静かな良い雰囲気を醸し出していました。

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久し振りに出逢ったブロンズ製の狛犬さんです。
昭和11年(1936)7月生まれでした。
吽像は、平成5年に改修されたそうです。

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境内から、お隣の最勝院の五重塔が綺麗に見えていました。

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八坂さんのお参りを済ませて、お隣のこちらへ。




・最勝院(弘前市大字銅屋町63)



・由緒沿革

 最勝院(以下当院)は具には金剛山光明寺最勝院と号す。この名称の起源は、『金光明最勝王経』という仏教教典に由来し、五穀豊穣、
国家安泰等の深い願いが込められている。総本山は京都市東山の智積院、宗派は真言宗智山派の密教寺院である。本尊は金剛界大日如来秘仏として五智如来猫突不動明王文殊菩薩聖徳太子牛頭天歓喜天(聖天)、 青面金剛、如意輪観世音菩薩等を祀る。金剛山 最勝院のHPより


大きな新仁王門へ。

(大きすぎて写真を撮れませんでした。

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仁王様にご挨拶をして門を潜ると、参道の両側に三十三観音が安置されていました。

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ヒバで造られた水屋は平成16年に完成したそうで、台輪上の東西南北四方の中備の鬼が天井の梁を支えていました。
水屋の一角には『輪廻塔』があ り、廻しながらお願い事をして来ました。

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護摩堂は、旧大圓寺の本堂だったとの事です。

こちらの狛犬さんはユニークな形状で、台座には文久元年(1861)5月の彫りがありました。残念ながら吽像の顔に欠損が。

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六角堂(如意輪観世音菩薩堂)の年令不明の狛犬さん。

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そして、国の重要文化財指定のもとしては、日本最北端に位置する五重塔です。とっても優美な塔でした。

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とこんな感じで東北遠征は始まりました。

この後、かの有名な桜のお城・弘前城へ。
もちろん桜は咲いていませんでしたがね。


かなり遠目の狛犬さん その2に続きます。

少々お待ち下さいね。 やっと出来ました。7/28

では、また。

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コメント

ヒサさ~ん、お帰りなさいっ!
そして、ただいまっ!
応援有難う!無事に帰って来れました。

はい狛駒さん?が居ましたよ。
何かのお祝い?に献上されたのでしょうね。
昔からとっても大切にされて、家族同様かそれ以上の存在だったのでしょうね。
狛犬さんの表情が何となくホッコリする感じでした。
モブログにてご紹介した、是非とも逢いたかった岩木山神社の狛犬?さんが、何んとも不思議な感じでした。
まるで木登りの好きな動物みたいでした。

レポは少~~~々お待ち下さいね。
そうそう、ヒサさんちに『ノコギリ』をもって伺わねば!
高~~~い位置に在るのを下に降ろさねば!

投稿: カル2 | 2010年7月27日 (火) 22時41分

カル2さん、お帰りなさい。

へー、東北の神社にはお馬さんがいるんですね。
そういえば、信州の穂高神社にもお馬さんがいたような記憶が・・・。

狛犬さんたちも優しい感じで好きです。

お山のレポも待ってまーす。
と、自分のことは高~い棚にあげておいて、
ちょっと催促してみる。

投稿: ヒサ | 2010年7月27日 (火) 00時13分

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