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ご近所の狛犬さん その26

昨年最終の狛犬さん詣ででした。



・寒川神社(高座郡寒川町宮山3916)



・祭 神 寒川比古命(さむかわひこのみこと)
       寒川比女命(さむかわひめのみこと)

祭神二柱をたゝえて寒川大明神又は、寒川大神と称されていますが、古くより諸説がありました。古くは寒川神といわれていますが、近世には八幡神、あるいは菊理媛、素盞鳴命、稲田姫尊と称され、一定ではありません。

・由 緒
関八州鎮護の神として古くからこの地方の名祠とあがめられている。
即ち総国風土記によると、約千五百年前雄略天皇の御代に幣帛を奉納せられたとあるので、当時既に関東地方に於ける著名の神社として遠近に知られていたことが明らかであり、従って創建の極めて古いことと、往古から朝野の崇敬殊に厚いこととが知られる。
桓武天皇の延暦七年五月をはじめとして、御歴代奉幣、勅祭を行わせられたことは史上枚挙に遑まがない。仁明天皇承和十三年以来、数次に神階の奉授があり、更に醍醐天皇の御代に制定された延喜式では、相模国内唯一の国幣の大社と定められ、特に名神祭に預る名神大社にも列せられた。
斯く皇室の御尊崇厚きは勿論、一千数百年の昔から相模国の一の宮、総鎮守として士民信仰の中心となり、源頼朝・北条義時・同重時等屡々社参神宝を奉納し、小田原北条氏も累代社殿の造替、社領の寄進等怠りなく、武田信玄の信仰も殊に厚かった。

明治4年國幣中社に列せられましたが、明治7年には『特選神名牒』の選があり、その際皇太神宮儀式帳に所載される末社牟彌乃神社(むみのじんじゃ)の御祭神が寒川比古命・寒川比女命であることにより、新たに御祭神にこの一説が加えられ、明治9年『官社祭神考證』により当社の御祭神は寒川比古命・寒川比女命の二座とせられました。
大正5年12月、内務省通牒により、当社の御祭神は寒川比古命・寒川比女命二神とされ、今に至っています。 神社HPより


年の瀬が近い12月18日の探訪です。
お正月の準備に入っている様子で種々の作業をされていました。



三の鳥居と太鼓橋ですが、目の前が交差点となっています。
一の鳥居は銅製、二の鳥居はコンクリート製でかなり大きさです。

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神門の前に、狛犬さんが鎮座。

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神門から本殿はこんな感じに。そして、大きな本殿。

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かなり大きな狛犬さんで、平成6年(1994)中秋生まれ。御大典奉祝祈念の彫りがありました。

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鎌倉の鶴岡八幡宮の狛犬さんと同じ位の巨大さでしょうか?

で、阿・吽ともに♂でしたよ。それもかなりご立派な・・・。

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ね~ぇ!



と言う事で、この後所用を済ませて更にお参りです。
寒川神社から南東方向1.5キロくらいの位置です。
江戸から御殿場に通じる旧東海道・大山街道の県道44号線に面して鳥居が有ります。この付近は江戸時代には宿場町として、27ヶ村の寄場として殷賑を極めたとの事です。




・八幡大神(高座郡寒川町一之宮1-21)
 (一之宮八幡大神)


・祭 神 
  誉田別尊 (ほむだわけのみこと)
  大日・貴神 (おおひるめむちのかみ)
  稲倉魂命 (うかのみたまのみこと)
  大山咋命 (おおやまくいのみこと)
  奥津比古命 (おきつひこのみこと)
  奥津比女命 (おきつひめのみこと)
  大雀命 (おおささぎのみこと)
  菅原天神 (すがわらてんじん)   

・由緒沿革
 元禄十(一六九七)年八月の創立と伝えるが、平安時代の和名抄に「佐牟河波伊知乃三夜牟良(さむかわいちのみやむら)」と記されていることから、古くより奉祀されていたと推定される。爾来武門・上下の尊崇をうけ、明治元年の神仏分離令により妙光寺持より村持となり、社格制度制定により同六年、村社に列せられる。更に村内の数社を合祀し、社殿を再興、屋台三基(町文化財指定)を奉製し神事殷賑を極める。大正十二年、関東大震災により建物一切倒壊するが、同十五年、本殿他を再建す。昭和二十年の終戦により宗教法人となる。同四十五年、屋台保存殿を新築、同五十八年十二月、社殿の屋根葺替並改築・神楽殿、社務所の新築に着手し、氏子崇敬者の浄財により同五十九年六月、完成し、本遷座祭並奉祝祭を齋行す。    神社庁資料より

44号線からの眺め。

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二の鳥居?と本殿。

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こちらもお正月の準備が進んでいました。
一之宮八幡大神の社号標。

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拝殿の彫刻が立派でした。

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そして本命のこちらは、昭和31年(1956)1月生まれの狛犬さん。

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8月上旬の例祭の宵宮には一之宮の東・西・北の3町の屋台が各町内から八幡大神をめざして巡行している。これを屋台神賑行事といい、寒川町指定重要文化財となっており、かなり盛大に執り行われる様です。

境内の片隅にはかなり古い石祠や石塔が祀られていました。

左端の石灯篭・安政6年、堅牢地神塔・文久元年4月、二十三夜供養塔・嘉永5年3月、石祠・文化7年12月との彫りがありました。

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一番右の男女の単身2神は、欠損により天保までしか判読できませんでした。(町資料に天保十二丑正月吉日とあり。)

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少しずつ傷みが増して来て、時代とともに朽ちていくのも仕方がないかもしれませんね。


さらに2社をお参りするも、残念ながら狛さんは不在でした。
この年最後の神社にお参りです。
八幡大神から44号線をさらに1キロほど南東方向へ。
県道から少し入った静かなところに在りました。



・十二神社(高座郡寒川町大曲1-16)


・祭 神
  国常立神 (くにのとこたちのかみ)
  豊雲野神 (とよくもぬのかみ)
  宇比地迩神 (ういじにのかみ)
  須比地邇神 (すいじにのかみ)
  角杙神 (つぬくいのかみ)
  活杙神 (いくくいのかみ)
  意富斗能地神 (おおとのじのかみ)
  意富斗乃弁神 (おおとのべのかみ)
  淤母陀琉神 (おもだるのかみ)
  阿夜訶志古泥神 (あやかしこねのかみ)
  伊邪那美神 (いざなみのかみ)
  伊邪那岐神 (いざなぎのかみ)
  天照大神 (あまてらすおおみかみ)
  天忍穂耳命 (あめのおしほみみのみこと)
  瓊瓊杵命 (ににぎのみこと)
  彦火火出見命 (ひこほほでみのみこと)
  鵜草葺不合命 (うがやふきあえずのみこと)

・由緒沿革
  新編相模国風土記稿に「十二天社 社頭に安永八年(1779)の鐘あり、岡田村宝幢院持」とあります。明治維新の際、十二天社を十二神社と改称しました。明治42年荒廃神社併合が国で決められた時、神社を存続させるためにはやむを得ないと反対を押し切って神輿を180円で売却し、神社を存続させた石塚善太郎氏の功績は今も語り継がれています。寒川町資料より


住宅が押し迫ってきている感じの境内でした。

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昭和54年(1979)12月生まれの狛犬さんです。

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台座の後ろ側にこんな文字が彫られていました。

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阿像側

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吽像側

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唐獅子や みたまと共に とこしえに

  まもりつけよ このみやしろを

です。(吽像側)

そして、氏神様を七十余年も護り続けた方が建立されたのでしょうか?
それとも、その方への感謝の念を表しているのでしょうか。


何んとも言えない心に沁みる言葉で、2009年の狛犬さん詣での締めくくりとなりました。


ご近所さんのシリーズ、2009年はこれで終了です。

が、ちょいと遠目の狛犬さんご紹介が残ってしまっています。
7月分を只今作成中です。
いよいよ周回遅れとなって来てしまいそうです。



ご近所さんシリーズもまだまだ続きます。



狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。

どうぞご覧下さい。



・ご近所の狛犬さん その25は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その27は、こちらです。


では、また。 

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