ご近所の狛犬さん その23
昨年の11月3日の続きです。
東海道線沿いの「御霊神社」をお参り後、柏尾川を渡り上町屋へ。
深沢のJR鎌倉総合車両センター(国鉄大船工場と言った方が分かり易いかも知れませんね)の跡地北西端へ移動でした。
この付近には、新田義貞の鎌倉攻めで有名な『洲崎古戦場跡』や宝篋印塔がすすり泣くと言われている『泣塔』等もあります。
・天満宮(鎌倉市上町屋山ノ根616)
・ 祭 神 菅原道真 (すがわらのみちざね)
・ 由 緒
上町屋の氏神。
天慶年間(938~947)上総介平良文が霊夢を受けて天神をこの地の鎮護として祀ったのがはじまり。
石造庚申塔(寛文十年 1670年)は市指定文化財。
神社庁資料より 素っ気無いこと。
やや狭い境内です。
大正15年(1926)9月生まれの狛犬さんです。
高さが40cm位で、吽像が右でした。
子獅子の顔が何んとも とぼけて!
松尾社、稲荷社、神明社が末社として祀られており、拝殿に向かって左手にはかなり古い石塔も祀られていました。
右が正徳二年(1712)七月十五日の彫りのある半肉彫の神像碑、左が寛文十年(1670)九月吉日の彫りがある庚申塔。(市の有形民俗文化財)
夕暮れ近くなって来た境内でした。この後、湘南モノレール(大船~江ノ島)沿いの道を大船方面に移動。この付近は小さい頃に姉の家に泊まりに行き、東海道線の列車を観たり近くの小山で砂岩の化石掘りをした思い出深い所です。
・北野神社(鎌倉市山崎宮廻り736)
(山崎天神)
・ 祭 神 菅原道真
・ 由 緒
歴応年間(1338~1342)夢窓疎石が京都北野天満宮を勧請したと言われている。
貞治元年(1362年)円覚寺塔頭黄梅院主が再建。江戸時代に村の鎮守になった。
菅原道真没後1,000年に当たる明治35年(1902年)神殿を修復して盛大な式典が行われた。
宝篋印塔(市指定文化財)があり塔の上の相輪部を取ると笠部の中心にへこみがあり、そこにたまる水を目につけると眼病が治ると言われています。
岩瀬村の五所明神に合祀されていた相殿の牛頭天王は延宝年間(1673~1681)に、神託により当社に合祀された。
拝殿には牛頭天王を祭った神輿がある。
神社庁資料などより こちらは少しだけ良くなって来た?
長い石段を登り木々が茂った道をジグザグに進み、再度石段を登ると拝殿でした。
石段を登りきった鳥居の前にはこんな狛犬さんが。
台座には、明治35年(1902)3月25日の彫がありました。その昔、半世紀ほど前に遊びに来ていた頃には狛犬さんも健在だったのでしょうが、今一記憶にありません。
もっとも、子供の頃から狛犬に興味があったらかなり変ですよね。
狛犬さんにお別れをして、東海道線やモノレールの音を聞きながら大船駅方面に移動です。
大船駅の東海道線藤沢方の踏切りの山側で、こんな感じに大船観音が見える所です。
(写真は12月に撮りました)
・塩竃神社(鎌倉市台1ー5)
・ 祭 神 塩土老翁神 (しおつちのおじのかみ)
武甕槌神 (たけみかずちのかみ)
経津主神 (ふつぬしのかみ)
・ 由 緒
徳川末期の頃に当所の娘が仙台公に仕え、塩釜神社を崇敬すること頗る厚く、帰郷するにあたってその御分霊をいただき、小祀を建て崇敬の至誠を捧げてきたが、明治に入り国鉄の開通とともにその分岐点として栄えるに従って近隣住民も崇敬の念を持ち、氏神樣と仰ぎ今日に至った。 神社庁資料より
場所柄、かなり狭い境内です。
45cmほどの小さめで、目に愛嬌がありました。
少しヘチャムクレ?の子獅子さんにお別れして、長かったこの日の狛犬さん詣では終了となりました。
この日はこれで終了なのですが、7月にお参りした鎌倉市材木座の「五所神社」のご紹介がまだでして、今後暫らくの間は鎌倉市の神社の順番が来そうにありませんので今回追加でご紹介。
7月11日、葉山町の狛犬さんを訪ねた帰り道にお参りしました。材木座の大町寄りに在ります。
・五所神社(鎌倉市材木座2-9)
・ 祭 神 大山祇命 (おおやまつみのみこと)
天照大御神 (あまてらすおおみかみ)
素盞嗚命 (すさのおのみこと)
健御名方命 (たけみなかたのみこと)
崇徳院霊 (すとくいんのみたま)
・ 由 緒
当社鎮座地は、古くは乱橋村と材木座村とに分かれていた。乱橋村には三島神社、八雲神社、金刀比羅社の三社が鎮座し、材木座村には諏訪社と視女八坂社の二社が鎮座していた。
明治初年に村が合併し、乱橋材木座村となった。
近年さらに材木座と改められた。
相模風土記稿に「三島社村持」とある如く、村の中心的社であったので明治六年、村社に列格された。明治四十一年に他の四社が合祀され、五所神社と改称した。
大正二年神饌幣帛料供進神社に指定された。
神社庁資料より
参道の突き当りには立派なお神輿が収められており、その前を左に折れると拝殿でした。お神輿は寛永19年(1642)修造の棟札があるそうです。
境内には、2対の狛犬さんが待っていてくれました。
2対とも、阿像が子取りでした。
1対目の昭和59年(1984)12月生まれの狛犬さん。
2対目の大正6年(1917)6月生まれの狛犬さん。
子獅子が鞠で遊んでいるのは初対面かも?
2対目の狛犬さんを背にした眺め。
正面神輿庫の右に「不動種子板碑」のお堂も見えています。石段を登った左右には数多くの庚申塔がありました。
不動明王石碑には弘長2年(1262)の銘があり、国の重要美術品に指定されているとか。綺麗な状態が保たれていました。
(案内板はかなり拡大できます。クリックを!)
稲荷社のキツネさんは、上2枚が昭和12年(1937)4月生まれ、下2枚は不明でした。
庚申塔群です。何故か「摩利支天像」が1体ありました。
その左隣りが寛文十二年(1672)の建立の庚申塔です。
上辺に日月、中央に「奉造立帝釈天王(玉)」と刻み、中ほどの両端に鶏を配しています。下部には三猿が厚肉彫でなされています。
境内の片隅には「疱瘡神」や各神社の板碑などが多く祀られてもいました。
ご近所の狛犬さん その23と追加分のレポはこれで終了となります。
長々とお付き合い有難うございました。
が、シリーズはまだまだ続きます!
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集に沢山掲載しています。
どうぞご覧下さい。
・ご近所の狛犬さん その22は、こちらです。
・ご近所の狛犬さん 特別編(中華街編)は、こちらです。
・ご近所の狛犬さん その24は、こちらです。
では、また。
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