2もほしいかな(BlogPet)
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ちょい遠目 その16の続きです。
「八坂神社」のお参りを済ませて、あちこちに立ち寄りながらも県道709号線を更に南下です。
小田原厚木道路を潜ると直ぐに駐在所がありますので左折、100m足らずで「白髭神社」に着きます。
・白髭神社(小田原市小船669)
・ 祭 神 猿田彦命 (さるたひこのみこと)
・ 由 緒
文治年間(鎌倉時代初期)に記されたという神社縁起によれば、行基菩薩が東国行脚の際、当地小竹山頂に地蔵堂を建立した。その後、伊勢神宮の神官玉串某なる者が、仏門に入って、広瀬入道実応と名乗り、諸国行脚の砌り、この地蔵堂に寝宿したところ、その夜、白髭の夢を見たという。そこで、九寸五分の御神像を彫し、社殿を造営して、元慶元年(八七七)九月九日に盛大な鎮座祭を行なったのが白髭神社の起源とされている。
その後、幾星霜。社殿も荒廃してしまったが、現宮司中村氏の祖といわれる松浦四郎入道綱泰が近江国滋賀郡にて白髭の霊夢に感応して、はるか相模国中村郷に来て白髭神社再興を発念した。時の中村庄司宗平は、入道綱泰の支援を惜しまずついに壮麗なる社殿、楼門等を再建することができた。また、建久二年(一一九〇)六月、源頼朝から神領を寄進され、暦応二年(一三三九)、足利尊氏から御教書を下賜されるなど各武将の崇敬が篤く、この地方の総氏神として尊信された。
毎年一月七日の日の出と共に行われる奉射祭は、五穀豊穣を祈る新年の古行事として近郷に広く知られており、古式を伝える神事として小田原市の重要無形民俗文化財に指定されている。 社頭掲示板より
かなり広めの境内で、落ち着いた雰囲気でした。
鬣が特徴でしょうか?
そして、側面に文化9年(1812)5月吉日の彫りがあるこちらは何でしょうか?しっかりとした浮き彫りですね。
2012.03.10.追記
小田原市の資料よると、小田原最古といわれている富士講碑との事です。
石塔正面の上部は中央に富士山で、噴火口の左右の丸いのは月と太陽か?
そして、富士山の下の部分は雲かも?
願主の露木伊兵衛さんにお逢いできたら、是非とも伺ってみたいものです。 この部分追記
???を浮かべながら更に移動です。
新幹線を潜り国道1号線の押切橋交差点を左折、500mほど進み左折。一部道が狭いところもありますが、北に向かいます。
・川匂(かわわ)神社(中郡二宮町山西2122)
・ 祭 神 大名牟遅命 (おおなむじのみこと)
大物忌命 (おおものいみのみこと)
級津彦命 (しなつひこのみこと)
級津姫命 (しなつひめのみこと)
衣通姫命 (そとおりひめのみこと)
・ 由 緒
当社は相模国の二の宮で、古くから二宮大明神又は二宮明神社とも称し、『延喜式』所載の相模十三社の名社であります。
縁起書によれば其の創祀は11代垂仁天皇の朝、当時余綾足柄両郡の東西海浜を磯長国と称せし頃、その国宰たる阿屋葉造が勅命を奉じて当国鎮護のため創建された。
磯長国造大鷲臣命・相模国造穂積忍山宿弥・同国造弟武彦命崇敬ありしを始め日本武尊東征の時、源義家東下りの時、奉幣祈願あり。
人皇19代允恭天皇の皇妃衣通姫命皇子御誕生安穏のため、奉幣祈願あらせられる。
現宮司二見家の家系記によれば、65代一条天皇の御宇永延元年、粟田中納言次男次郎藤原景平当社の初代神官となり爾来今日まで相続き、現宮司に至り39代に及ぶ。
建久3年、源頼朝夫人平産のため神馬を奉納せらる。
建長4年宗尊親王鎌倉に下向ありし時、将軍事始おり奉幣神馬を納められる。
北条相模守、小田原北条、小田原大久保等皆累世崇敬深く造営奉幣の寄進少なからず、徳川の世に至り家康公九州名護屋出陣の際祈祷札を献上殊の他喜ばれ御朱印地五十石を寄せらる。爾来徳川累代将軍に及ぶ。
正月には必ず江戸城に登城して親しく年礼申上げ御祓札を献ずるのが例となり幕末まで続行せり、明治6年、郷社に列せられ、昭和7年4月、県社昇格の御内示を受け現在に及ぶ。 社頭掲示板より
国道からゆるゆると登り坂を行きます。
茅葺きの立派な随神門がありましたが、ガラス張りとなっていまして写真には上手く撮れませんでした。
守護神は、左神・櫛磐間戸命(くしいわまどのみこと) 右神・豊磐間戸命(とよいわまどのみこと) でした。
とっても静かな雰囲気の良い境内は綺麗に手入れがなされていました。
説明板には
この石鳥居は文久元年第三十三代神官二見景賢代に大門参道入口に 建立されたもので、昭和四十五年道路改良工事による大鳥居新設 に伴い撤去された。
社号額字は明治三十年大磯別邸に住まわれた侯爵伊藤博文公の揮毫によるもの。 との事です。
とっても静かな雰囲気の良い神社を楽しんで、この後は最終目的地の吾妻山公園へと向かいました。
山頂からの展望は素晴らしいです!
但し、天気が良ければ・・・。
相模湾、国府津方面の町並み、箱根から丹沢の山々までが見えます。
天気さえ良ければ・・・。![]()
と言う事で神社のみのご紹介。
公園などのレポはこちらです。
・吾妻神社(中郡ニ宮町山西吾妻山1117)
・ 祭 神 弟橘姫命 (おとたちばなひめのみこと)
日本武尊 (やまとたけるのみこと)
・ 由 緒
吾妻神社は梅沢の氏神で、その創建は第十二代景行天皇の朝に始まると云う。
日本武尊は景行天皇の第三皇子である。天皇にそむく部族を征伐するため東北におもむく途中、三浦半島走水から海路上総に渡る時、暴風突如に起り、そこで妻の命(みこと)は夫にかわり、海神の怒りを静め夫の武運を祈り、海中に身を投じた。するとたちまち海は穏やかになったと云う。
その七日後に命の御櫛が海辺に流れつき、埋めて御陵を造る。この前下一帯を埋沢といい、梅沢と同音である。又、命の小袖が磯辺に漂い、これを取りて山頂に祭ったと云う。その海岸を袖ヶ浦と云う。日本武尊は東北戦が終り、帰路相模国から足柄を通り甲斐に出る途中、峠ではるか東方の海をながめ「あゝ吾が妻」と嘆かれたと云う。
弟橘媛命の御神体は木彫の千手観音で、既に数千年星霜を経て現在、藤巻寺に安置してある。
源頼朝幕府を鎌倉に創設するや、妻政子本社を崇敬すること浅からず。吾妻山全山と山麓田畑並に霜見塩田を寄付する。右大臣源実朝も祈願のため建保六年に雄剣を奉納する。 社頭掲示板より
主神が弟橘姫命でして、縁結びの神様として有名ですね。
多くの樹木に囲まれた神社でした。
天気が悪くかなり光量不足でした。![]()
主祭神が女性だからか?公園内の神社だからか?花木がかなり多く目に付きました。
手水舎の水鉢には享和3年(1803)正月の彫りが。

昨年の7月1日の中井蓮池の里、その他のレポでした。
でなくて、狛犬さんと中井の蓮池の里の様子見のレポでした。![]()
多くの狛犬写真があります。
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
・ちょい遠目の狛犬さん その16は、こちらです。
・ちょい遠目の狛犬さん その18は、こちらです。
ちょい遠目の狛犬さんシリーズもまだまだ続きます。![]()
では、また。
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昨年の11月3日の続きです。
東海道線沿いの「御霊神社」をお参り後、柏尾川を渡り上町屋へ。
深沢のJR鎌倉総合車両センター(国鉄大船工場と言った方が分かり易いかも知れませんね)の跡地北西端へ移動でした。
この付近には、新田義貞の鎌倉攻めで有名な『洲崎古戦場跡』や宝篋印塔がすすり泣くと言われている『泣塔』等もあります。
・天満宮(鎌倉市上町屋山ノ根616)
・ 祭 神 菅原道真 (すがわらのみちざね)
・ 由 緒
上町屋の氏神。
天慶年間(938~947)上総介平良文が霊夢を受けて天神をこの地の鎮護として祀ったのがはじまり。
石造庚申塔(寛文十年 1670年)は市指定文化財。
神社庁資料より 素っ気無いこと。![]()
やや狭い境内です。
大正15年(1926)9月生まれの狛犬さんです。
高さが40cm位で、吽像が右でした。
子獅子の顔が何んとも とぼけて!![]()

松尾社、稲荷社、神明社が末社として祀られており、拝殿に向かって左手にはかなり古い石塔も祀られていました。
右が正徳二年(1712)七月十五日の彫りのある半肉彫の神像碑、左が寛文十年(1670)九月吉日の彫りがある庚申塔。(市の有形民俗文化財)
夕暮れ近くなって来た境内でした。この後、湘南モノレール(大船~江ノ島)沿いの道を大船方面に移動。この付近は小さい頃に姉の家に泊まりに行き、東海道線の列車を観たり近くの小山で砂岩の化石掘りをした思い出深い所です。
・北野神社(鎌倉市山崎宮廻り736)
(山崎天神)
・ 祭 神 菅原道真
・ 由 緒
歴応年間(1338~1342)夢窓疎石が京都北野天満宮を勧請したと言われている。
貞治元年(1362年)円覚寺塔頭黄梅院主が再建。江戸時代に村の鎮守になった。
菅原道真没後1,000年に当たる明治35年(1902年)神殿を修復して盛大な式典が行われた。
宝篋印塔(市指定文化財)があり塔の上の相輪部を取ると笠部の中心にへこみがあり、そこにたまる水を目につけると眼病が治ると言われています。
岩瀬村の五所明神に合祀されていた相殿の牛頭天王は延宝年間(1673~1681)に、神託により当社に合祀された。
拝殿には牛頭天王を祭った神輿がある。
神社庁資料などより こちらは少しだけ良くなって来た?
長い石段を登り木々が茂った道をジグザグに進み、再度石段を登ると拝殿でした。
石段を登りきった鳥居の前にはこんな狛犬さんが。
台座には、明治35年(1902)3月25日の彫がありました。その昔、半世紀ほど前に遊びに来ていた頃には狛犬さんも健在だったのでしょうが、今一記憶にありません。![]()
もっとも、子供の頃から狛犬に興味があったらかなり変ですよね。![]()
狛犬さんにお別れをして、東海道線やモノレールの音を聞きながら大船駅方面に移動です。
大船駅の東海道線藤沢方の踏切りの山側で、こんな感じに大船観音が見える所です。
(写真は12月に撮りました)
・塩竃神社(鎌倉市台1ー5)
・ 祭 神 塩土老翁神 (しおつちのおじのかみ)
武甕槌神 (たけみかずちのかみ)
経津主神 (ふつぬしのかみ)
・ 由 緒
徳川末期の頃に当所の娘が仙台公に仕え、塩釜神社を崇敬すること頗る厚く、帰郷するにあたってその御分霊をいただき、小祀を建て崇敬の至誠を捧げてきたが、明治に入り国鉄の開通とともにその分岐点として栄えるに従って近隣住民も崇敬の念を持ち、氏神樣と仰ぎ今日に至った。 神社庁資料より
場所柄、かなり狭い境内です。
45cmほどの小さめで、目に愛嬌がありました。
少しヘチャムクレ?の子獅子さんにお別れして、長かったこの日の狛犬さん詣では終了となりました。
この日はこれで終了なのですが、7月にお参りした鎌倉市材木座の「五所神社」のご紹介がまだでして、今後暫らくの間は鎌倉市の神社の順番が来そうにありませんので今回追加でご紹介。
7月11日、葉山町の狛犬さんを訪ねた帰り道にお参りしました。材木座の大町寄りに在ります。
・五所神社(鎌倉市材木座2-9)
・ 祭 神 大山祇命 (おおやまつみのみこと)
天照大御神 (あまてらすおおみかみ)
素盞嗚命 (すさのおのみこと)
健御名方命 (たけみなかたのみこと)
崇徳院霊 (すとくいんのみたま)
・ 由 緒
当社鎮座地は、古くは乱橋村と材木座村とに分かれていた。乱橋村には三島神社、八雲神社、金刀比羅社の三社が鎮座し、材木座村には諏訪社と視女八坂社の二社が鎮座していた。
明治初年に村が合併し、乱橋材木座村となった。
近年さらに材木座と改められた。
相模風土記稿に「三島社村持」とある如く、村の中心的社であったので明治六年、村社に列格された。明治四十一年に他の四社が合祀され、五所神社と改称した。
大正二年神饌幣帛料供進神社に指定された。
神社庁資料より
参道の突き当りには立派なお神輿が収められており、その前を左に折れると拝殿でした。お神輿は寛永19年(1642)修造の棟札があるそうです。
境内には、2対の狛犬さんが待っていてくれました。
2対とも、阿像が子取りでした。
1対目の昭和59年(1984)12月生まれの狛犬さん。
2対目の大正6年(1917)6月生まれの狛犬さん。
子獅子が鞠で遊んでいるのは初対面かも?
2対目の狛犬さんを背にした眺め。
正面神輿庫の右に「不動種子板碑」のお堂も見えています。石段を登った左右には数多くの庚申塔がありました。
不動明王石碑には弘長2年(1262)の銘があり、国の重要美術品に指定されているとか。綺麗な状態が保たれていました。
(案内板はかなり拡大できます。クリックを!)
稲荷社のキツネさんは、上2枚が昭和12年(1937)4月生まれ、下2枚は不明でした。
庚申塔群です。何故か「摩利支天像」が1体ありました。
その左隣りが寛文十二年(1672)の建立の庚申塔です。
上辺に日月、中央に「奉造立帝釈天王(玉)」と刻み、中ほどの両端に鶏を配しています。下部には三猿が厚肉彫でなされています。
境内の片隅には「疱瘡神」や各神社の板碑などが多く祀られてもいました。
ご近所の狛犬さん その23と追加分のレポはこれで終了となります。
長々とお付き合い有難うございました。
が、シリーズはまだまだ続きます!![]()
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集に沢山掲載しています。
どうぞご覧下さい。![]()
・ご近所の狛犬さん その22は、こちらです。
・ご近所の狛犬さん 特別編(中華街編)は、こちらです。
・ご近所の狛犬さん その24は、こちらです。
では、また。![]()
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昨年の7月1日に『中井蓮の里』へ様子を見に行って来ました。
その時の写真を1枚だけ。
少し時季が早かったそのレポは、こちらです。
以前は渋滞で悪名高かった田村十字路から、小田厚道路の側道を通って土屋橋へ。
その際に、以前から気になっていた神社に立ち寄りでした。
・岡崎神社(平塚市岡崎3650)
・ 祭 神 大山咋命 (おおやまくいのみこと)
猿田彦命 (さるたひこのみこと)
須佐之男命 (すさのおのみこと)
他、三神
・ 由 緒
岡崎神社は昔、山王社と称し、岡崎郷7村の総鎮守であったといいます。治承の頃、岡崎城主岡崎四郎義実は当社を信仰し、霊験を得たとも伝えています。明治のはじめ、岡崎日吉神社となり、明治42年に、白髭神社他6社を合祀して、岡崎神社となり今日に至っています。 平塚市観光協会資料より
短い石段を上がると屋根付きの両部鳥居があり、少し奥が拝殿でした。
かなり広い境内で、江戸時代までは神社の傍らに別当寺として「岡崎山・宝行寺」があり、明治に廃寺以来その土地を西海地有志が取得いていたが、平成17年に岡崎神社に寄附されたとか。その詳しい経過なども掲出されていました。
こちらには2対の狛犬さんが鎮座。
鳥居下の平成10年(1998)3月生まれの狛犬さんです。
この後、冒頭ご紹介しました「中井蓮の里」を訪れました。
あと1月半くらいで見頃となりますか。
今年はどんな感じに楽しませてくれるのでしょう。
残念ながら少し早かった「中井蓮の里」後にし、709号線を箱根駅伝の際には定点カメラが設置される「押切橋」へと南下しました。
当然にも、途中で立ち寄りです。![]()
・五所八幡宮(足柄上郡中井町遠藤84)
(五所宮八幡宮)
・ 祭 神 誉田別命 (ほむだわけのみこと)
神功皇后 (じんぐうこうごう)
仲哀天皇 (ちゅうあいてんのう)
高良玉垂命 (こうらのたまだれのみこと)
猿田彦命 (さるたひこのみこと)
他、18神
・ 由 緒
五所八幡宮略縁起によると、後白河天皇の保元2年、比叡山延暦寺の高層慈恵大師の門人である僧義圓が東国の行脚の折、当町色村の子の神の祠に一夜の宿を借りた。その夜の霊夢により白鳩に導かれ現在の地(竜頭丘の杜)に至った。ここに現れた童子(五所八幡宮の主祭神である誉田別尊)の霊言に従って勧請したと伝えられている。
五所宮の名の由来は、欽明天皇の御世に豊前国(大分県)の宇佐に始めて八幡宮(宇佐八幡宮)が勧進され、二番目は京都の岩清水八幡宮、三番目は鎌倉の鶴岡八幡宮、四番目に河内の壷井八幡宮、五番目が当社であったことによる。
文明元年正月に火災により御神体のみを辛うじて御動座できたという。以前の諸記録や神宝等皆消失し詳細は分からなくなった。
明治6年郷社八幡神社となる。その後、村内の十七社の祭神を合祀し「諸願成就の宮」と呼ばれた。平成11年11月、「五所八幡宮」と改称した。
社頭の説明書より
毎年4月の29日に行なわれる例祭「紳幸祭」は有名な様子。神輿二基と山車四台が繰り出され、五所宮囃子が奏でられる中行なわれる山車の馬場への引き入れは勇壮で、「鷺の舞」の奉納も船型の上で古式どうりに行われる。との事です。
鳥居を潜ると長めの石段がありました。
石段途中の左手、鐘楼には中井町最古(寛永6年(1629)鋳造)の第二次世界大戦の際供出を免れた梵鐘がありました。
高い台座の上のかなり大き目な狛犬さんです。
年令は、不明でした。
更に直線距離1キロほど南下です。
・八坂神社(小田原市小竹)
住宅と田圃に挟まれた本当に狭い、小さめの鳥居と小さ目の社、そして石碑があるだけの神社でした。
鳥居の下には軽乗用車が停めてあり、とても可哀想な感じでした。
祭神は八坂神社なのであの方だとは思いますが、由緒と共に不明です。
昭和13年(1938)7月生まれの狛犬さんです。
胸に大きな鈴が浮き彫りに。
傍らには、寛政12年(1800)9月(左側)や寛政元年(1789)3月の彫りのある石塔が祀られていました。
きっと由緒ある八幡宮なのでしょうね。
取り合えず、その16はこれにて終了となります。
が、7月1日もこれだけでは終わりません。![]()
立ち寄りながらも、二宮町の吾妻山公園が最終目的地です。
続きをご期待下さい。![]()
多くの狛犬写真があります、カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
・ちょい遠目の狛犬さん その15は、こちらです。
・ちょい遠目の狛犬さん その17は、こちらです。
ちょい遠目の狛犬さんシリーズもまだまだ続きます。![]()
では、また。
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5月7日、本番の坂戸山へ行って来ました。
5月1日に高柳(柏崎)へ行く機会がありましたので、2度目の下見をして来ました。![]()
先ずは、その時の簡単な記事をどうぞ。
詳しいレポはカルディナのブログをご覧下さい。
坂戸山・5月1日
薬師尾根の取り付き近くの桜並木がとても綺麗でした。
オオヤマザクラのピンクが印象的。
尾根道の両側には、イワウチワやイワナシなどの花が咲いていました。
タムシバ並木もだいぶ白さが増していました。
下見の目的地はこんな感じで、1週間から10日ほど先が良いようでした。
春の花の中で1番好きと言っても良いくらいな『イワウチワ』がわんさかと!
題名 : 恥じらい or みんなのうなじ
or あんたなんか嫌いよね~ぇ!

尾根道の花はいろいろな種類が咲き始めていました。
タムシバ並木がとっても綺麗!
大城周辺の雪は消えていますね。
どんな状態かとっても気になります。
坂戸山の山頂から大城がピンクに染まっている様に見えました。
道の両側の花々を愛でながらも浮き足立って。
で、少し残念だったのが、目的地の花付きが今年は今一な感じと朝日が低すぎて逆光状態だった事。
写真は本編にて、 乞う期待!なんてね。![]()
今回も同じ城坂コースを下山。
水場跡の先でこんな綺麗なカタクリの群落が。

大城付近は、もう少しの間カタクリを楽しめますね。
八石山
昨年残してしまった刈羽三山の1座です。
黒姫山の道が地震と雪崩に因り消失していて遠回りとなり、下山後の2座目と予定していましたが行く事が出来ずとても気になっていた里山です。
柏崎ICと高柳町の間に在る山で、南条から入りました。
駐車場の縁には花壇もあり、八重桜が満開でした。
六日町よりも雪が少ないので、緑が濃い感じでした。
気持ちの良い登山道も在れば、越後の里山特有?の長い階段もありました。![]()
こちらのイカリソウは白色のみでした。
坂戸山のは、若しかしたら自然のものではないかも知れませんね。
イワウカガミの群落もありました。
兎に角暑くて大汗をかいた1日でしたが、何と新潟は30度を越えたところが多かったとか。
まあ、体調不良ではなかった様なので一安心と言うところでしょうか。
その後、翌日(今日7日)行く予定の『刈羽黒姫山』の雪の状態を確認に行って来ました。
先週、高柳の知り合いからの情報では”雪解けが3週間ほど遅れている。何時もの登山口まで車では行けない”との事でした。
当然にも、先ずはこちらにお立ち寄り。![]()
四柱宮にて、金目の狛さんに逢うことが出来ました。
そうそう、黒姫山の雪解け状態ですが、雪がかなり残っていました。
このところの暖かさ雪はグズグズでしょうし、前線接近のお蔭で翌日(今日)が朝から雨との予報でしたので帰宅としました。
今回は夜行日帰りとなりましたが、かなり充実感のある1日となりました。
とりあえずの簡単な速報でした。
これから本編を作成いたします。
詳細は少々お待ち下さい。![]()
・坂戸山の2回下見のレポ出来ました。こちらです。
5/8
・坂戸山の本番レポ出来ました。 こちらです。
・八石山のレポが出来ました。 こちらです。
・カルディナのレポが出来ました。
・坂戸山は、こちらです。
・八石山は、こちらです。
5/11
どうぞ、ご覧下さい。![]()
では、また。![]()
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きのうポチが、石段は参拝しないです。
それできょうポチが東京オリンピックとか撮影しなかった?
*このエントリは、ブログペットの「ポチ」が書きました。
***********
ポチ君、普通は石段は参拝をしないですよ。
石段を登って、神社を参拝しますよ。![]()
で、東京オリンピックが開催されたんですか~ぁ?
先日の御霊神社の記事に東京オリンピックの事を書いたからね。![]()
昨日まで、留守番有難う!
立ち寄った『坂戸山』と『銭渕公園』のお土産です!
先ずは、坂戸山の様子見第2弾。
雪が殆ど消えて、オオヤマザクラやカタクリが綺麗でした。
目的地の「大城」は少し早かったですよ。
こちらにするか?HPにするか?思案中だけど、簡単な記事を作る予定で居るから見てね!![]()
近いうちに、意地でも満開のカタクリと越後の山のコラボを観に行きますので、その際に一緒に記事を作成します。
でも、予報では
マークがチラチラと。![]()
どうなりますか。![]()
5/3追記
では、また。![]()
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