ご近所の狛犬さん その22
江ノ島島内の巡礼を済ませて、龍口寺まで戻って来ました。
龍口寺に隣接して社殿や鳥居が残っている、こちらに立ち寄りでした。
・龍口明神社・跡(鎌倉市津1番地)
大正十二年 (1923)の関東大震災により社殿などが全壊。昭和八年 (1933)に龍口の在のままで改築した。
昭和二十二年(1947)に、龍口山が片瀬村(現藤沢市片瀬)に編入されて以降、境内地のみ津村の飛び地として扱われ現在に至っています。
太平洋戦争後の復興により交通事情も悪くなり、神輿渡御も難しくなったために氏子の里へ昭和五十三年(1978)に村人達の総意により江の島を遠望し、龍の胴にあたる現在の地 ・鎌倉市腰越字蟹田谷へと遷宮しました。 神社資料より
遷宮後の龍口明神社は、後日ご紹介をします。
江ノ電車両のだいぶ以前の搬入口でもあった、路面電車として走っている交差点の前にあります。
石段の上には拝殿や狛犬さんも見えましたが、柵があり近付くことが出来ませんでした。
かなり無理な体勢の撮影となり、建立年月日の確認は出来ませんでした。
写真は少し拡大できます。
続いて、小田急線・鵠沼(くげぬま)駅の北側に移動でした。
・賀来(かく)神社 (藤沢市鵠沼藤ヶ谷3-10)
・祭 神
武内宿禰命 (たけしうちのすくねのみこと)
大雀命 (おおささぎのみこと)
岩比売命 (いわのひめのみこと)
他、三神(十神との説も)
・由 緒
下の由緒書きがかなり大きく拡大できます。
ご覧いただければ幸いです。
住宅地の神社で、境内は少し狭い感じもしましたが由緒のある神社です。
参道の狛犬さんで、昭和60年(1985) 10月生まれでした。
吽狛さんは、お祭の時にでも飾って貰ったのでしょうか?赤い豆絞りの鉢巻をキリリと〆て?載せて?いました。
境内には、こんな案内板がありました。
かなりの由緒のようです。
拝殿前には、『となえことば』が書いてありました。
この様な指導掲示を初めて見ましたのでご紹介します。
続いて、狛犬さんを訪ねるお遍路さんは、各神社に立ち寄りながら北に向かいました。そして、東海道線に沿って大船駅方へ。
・御霊(ごりょう)神社(藤沢市宮前560)
・祭 神
崇道天皇 (すどうてんのう)
鎌倉権五郎景政 (かまくらごんごろうかげまさ)
葛原親王 (かつらばらしんのう)
高見王 (たかみおう)
高望王 (たかもちおう)
・由 緒
祭神の崇道天皇は桓武天皇の御宇延歴十三年五月に現在の京都市上京区上御霊前通り上御霊監所に祀れし給しこと、その後この地(村岡)に村岡五郎平良文公が住し天慶三年平将門が征討の為御霊神社を勧請し戦勝祈願をなしたるを始めとす、のち鎌倉権五郎影政を合わせ祈り二柱たりしが北条時頼の命により葛原親王、高見王、高望王、の三柱を加えて県下に十六の分社がありその後村岡総鎮守として現在に至っている。
神社資料より
ご近所の神社では時々出て来る御霊神社です。
崇道天皇 や鎌倉権五郎景政の名前はお馴染みですよね。16ヶ所の分社とその外にも10社ほど祀られているとの事で、それらの全てお参りしたくなって来ています。
で、狛犬さんは大正4年(1915)9月生まれでした。
吽像の子獅子が可愛かったですね。
かなり広い境内には、数多くの古い石祠や社殿も祀られていました。
境内の斜面には紫陽花や椿が沢山植えてあり、花の時季も良いでしょうね。
奥の院の後には鎌倉古道(上の道)奥州街道の名残もあり、それらの案内がありました。
そうそう、こんな石もありました。
江戸城北の丸千鳥ヶ渕の石垣に使われていたそうで、東京オリンピックの時に自動車道を造る際に取り除かれ、縁あって御霊神社の石垣に用いられた。石は各大名の献石で、其れぞれの家名が刻まれている。との事です。
流石に御霊神社の総本家、境内の雰囲気もとっても落ち着いた良い感じの神社でした。
巨木も多いですしね。
ただ、東海道線に近く列車の走行音が少し・・・。
こちらに神社を造った頃には鉄道なんて考えにも及ばなかったでしょから、仕方がないですよね。
こんな感じで ご近所さん その22は終わります。
が、シリーズはまだまだ続きます!
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集に沢山掲載しています。
こちらも、どうぞご覧下さい。
・ご近所の狛犬さん その21は、こちらです。
・ご近所の狛犬さん 特別編(中華街編)は、こちらです。
・ご近所の狛犬さん その23は、こちらです。
では、また。
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