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ちょい遠目の狛犬さん その13

ホルダーの中で、狛犬さんが吠えている様です。
今回は新緑が綺麗な頃、昨年の4月29日分をご紹介します。


・宗我(そが)神社(小田原市曽我谷津386)
 (宗我都比古神社)

・ 祭 神 
    宗我都比古之命 (そがつひこのみこと)
    宗我都比女之命 (そがつひめのみこと)
    応神天皇       (おうじんてんのう)
    桓武天皇          (かんむてんのう )
    小沢大明神      (おざわだいみょうじん)
    須佐之男命      (すさのおのみこと)
    熊野速玉神  (くまののはやたまのかみ)
    仁徳天皇     (にんとくてんのう)

・ 由 緒
 昔、先づは此の曽我地方の先住民族が祈願の的として神仏の区別無く「小澤大明神」を崇拝して現在の地に祀った。長元元年(一〇二八年)、宗我播磨守保慶が祖先宗我都比古命の御霊を分霊し当所に下り宗我都比古神社の神号を請い、併せて武内宿祢命をも祀り、社を創建し、九百年前頃、曽我祐信に依って神社として今の祭神(小澤大明神、宗我都比古、宗我都比女)を再興し、明治初年の神仏分離に依って宗我都比古、宗我都比女を主祭神にして、永く当地曽我郷の総鎮守産土神として祭祀される。
北条、稲葉、大久保の小田原藩主に相次いで尊崇され、現在の社殿は藩主稲葉氏の造営から初まり、再三の震災、火災に逢い、其の都度再建、補修されて、今日に至った。 神社庁資料より

と、まあ難しい事は置いといて。長元元年(1028)に創建され、多くの神々が祀られている曽我郷六ヶ村の総鎮守との事です。

流石に大きな神社ですね、一ノ鳥居から参道が長く続いていました。

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狛犬さんは、少し高めの台座に鎮座していました。
昭和15年(1940)生まれで、皇紀2600年の彫りもありました。

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かなり広い境内には、年代が判別出来ないかなり古い石祠や稲荷社も祀られていました。
狐さんは、大正8年(1919)2月生まれでした。

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   ↑お社の中の狐さんで、年齢不明です



広い境内には弘化4年(1847)9月の石灯籠やケヤキの巨木も数本見られました。

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県道72号線を国府津方面に南下します。



・津島神社(小田原市田島境1489)


・ 祭 神 素盞嗚尊 (すさのおのみこと)

・ 由 緒
 源実朝死して、北條政子が尼将軍となって五年目の貞応二年(西暦一二二三年)に北條政子より社地を貰い、嘉禄元年(西暦一二二五年)に神社が竣工した。丁度北條政子の死んだ年であった。
疫病平癒のため、尾張の津島神社を勧請して「午頭天王」と称した。
明治二年(西暦一八六九年)になり、祭神「午頭天王」とは印度(インド)の舎衛国祇園精舎の守護神だと云う事から、日本の神様「素盞嗚命」と改称した。社頭由緒書きより



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こちらも高めの台座に鎮座されていた狛犬さんです。
皇紀2600年(昭和15年・1940)の彫りがありました。
阿像の右奥の灯篭は明治24年4月の彫りでした。

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こちらの境内にもやや小振りながらケヤキの古木が多く、社の良い雰囲気を醸し出していました。
堅牢地神は、文化2年(1805)2月の彫りでした。

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72号線を更に国府津方面に進み、新幹線下で72号線から別れ国府津駅方面へ。御殿場線が東海道線と合流する地点に程近い位置です。



・菅原神社(小田原市国府津1752)


・ 祭 神  
    菅原道真   (すがわらみちざね)
    天照皇大神   (あまてらすすめおおみかみ)
    大山津見命   (おおやまつみのみこと )
    木花咲耶姫命   (このはなさくやひめのみこと)
    誉田別命    (ほむだわけのみこと) 他、七神

・ 由 緒
 正暦5年(994)に創建されたと伝えられている。
 正暦5年6月30日の夕暮れ時、国府津海岸に珍奇な木造船が漂着した。中に束帯した貴人がいた。村人はこの貴人に麦飯と麦粉をかけた食事をもてなし、一室を設けて住まわせた。
 数日後、村人の夢にこの貴人が現れ、「京都の菅原神を崇敬すれば幸せ多い」とのお告げがあった。
 村人が彼を訪ねるとその貴人の姿はなく、部屋に彼の肖像躯が残されていた。庭には松と梅が植えてあった。村人は道真の霊が当地に現れたと信じ、祠(ほこら)を造ってその霊を祀った。 
神社の栞より

境内の「曽我の隠れ石」と呼ばれる大きな石には、「曽我兄弟が父の仇である工藤祐経を討つためにこの石に隠れていたが、警護が厳しく涙を呑んでそのまま見送った」という伝承が残っています。
そして、童謡の「とうりゃんせ」発祥の地の石碑も建立されていました。
発祥の地の謂われはこちら。(@nifty:デイリーポータルZより)


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その境内には、道真公の歌碑や狛犬とともに狛牛も祀られていました。
狛牛さんは年齢不明。派手な化粧の狛犬さんは、大正6年(1917)11月24日生まれでした。

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狛犬さんの手前には、ご利益の大きい撫で牛さんが祀られていました。
もちろん皆様の事を考えながら、足首や膝、そして心の臓を。そして自分のために、頭・目・口とお腹(白くなれ~!)と追加をして撫でさせていただいて来ました。
きっと良くなっている事でしょう。

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拝殿前には「茅輪」があり、身体に染み付いた「罪や穢れ」が取り除かれると言われていますので、作法通りに3回潜って来ました。
で、今のカルです。
今年もお参りをしなければいけませんかね。

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拝殿の左右には、諏訪神社や稲荷社も祀られていました。

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境内の水神様の祠の傍らには、ムクノキの巨木が立派に枝を茂らせていました。新編相模国風土記稿の天神社の項に、「神木に楠、槻、椋、山礬の老木あり、各囲一丈余」とあります。そのうちのムクノキのみが残っているのでしょうか?その昔から国府津の鎮守様のご神木としていろいろな事を眺めて来たのでしょうね。

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新緑が綺麗な頃のお参りでした。
で、今年もその頃にお参りをして来ましょっ!


ちょい遠目シリーズもまだまだ続きます!


・ちょい遠目の狛犬さん その12は、こちらです。
・ちょい遠目の狛犬さん その14は、こちらです。


では、また。 

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