狛犬(ちょい遠目?)12

ちょい遠目の狛犬さん その60  今年の干支は申でして・・・

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・鈴原天照大神社(富士吉田市上吉田5603) 
    (富士山吉田口登山道一合目)

・祭 神 大日如来 (真言密教の教主)
       天照大神(大日孁貴)とも言われている

・由 緒
  富士山北口登山道最初の社にして、人皇六〇代醍醐天皇昌泰三年(西暦九〇〇年)六月、金剛覚王登山の砌、浅間明神の本地仏大日如来社として建立。以後?々災禍に遭った(勝山記享禄三年[西暦一五三〇]「立ノ馬場ノ大日堂炎上・・・同ク大日焼ケメサレ」とある)が後陽成天皇慶長八年(一六〇三年)谷村城主鳥居土佐守成次、祭神に天照皇大神、別祠に浅間大神を祀り神社として模様替再建、鈴原社と改称、富士講の厚い崇敬のもと明治五年無格社に列せられた。尚、平成十四年に、御身抜と棟札を兼ねた村上光清直筆の木札が発見され、それによると元文四年(西暦一七三九年)に老朽化した神社を建て直したといふ。           神社庁資料より

戦国時代まで富士の信仰は大日如来を中心とする仏教信仰が主流だったとか。古来、この地には大日如来を祀る大日堂があったのですが、享保三年(1530)年に焼失。再三火災にあったが再建、その後この鈴原天照大神社になった。明治になるまで、この神社に神社でありながら仏様である大日如来像が祀られていたそうです。
ここに安置されていた大日如来像は、富士吉田市上吉田の御師のお宅に安置されているそうです。


今年は申年でして、昨年から予定をしておりました。
庚申ではありませんが、2040年まで待つわけには行きませぬのでね。
本来ならばお正月に行きたかったのですが、雪が解けるのを待ってからと考えていました。が、春の芽吹きとなり、そして梅雨入りから夏休みへと時は過ぎ行き、いつの間にやら秋へとなってしまいました。
これでは訪れる時期を失してしまうと、悪天候を承知で出かけてみました。
御殿場付近では、小雨が・・・。
富士吉田に入ると、何とか雨も止んでいました。
しかし、北口本宮付近から少しだけ霧さんがご来訪。
このまま帰るのは・・・。で更に進むと、中ノ茶屋ではかなり霧が濃くなってきました。
しかし馬返に着くと、霧がかなり薄くなってきました。
出来れば佐藤小屋辺りまで歩こうかと思い用意をして来ましたが、これでは狛猿さんにご挨拶だけとなりそうで、雨具だけを持って歩き始めました。


吉田口登山道には、あちらこちらに案内板が在ります。

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営業はしておりませんが大文字屋の前を通り、

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富士守稲荷大明神や復元された石碑などに手を合わせながら

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更に進むと、石造りの鳥居が。

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石の鳥居の前に狛猿さんが見えていますね。
庚申(かのえさる)の年に富士山が突如として現れたという故事に由来し、富士山の神の使いとして認識されるようになったそうです。
では、狛猿さんのご紹介。年令は、不明です。

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この吉田口登山道は、
昭和三十九年のスバルライン開通によりすっかり廃れ荒れ果てたままだったのですが、富士山文化遺産登録を目指すにあたり富士吉田市が、そして国も関わり復活を試みたためにかなり修復されています。
そして、
このお猿さんも土に埋もれていたのを掘り出したそうです。建立されてからどのくらいの人々の安全を祈っていてくれているのでしょうか?


鳥居を潜った先に、富士山禊所の石碑が在ります。
文字通り、登山者が富士山に入山する際に禊を行った場所で、大正年間に建てられたそうです。

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禊所の周囲にも冨士講関係と思われる多くの石碑が在りました。

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鳥居に着いた際には、こんな感じだったのに

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いつの間にやら霧が忍び寄ってきてしまいました。

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そそくさと、近場の咲き残りの花を撮っていると

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こんな状態から更に酷くなってきてしまいました。

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遷座した鈴原天照神社にも行っていませんが、狛猿さんに逢えたので「再訪時に佐藤小屋までの道を楽しもう!天気の良い日にこのコースを歩くのも楽しいし。」と考えつつ、他所へと所用に赴きました。


取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。


・ちょい遠目の狛犬さん その59こちら です。

・ちょい遠目の狛犬さん その61は、こちらです。

ちょい遠目の狛犬さんは、ちょいお休みとなります。

では、また。

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ちょい遠目の狛犬さん その59

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今回は、熊倉山の帰りにお参りでした。

上野原市井戸から熊倉山南西尾根に入り熊倉山、笹尾根を進み三国山生藤山でした。スタート地点の大きく立派な軍刀利神社が狛犬さん不在社でして、何とも残念。で、どうしてもこちらへと・・・。



・石(いわ)楯尾神社 
        (相模原市緑区佐野川3448)

・祭 神
 神日本磐余彦命 (かんやまといわれひこのみこと)
   別名:神武天皇 初代天皇
 石村石楯(いわむらのいわたて)
   奈良時代の武人官僚、高座郡の県主
 多藤木姫(たふじきひめ)
   石村石楯の妻女

・由 緒  
 第十二代景行天皇の庚戊四十年(110)、日本武尊東征の砌り、持ち来った天磐楯を東国鎮護のため此処に鎮め、神武天皇を祀ったのが始まりである。
 石村石楯は、高座郡の県主で当地の住人であった。第四十七代淳仁天皇の天平宝字八年(764)さきの太政大臣藤原恵美押勝反逆の折、貢のため上京中で押勝の首を取り乱を鎮めた功により、高座・大住・鮎川・多摩・都留の五郡を賜ったといわれ、石楯尾神神社の保護者であった。
 幣殿・拝殿は、昭和十二年に改築されたものであるが、本殿は室町時代の建築様式をよく伝えており建築史上貴重なものである。本殿棟札には、天保七年(1836年)十一月氏子中・調写浄善石船謹記とある。神楽殿は、弘化二年(1845)に建てられたもので、平常は中央部を通路として使用し、祭礼の折には厚板で覆い、奉納の舞・芝居の舞台として使用できるように工夫されている。
 平安時代初期に施行された延喜式〔延喜五年(905)撰進、康保四年(967)施行〕に誌されている相模国の式内社十三社のうち、石楯尾神社は本社ではないかと言われている。  境内案内板より


庚戊四十年・西暦110年、日本武尊が東征の際に持ち帰った巨石・天磐楯(あまのいわたて)を東国鎮護のために祀ったため、御石杜(おいしのもり)とも呼ばれているとか。
杉木立が素晴らしい神社でした。


鳥居の左手に、延喜式内社 石楯尾神社 と彫られた
社号標がありました。

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石段を登り鳥居を潜ると、神門?が。

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神門?を潜ると、太く大きな杉に囲まれた拝殿が。

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拝殿前には狛犬さんが待ち構えていましたが、先ずはお参りから。

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拝殿内部には、こんな方々が。
狛犬さんと狛狐さんですね。

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では、年令不明の参道狛犬さんのご紹介です。
なかなか良い表情ですね。

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オチビちゃんが、”ね~、もっと遊んで~ぇ!”とでも?

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拝殿の右手には、夫婦杉が。
案内板には「くっつきすぎ」の書き込みも。
確かに根元はつながっていましたね。

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結構広い境内には多くの境内社が祀られていましたが、社名や祭神名は・・・。

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参道を歩いてきた際に通った神門ですが、神門の拝殿側は神楽が出来るような舞台状になっていました。中央部は通常は通路に、必要に応じて神楽殿として使う様ですね。最初は神門と思いましたが。この形は初めて見ました。

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結構時間が過ぎてしまい名残惜しいですが、杉木立に囲まれたとっても静かな石楯尾神社(いわたておじんじゃ)ともお別れでした。


取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。


・ちょい遠目の狛犬さん その58こちら です。

・ちょい遠目の狛犬さん その60は、こちらです。


ちょい遠目の狛犬さんは、ちょいお休みとなります。

では、また。

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ちょい遠目の狛犬さん その58

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2015.01.13.、埼玉日高市の聖天院・勝楽寺高麗神社高麗川神社 をお参り。続いて数社の不在社を経て、こちらへと移動でした。

・武幡横手神社 (日高市横手509)

・祭 神
  誉田別命(ほんだわけのみこと)
   応神天皇とも呼ばれる
  武御名方命(たけみなかたのみこと)
   力持ちの神、武の神、風の神、農耕神、狩猟神

・由 緒
 貞観十二年(870)の創建と伝えられています。当初八幡大神と称しました。貞治二年(1363)に武御名方命を併祀して諏訪大明神と呼ばれるようになりましたが、明治元年(1868)に武幡横手神社と改めました。社頭掲示板より


武幡(たけはた)横手神社の前の道を挟んで、高麗川が流れるのどかな環境でした。時季になれば、きっと釣りを楽しむ事が出来るのでしょうね。

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では、神社?狛犬さん?のご案内です。
大きな銀杏の樹が見えていました。御神木でしょうか?

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狛犬さんが見えますが、石段を登って拝殿へ。

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本殿です。

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では、狛犬さんのご紹介。
昭和三年(1928)生まれでした。

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拝殿の奥には、ムクロジやナラの巨木が。

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その根元には、正一位笠森稲荷が祀られていました。

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こちらは何でしょうか?

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御神木の大銀杏。

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狛犬さんの拝殿側に安政六年(1859)六月建立の石灯籠が。もう少しで、160歳ですね。
右手の竿には八幡宮、左手には諏訪宮の彫りがありました。

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そして、その左手の手水舎にはこんな龍さんが。

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鳥居の前に戻りますと、文化二年(1805)の彫りの在る手水鉢が。211歳ですって!

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そんな遠いいにしえの世界を偲びながら、日高市の狛犬さん詣ではおしまいになりました。
しかし、本当はもう1社不在社を巡ったのですが・・・。


取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
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・ちょい遠目の狛犬さん その57は、こちらです。

・ちょい遠目の狛犬さん その59は、こちらです。


狛犬さんレポは、まだまだ続きます。

では、また。

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ちょい遠目の狛犬さん その57

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2015.01.13.、埼玉日高市の聖天院・勝楽寺高麗神社をお参り。続いて、不在社を数社巡りましてこちらへと移動でした。


・高麗川神社 (日高市上鹿山170)

・祭 神
 日本武尊(やまとたけるのみこと)
 橘姫命(たちばなひめのみこと)
 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

・由 緒
 当初は八釼(やつるぎ)神社と称し上鹿山村社でしたが、明治十一年(1878)に同じ上鹿山の八坂神社、稲荷神社がうつされました。
 明治四十二年(1908)には中鹿山村社の熊野神社、下鹿山村社の白幡神社、鹿山村社の熊野神社、原宿村社の稲荷神社など十五社を合祀して高麗川神社と改めました。しかし昭和十五年(1940)ごろに旧村社を分祀したため、合祀前の状態に戻りました。
 高麗川神社は日本武尊、橘姫命の二柱、八坂神社には素戔嗚尊、稲荷神社には倉稲魂命を祀っています。
               社頭掲示板より


30号線の日高陸橋から200m程飯能寄りに在りました。

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鳥居を潜り、石段のない参道を進みますと、

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八坂神社の山車の準備場所なのか?広場が。

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狛犬さんが出迎えてくれましたが、先ずはお参りから。

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では、狛犬さんのご紹介です。
やや小型で、年令は不明でした。

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拝殿の左手に赤い鳥居が2基在りました。

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左側には八坂神社が、

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その右側には、稲荷神社が祀られていました。

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稲荷神社の前には、年令不明の狛狐さんが一対。

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毎年8月14日、15日に盛大に行われる祇園祭。豊年祈願と安全祈願、悪疫退散の願いを込め、祭囃子を奉納している八坂神社にしては、とっても質素な感じが否めませんでした。

拝殿を背にして眺める御神木・タブノキのご紹介。
樹齢約350年、樹高は約23mとか。
根元付近で枝分かれして、大きく茂っていました。
江戸時代初期にあった周囲2丈(約6m)余りの古木のひこばえから成長した。と伝わっているそうです。

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御神木の根元に、丹生宮と刻まれた石祠が祀られていました。天保六年(1835)七月吉日再建との掲示が。

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段差のないとっても広い境内で、何となくホッと出来る高麗川神社でした。
この後、またもや暫しの狛犬さん探しとなりました。


取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
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・ちょい遠目の狛犬さん その56は、こちら です。

・ちょい遠目の狛犬さん その58は、こちらです。


狛犬さんレポは、まだまだ続きます。

では、また。

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ちょい遠目の狛犬さん その56

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2015.01.13.、最初に狛羊さんの埼玉日高市の聖天院・勝楽寺をお参り。続いて、北東方向200m程の勝楽寺にゆかりの在りますこちらへと移動でした。



・高麗神社 (日高市大宮新堀833)

・祭 神
  高麗王若光 (こまのこきしじゃっこう)
    高麗郡の郡司、豪族
    高句麗王族出身者と言われているとか

  猿田彦神 (さるたひこのかみ)
    道と境界を守る神(道祖神)、交通安全の神
  武内宿禰命 (たけうちのすくねのみこと)
    大和朝廷初期国政補佐官・大臣、中央諸豪族の祖、
    長寿の神

・由 緒
 若光は元正天皇霊亀二年(716)武蔵国に新設された高麗郡の首長として当地に赴任してきました。当時の高麗郡は未開の原野であったといわれ、若光は、駿河(静岡)甲斐(山梨)相模(神奈川)上総・下総(千葉)常陸(茨城)下野(栃木)の各地から移り住んだ高麗人(高句麗人)1799人とともに当地の開拓に当たりました。若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀りました。これが当社創建の経緯です。
 高麗神社は、若光の子孫が代々宮司を務め、現宮司は六十代目になります。
 高麗郡は明治二十九年(1896)入間郡に合併されましたが、当社はその後も広く崇敬を受けてまいりました。特に浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが当社参拝後相次いで総理大臣となったことから「出世明神」と広く知られるようにもなりました。
 日本各地に在ります白鬚神社は、こちらからの分社との事です。    高麗神社HPなどより

             

大磯町との関わり
 高麗王若光は、高句麗の王族でるといわれている。高句麗が唐と新羅に滅ぼされた時に日本に渡来したといわれる。大和朝廷は現在の神奈川県大磯に上陸させ、こちらに移住させた様です。
 一説には、大磯町は亡命した高句麗の人々が上陸を指定された事により高麗寺村と呼ばれた時代もあったとか。
 その昔は、高麗山には上社『高麗権現社』があり、下社には『高麗寺』があった様です。
そして現在の神社名は、明治政府の圧力によるのか?高来神社(たかくじんじゃ)となっています。
読み方によっては、「こうらい}とも読めますよね。
儚い抵抗だったのでしょうか?
   そんな高来神社のカル2の写真集は、こちら です。


話は、埼玉県日高市・高麗神社に戻ります。
参道の鳥居の右奥・車の後ろに、聖天院・勝楽寺にもありましたトーテムポールみたいな柱がチラリと見えています。将軍標と呼ぶそうです。西武線・高麗駅前にも建てられているとか。

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二の鳥居を潜り、参道を更に進みますと、狛犬さんが見えて来ました。

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でも、お参りからと拝殿へ。

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参拝後、昭和十六年(1941)6月生まれの狛犬さんの許へと戻りました。

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境内の裸木のヤママユが揺れていいました。

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境内では参拝者の外国語の会話が多く、何となく場違いな感じがした神社でした。
この後、暫し狛犬さん探しとなりました。


取材した多くの狛犬写真があります、
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・ちょい遠目の狛犬さん その55は、こちら です。

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狛犬さんレポは、まだまだ続きます。

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