ちょい遠目の狛犬さん その60 今年の干支は申でして・・・
・鈴原天照大神社(富士吉田市上吉田5603)
(富士山吉田口登山道一合目)
・祭 神 大日如来 (真言密教の教主)
天照大神(大日孁貴)とも言われている
・由 緒
富士山北口登山道最初の社にして、人皇六〇代醍醐天皇昌泰三年(西暦九〇〇年)六月、金剛覚王登山の砌、浅間明神の本地仏大日如来社として建立。以後?々災禍に遭った(勝山記享禄三年[西暦一五三〇]「立ノ馬場ノ大日堂炎上・・・同ク大日焼ケメサレ」とある)が後陽成天皇慶長八年(一六〇三年)谷村城主鳥居土佐守成次、祭神に天照皇大神、別祠に浅間大神を祀り神社として模様替再建、鈴原社と改称、富士講の厚い崇敬のもと明治五年無格社に列せられた。尚、平成十四年に、御身抜と棟札を兼ねた村上光清直筆の木札が発見され、それによると元文四年(西暦一七三九年)に老朽化した神社を建て直したといふ。 神社庁資料より
戦国時代まで富士山の信仰は大日如来を中心とする仏教信仰が主流だったとか。古来、この地には大日如来を祀る大日堂があったのですが、享保三年(1530)年に焼失。再三火災にあったが再建、その後この鈴原天照大神社になった。明治になるまで、この神社には神社でありながら仏様である大日如来像が祀られていたそうです。
ここに安置されていた大日如来像は、富士吉田市上吉田の御師のお宅に安置されているそうです。
今年は申年でして、昨年から予定をしておりました。
庚申ではありませんが、2040年まで待つわけには行きませぬのでね。
本来ならばお正月に行きたかったのですが、雪が解けるのを待ってからと考えていました。が、春の芽吹きとなり、そして梅雨入りから夏休みへと時は過ぎ行き、いつの間にやら秋へとなってしまいました。
これでは訪れる時期を失してしまうと、悪天候を承知で出かけてみました。
御殿場付近では、小雨が・・・。
富士吉田に入ると、何とか雨も止んでいました。
しかし、北口本宮付近から少しだけ霧さんがご来訪。
このまま帰るのは・・・。で更に進むと、中ノ茶屋ではかなり霧が濃くなってきました。
しかし馬返に着くと、霧がかなり薄くなってきました。
出来れば佐藤小屋辺りまで歩こうかと思い用意をして来ましたが、これでは狛猿さんにご挨拶だけとなりそうで、雨具だけを持って歩き始めました。
吉田口登山道には、あちらこちらに案内板が在ります。
石の鳥居の前に狛猿さんが見えていますね。
庚申(かのえさる)の年に富士山が突如として現れたという故事に由来し、富士山の神の使いとして認識されるようになったそうです。
では、狛猿さんのご紹介。年令は、不明です。
この吉田口登山道は、昭和三十九年のスバルライン開通によりすっかり廃れ荒れ果てたままだったのですが、富士山文化遺産登録を目指すにあたり富士吉田市が、そして国も関わり復活を試みたためにかなり修復されています。
そして、このお猿さんも土に埋もれていたのを掘り出したそうです。建立されてからどのくらいの人々の安全を祈っていてくれているのでしょうか?
鳥居を潜った先に、富士山禊所の石碑が在ります。
文字通り、登山者が富士山に入山する際に禊を行った場所で、大正年間に建てられたそうです。
遷座した鈴原天照神社にも行っていませんが、狛猿さんに逢えたので「再訪時に佐藤小屋までの道を楽しもう!天気の良い日にこのコースを歩くのも楽しいし。」と考えつつ、他所へと所用に赴きました。
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・ちょい遠目の狛犬さん その59は、こちら です。
・ちょい遠目の狛犬さん その61は、こちらです。
ちょい遠目の狛犬さんは、ちょいお休みとなります。
では、また。
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