狛犬(ご近所)11

ご近所の狛犬さん その55

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2013年取材分の第3弾その2となります。
前回の街山八幡神社から北東方向1.5㌔ほど移動。
国道1号線・横浜新道の矢部ICの北東方向450m程の横浜新道東側沿いに在ります。



・太神宮(戸塚区名瀬町277付近)


・祭神、由緒

地元では、だいじんぐうと呼ばれているそうです。
すると、祭神天照大神(あまてらすおおかみ)と思われますが、由緒と共に不明です。


こちらの太神宮も横浜新道建設の際に境内を供出した様で、広い法面が目立っていました。
こちらが横浜新道を背にしての参道入り口です。

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その石段を登りますと、左手に社号標が。

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更に進みますと、石段や鳥居が。

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2つ目の石段手前左手に、庚申塔が2基。
共に笠塔婆型の青面金剛庚申塔で、三猿も正面に彫られていました。
左は元禄六年(1693)、右は延宝三年(1675)の彫りが。

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鳥居の先の参道左右には、すべり台やブランコなどの遊具が。

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もう1度石段を登りますと、改築が済んだばかりの様なお社が見えて来ました。その手前には狛犬さんもお待ちかねでしたが、先ずはお参りから。

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では、メイン?の狛犬さんのご紹介。
昭和二年(1927)三月生まれ。砂岩質の様なやや崩れやすい石材で、大きな補修痕が痛々しかったですね。

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今頃は改築の違和感も精査されて、落ち着いた風合いを醸しているのでしょうね。

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境内が狭くなってしまったためか?変則的な?三段の境内で、各段がやや狭い感じでした。

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その片隅の境内社。

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神社というと、なぜか道路や鉄路などに境内を供出?してか、変則な形やとても不自然な狭さの境内が見受けられますね。
兎に角暑い日で、セミや大きな縞蚊が飛び交う太神宮でした。
こんな感じで、2013年取材分の第3弾その2はお終い。

狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧になって下さい。
ご近所の狛犬さんは、まだまだ続きます。


・ご近所の狛犬さん その54は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その56は、こちらです。


最後までお付き合い、有難うございました。


では、また。

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ご近所の狛犬さん その54

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2013年取材分の第3弾となります。
今までに訪れそこなって、残ってしまった神社へ。
7月25日でして、アブラゼミが体当たりをして来る様な蒸し暑い日でした。



・街山(つじやま)八幡宮
    (横浜市戸塚区矢部町辻1003)

・祭 神 
  品陀和氣命・誉田別命(ほんだわけのみこと)
    別名:第15代天皇・応神天皇(おうじんてんのう)

・由 緒
 応永年間(1394年~1427年)の勧請とも伝えるが創立年代は明らかでない。新田義貞の家嫡・義宗が護持していた八幡大菩薩の神像(延朗上人の作)を、最初霊水池のほとりに奉祀したもので、天正五年(1577)の記録には「谷部鎮守街山八幡宮」とある。後享保二年(1717)に社殿を新築、安永三年(1774)には内外両殿を修理した。
 天保十四年(1843年)九月現在地に社殿を建てて山上から遷座し、旧社地には神明社をおいて末社とした。安永三年及び天保十四年の棟札がある。  神社庁資料より


国道1号線・横浜新道の直下に在りまして、車の走行音などがやや気になる神社でした。

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本覚院不動尊の社号標前に、この狛さんが。
  ※ 本覚院不動尊。
 本院は江戸中期1648年築山氏が修行し院号を本覚院とした。
 明治維新後、築山氏は還俗して街山八幡社神職に転した。
 本尊不動明王は一時檀徒に保管され、昭和四年(1929)九月有志により小堂を造立し本尊を安置した。
 本尊は中央の木彫座像。 社頭掲示板より

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石段を登りますと、彼の方がお待ちかね。

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先ずは、お参りからでしょう。

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で、主目的のこの方をご紹介。
天保十四年(1843)九月吉日生まれでした。
かなりのお年寄りだ~ぁ! でも、笑顔が可愛い。

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割合に広い境内でした。

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石段脇に狛犬さんと手水舎が。

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正徳四年(1747)十一月吉日の彫りがある手水鉢。

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その隣の「鳴息一心」と彫りのある力石
どんな力持ちが競い合ったのか?

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お参りを済ませ、狛犬さんにお別れをして石段を降り、梅園稲荷へ。
拝殿を背にして左手に続く道を行っても、次の梅園稲荷に行けます。

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・梅園稲荷 (戸塚区矢部町辻1004付近)

・祭 神 烏帽子直垂御霊体

由 緒
 
創建不詳
伝ふ古は字峰に鎮座せられしと年号不詳蔵坪山六二八番地七坪の地に遷宮せらる。
此の蔵坪の地名は徳川時代に穀倉在りしより出でしものならん
享保年間〜八代将軍吉宗公頃久二郎なる人此の地に住すとあり
氏子柴田竹次郎の口ひによれば文化の頃ウメ女なる寡婦住す
婦は常に稲荷を崇敬し深く祈願し霊験を授けらる
ウメ女大いに喜びしも其儘に過ごせしに或夜祭神現われ其の不法を起る
此の時の姿は烏帽子直垂の御霊体なりしとゆう。婦は大いに驚き此の旨を名主河原四郎左衛門に告ぐ。名主は有力者成宮茂平治と計り一同を集め協議を上中組の祭神と崇め奉る
按ずるに当地に深き御縁の武家を祭神と仰ぎしものならん。
殊に勝負事には霊験著しと今に伝ふ
余は幼少の頃翁に肩を叩かれつつ常に其の霊験につきて聞く所あり
以降明治十七年頃迄祭典の際は山麓を流るる大久保堀より社前迄はのぼり両側に建ち並び誠に荘厳なりしとゆう。
之氏子が如何に敬神の念深かりしかを立証するものなり。
其後社は御遷宮あり。之の由緒深き蔵坪山も時世の進運に伴い土地発展し何時しか山形改まるに至る。 
              社頭掲示板より

P1090758          かなり大きく表示します。


写真の道の奥が街山八幡宮です。

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鳥居を潜り石段を登りますと、お社が在りました。

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お社の前の年令不明の狛狐さん。

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笑顔が何か良い感じのキツネさんでした。
石段の途中に奉塔(正徳四年・1714)や、かなり古めの石段が見えました。

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周辺には、奉搭の一部が散乱。古めの石段を登ってみましたが、やぶ蚊の団体さんがご襲来!一目散に退散しました。
後日の情報では、石段を登った先に立派な石祠が祀られているとか。
折りがあったら、お参りをしたいですね。


梅園神社のお参りを済ませ坂道を少し降ますと、庚申塚が。延宝三年(1675)、文化二年(1805)、寛政十二年(1800)、文政七年(1824)などの彫りのある庚申搭や青面金剛童子・嘉永元年(1848)、堅牢地祗・嘉永二年(1849)など。

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一番右手・道路の角地には猿田彦大神の石塔が。
道標をとして奉納された様で、右側面に「東方柏尾道」と「明治五年(1872)九月吉日」、左側面に「西方大山道」と彫られていました。
明治初頭にこの地に建立されたのでしょうか?場所としては良い感じですが、どこからか移動されたものなのか?

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今回は、天保十四年(1843)九月生まれという気が遠くなる様な昔に奉納された、笑顔の可愛い狛犬さんと出会うことが出来ました。
こんな感じで、2013年取材分の第3弾その1はお終い。

狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧になって下さい。
ご近所の狛犬さんは、まだまだ続きます。


・ご近所の狛犬さん その53は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その55は、こちらです。


最後までお付き合い、有難うございました。


では、また。

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ご近所の狛犬さん その53

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2013年取材分の第2弾となります。
今までに訪れそこなって、残ってしまった神社へ。



・子之八幡社 (戸塚区上飯田町978)

・祭 神
  大己貴命/大穴牟遅神(おおなむちのみこと)
    別名・大国主命(おおくにぬしのみこと)
  品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけのみこと)
    別名・応神天皇(おうじんてんのう)

・由 緒
 創立年代は不詳であるが、もとは子神社といわれ古来村の鎮守であった。享和二年(1802)三月及び天保二年(1831)六月社殿の造営があり、明治六年(1873)十二月村社に列した。
 明治十七年(1884)九月及び二十二年九月の再度の暴風雨の為破損したが、直ちに再建。大正四年(1915)四月八幡社を合祀し、子之八幡社と改称。
 現在の社殿は大正六年に造営され大正十年七月神饌幣帛料供進神社の指定を受けた。  神社庁資料より


東海道線戸塚駅にほど近い住宅地の中の神社。
以前にはきっと広い境内だったのでしょうが、今はやや狭い感じがしました。
御利益は、子授かり、諸願成就、商売繁盛、五穀豊穣、良縁祈願、病気平癒、家運降昌、起業成就、出世開運、武運長久 他との事。

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鳥居を潜り石段を登ると、あの方々がお待ちかね。
しかし、先ずはお参りでしょう!

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では、あのお方たちをご紹介。
明治三十九年(1906)三月吉日生まれ。
子獅子が可愛かった。

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お社の左右には、やや古そうな石灯籠や(建立年代不明)

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文化十年(1813)仲冬の彫りの在る水鉢も。

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そして、数多くの庚申塔や石仏が祀られていました。

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地蔵・三猿(寛文五年(1665))、阿弥陀如来立像・三猿(寛文七年(1667))、地蔵・三猿(寛文十年(1670))、六手剣人青面金剛・邪鬼(貞享五年(1688))、六手合掌青面金剛・邪鬼・三猿(宝暦九年(1759))などなど、かなり昔に建立された石塔石仏が数多く、その昔を偲びながらお参りをしました。
個別の写真はご紹介しきれませんので、上の写真を拡大(クリック)でご容赦を!

流石に鎌倉へと繋がる道筋、旧東海道にも近い場所ですしね。近在からも集められたのかと思いますが良く残っているものですね。きっと氏子さんを始めとして信心深い近在の皆さんの手厚い保護が功を奏しているのでしょう。
それを思うと、何か嬉しくなってしまいました。

こんな感じで、2013年取材分の第2弾はお終い。

狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧になって下さい。
ご近所の狛犬さんは、まだまだ続きます。


・ご近所の狛犬さん その52は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その54は、こちら です。


最後までお付き合い、有難うございました。


では、また。

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ご近所の狛犬さん その52

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2013年取材分の第1弾・第2回となります。
今回も横浜市戸塚区で、平戸白幡神社から北東方向に800m程移動。
東戸塚駅の東方150m付近のこちらへ。

移動途中の眺め。2013.02.24.

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・信濃白幡神社 (戸塚区信濃町518-7..)


・祭 神 
  源義経 (みなもとのよしつね)
  天照皇太神  (あまてらすすめおおみかみ) 
   豊受姫命  (とようけひめのみこと)
 

・由 緒
 康元元年(1256)の創建で、天正三年(1575)・天保十一年(1840)に夫々改築された。
 天正十八年(1590)以降当地を知行した新見氏(子孫・正興は幕末の遣米正使)が歴代神社の興隆に力を尽した。(弘化五年・1848鳥居奉建)
 大正十二年(1923)の大震災に社殿は倒壊したが、氏子に損傷が無かったので、村の長・金子鉄五郎は「宮柱うちくだけても倒れても氏子に怪我のなきぞ尊き」と献詠し、一同も亦身代りになって下さった鎮守様の修復に尽力し、翌年九月現社殿を完成した。
 神社の丘を白旗山と呼び、一帯の小字名となっている。  神社庁資料より


こんもりとした森のある白幡山公園の中にあります。
2007年12月に不審火によって社殿が消失しましたが、地元有志の協力で2012年9月改築されました。

鳥居を潜り、石段を登りますと

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石段下左手のお賽銭箱。
当然にも、こちらにも笹竜胆が。

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石段の中間でお待ちかね。

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慶応二年(1866)十一月生まれの狛犬さんでした。

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綺麗に改築されたご神殿。

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境内には、倭建命(やまとたけるのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)の二柱が祀られた境内社や石祠・石塔が。

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そして、木花佐久夜比売命(このはなさくやひめのみこと)が祀られている浅間社(右側)や稲荷社も。

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時間的な関係で確認する事が出来ませんでしたが、お社の裏手のこんもりとした丘には、元一講の講紋がある富士講碑(嘉永元年)や富士浅間大菩薩碑(文化七年)などの石碑や石塔も多数在るとの事です。
次回には是非とも!と思っています。


改築されましたお社のお参りを済ませ、嘉永二年(1849)三月の彫の在る親柱を眺めながら石段を降り、

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咲き誇る梅の花を楽しみつつ、源義経が主祭神の信濃白幡神社を後にしました。

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これにて、2013年の第1弾はおしまい。

狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧になって下さい。


・ご近所の狛犬さん その51は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その53は、こちらです。


最後までお付き合い、有難うございました。


では、また。

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ご近所の狛犬さん その51

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やっと、ご近所編も2013年取材分となります。
今回も横浜市戸塚区です。
戸塚区の最北部、東戸塚駅付近のこちらへ。



・平戸白幡神社 (戸塚区平戸町302)



・祭 神 源頼朝(みなもとのよりとも)

・由 緒
 当神社は源頼朝公薨じて百三年後の乾元元年 (1302) 九月九日鎌倉鶴岡の相承院の前住元智が勧請したもので明和六年 (1769) 十月十四日には相承院を通じ、みたましろとして「右大将家 (頼朝公) の御鬢髪三筋」を送られた (東福寺所蔵文書) 東福寺の神事奉仕は創祀以来凡そ五百七十年に及んだ。
 東福寺の鎮守として発足した当神社は、江戸時代には平戸村の鎮守となる。 (新編相模風土記)
 明治六年 (1873) 十一月十日には村社、昭和十四年九月二十日には幣帛供進村社となったが大東亜戦争後の昭和二十八年九月十五日に県知事の認証を受け新発足して宗教法人となり神徳いよいよ明らかである。
 現社殿は新築され昭和七年四月十日竣工したものである。  神社庁資料より


国道1号線に面して参道入り口が。
鳥居の奥に、狛犬さんや石段が望めました。

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出迎えてくれた狛犬さんは、昭和二十五年(1950)九月十八日生まれでした。

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阿狛さんの右手奥には、庚申塔2基と

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吽狛さんの左手奥に、神社の由緒書きが在りました。

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続いて、かなりの段数の石段を登ります。

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神社に石段は付き物なのでしょうが、お年寄りには大変でしょうね。って、カル2の事ではないですよ!
石段を登りきると、割合に広い境内でした。

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拝殿と奥に本殿。

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その境内には、水屋(手水舎)が。
嘉永七年に奉納されたそうです。
ペリーの黒船来訪の翌年とか。
で案内の掲示物から。(写真は、全て拡大出来ます)

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片隅に、小さいながらもしっかりとした石祠も。

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日本水仙の香りが漂う中、本殿の左手奥に向かいますと、やや小さめのお社が。境内社ではなく、昔から祀られている地元の稲荷社との事です。

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社殿前を横切る、かつての鎌倉街道を通り境内へ。
手水舎を右手に眺めながら、石段を降ります。

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御神木の欅がとっても大きいですね。
狛犬さんやカル2がとっても小さく見えています。

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とっても大きいですよ。是非一度ご覧になってみたら?
上の写真に写っているのは、国道1号線を走行する車両です。

多くは源頼朝を主祭神とする白幡神社、白籏神社とも表記されますね。日本全国に70社あまりが在り、鎌倉幕府の在った神奈川県の他、千葉県に多い様です。
その白幡神社、信濃白幡神社へと続きます。

狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧になって下さい。


・ご近所の狛犬さん その50は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その52は、こちら です。


最後までお付き合い、有難うございました。


では、また。

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