どちらも良い表情で甲乙付けがたし。で2枚とも。
昨年の1月6日分・東松山市編の第3弾となります。
上岡馬頭観音、秋葉神社、鷲神社と巡り、鷲(おおとり)
神社から北東方向・直線距離1.3㌔ほど移動でした。
・鷺大神社 (東松山市柏崎744-2)
・祭 神
大国主命(おおくにぬしのみこと)
:大己貴命 (おおなむちのみこと)・別名多数
※ 日本書紀では、素戔嗚の息子とのこと
瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)
:天津彦彦火瓊瓊杵尊
(あまつひこひこほのににぎのみこと )
※ 日本神話では、天照大神の孫とのこと
との事ですが、由緒・由緒と共に今一不明です。
以下の鷺大神社御造営記念碑もご覧ください。
表参道です。
狛犬さんが出迎えてくれましたが、お参りから。
では、狛犬さんのご紹介です。
大正六年(1917)二月九日生まれでした。
台座には、「参廟紀念」の彫りも在りました。
吽像の方の右足下には、子獅子が居たのでしょうか?
只今散歩中の様で不在でした。
何だか、右手で「お手」をしているのか?招き狛犬のポーズをしているのか?
聞いてみましたが、ワンとも答えてくれませんでした。
裏参道?の入り口は、こんな感じでした。
拝殿と、狛犬さん達。
阿像の後ろに手水舎が。
手水鉢には、こんな彫りが在りました。
案外と広い感じの境内で、石段は数段しかなく石段を通らなくてもお参り可能でした。
お参りも済み招き狛犬さんともお別れをして、南西方向・直線距離1㌔ほど移動でした。
・利仁(としひと)神社 (東松山市下野本812)
・祭 神
藤原利仁(ふじわらのとしひと)
・由 緒 不明です。
藤原利仁とは、
平安時代中期の武将。民部卿藤原時長(中納言・藤原山蔭の同母兄弟)の子。越前国敦賀の豪族藤原有仁の娘婿。
左近将監などを経て、延喜十一年(911)上野介となり、翌延喜十二年(912)に上総介に任じられる。そのほか下総介や武蔵守など坂東の国司を歴任し、同十五年(915)には下野国高蔵山で貢調を略奪した群盗数千を鎮圧し武略を天下に知らしめたということが『鞍馬蓋寺縁起』に記されている。この年には鎮守府将軍となり、その最終位階は従四位下であったとされる。
Wikipediaより引用
平安時代の武将であり貴族だった様ですね。
盗賊の取締りで名を上げた人物とかで、鬼平犯科帳に出て来る長谷川平蔵みたい?って、あれは小説の世界の人物か。
でも、火付盗賊改方長官・長谷川平蔵は、実在の人物だったそうですね。
お社は、野本将軍塚古墳・前方後円墳の後円墳部に在りました。
古墳の解説板の上方にお社が見えています。
かなり大きな前方後円墳で、古墳時代の相当な人物が埋葬されているのでしょうね。そしてこの近辺には多くの古墳群が点在するそうで、武蔵国の中でもこの周辺は、かなり発展していた事が偲ばれますね。
その巨大な古墳の中央部・括れた部分に赤い両部鳥居が。
鳥居を潜り、前方部と後円部を結ぶ地点から左の後円部へ石段が続いていました。
石段途中の踊場?の右手に、石祠・稲荷明神社が祀られていました。
さらに石段をこなしますと、狛犬さんがお出迎え。
当然にも、こちらでも先ずはお参りから!
年令不明でしたが、とっても笑顔が素敵な狛犬さんでした。
後円部に在るためか境内?は、やや狭い感じが。
大正四年(1915)・御即位祈念の彫りのある手水鉢が在りました。
前方後円墳の上に在る神社は、愛知県大口町の白山神社が初めてで、これで2社めに。全国的には、かなりの数が在るのでしょうね。
お気に入りとなりました狛犬さん2対でした。
午年の東松山市第3弾は、これにて!
東松山市の狛犬さんは続きます。
お楽しみに!
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・ちょい遠目の狛犬さん その48は、こちらです。
・ちょい遠目の狛犬さん その50は、こちらです。
狛犬さんレポは、まだまだ続きますよ~ぉ。
では、また。
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