ご近所の狛犬さん その50
横浜市戸塚区編、怒涛の第2弾・その5です。
その1 、その2 、その3、その4です。
旧東海道沿いの八坂神社から旧東海道近くの数社を巡りつつ、南下。横浜桜陽高校前のこちらへ。
・五霊神社(ごりょうじんじゃ) (戸塚区汲沢町1273)
・祭 神
村岡五郎平良文(むらおかたろうたいらよしふみ)
平将門の叔父
村岡公致(むらおかきみとも)
村岡致成(むらおかともなり)
鎌倉景成(かまくらかげなり)
平安時代後期の武将、村岡良文の子孫
鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)
相模国鎌倉の領主
・由 緒
元亀二年(1571)九月十五日創建。当時この地は村岡郷に属しており、森織部義秀が村岡郷宮前村の御霊社を勧請した。
後に鎌倉景成、鎌倉権五郎景政を合祀して、祭神が5柱となったので社名を五霊と改めたという。
慶長二年(1597)社殿を再建し、五霊大権現と称した。再建に当って氏子一戸より松苗12本ずつ集めて現在目通り1丈あまりに達し当時の面影を偲ばせていたが遂に枯損した。
その後社殿の改築2回、更に関東大震災で倒壊。直に復興し大正十三年十二月十五日竣工せしが其の雨漏りあり。其の都度修繕していたが森今吉責任役員雨漏りを憂いて私財54万円の寄進の申し出あり。氏子に詔り氏子崇敬者等の浄財を願い社殿工事を有限会社上田製伐所建設部に依頼し昭和五十七年十一月六日竣工す。 神社庁資料より
五霊神社前のBS傍の石段を登ります。
赤い鳥居の前に、明治四十年(1907)三月生まれの狛犬さんが。
狛犬さんの台座に、こんな文字が。
中に、凱旋軍人名簿が納められているのでしょうか?
石段を更に登ると石仏群が。そして石の鳥居があり、横浜市の名木古木に指定されているモミノキが右手に。
畏れ多くも有難い山ノ神様ですから、当然にもお参りをしましたとも。
尤も、里の山ノ神様ですから、田の神として祀られているのかも知れませんね。
石段を登り切りますと広い境内があり、片隅には慶応元年(1865)仲秋吉祥日の彫りのある手水鉢や石製の由緒沿革書きもありました。
境内の片隅には、立派な手水社が。
その脇には、名木古木指定のスダジイも。
何か工事中の様子で今一ゆっくりと探索する雰囲気ではありませんで、更に神社めぐりを継続。しかし、数社を巡るも不在社が多く何だかな~ぁ!
で結果、五霊神社から南東方向800mほどの少し探しあぐねたこちらへ。
・大久保神社 (戸塚区汲沢町309-2)
・祭 神
天照大神(あまてらすおおかみ)
明治天皇(めいじてんのう)
・由 緒
伊勢大神を奉斎し明治天皇の教育勅語を奉載して国家安泰と世界の平和を祈念するため、石井孝三郎翁が其の所有地を開放して、昭和二十六年(1951)十月十五日創立した。明治維新100周年を記念して更に社地社殿付属の建物が寄進された。 神社庁資料より
近くには小さな林や公園がある高台の住宅地に在る神社です。
境内は、桜の花びらが飾られた様に一面に。
これにて、2012年怒涛の戸塚区編・第5弾はおしまい。
しかし、戸塚区編は、もう少し続きます。
毎度感じる事ですが、狛犬さん不在社がなんと多い事か。
今回は22社巡って、対面出来たのは10社のみ。
まあ、4割5分でしたから、良い方ですがね。
木之咲耶姫様の関係社は、狛犬さん不在社が多かったです。何か理由があるのでしょうか?
姫様は犬嫌いで、猫が好き!とか。
次回は、やっと2013年分の戸塚区編となります。
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
どうぞ、ご覧になって下さい。
・ご近所の狛犬さん その49は、こちらです。
・ご近所の狛犬さん その51は、こちら です。
最後までお付き合い、有難うございました。
では、また。
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