2011年分の第2回目、11月5日の弥彦市と燕市の取材です。第1回・その33三条市編は、こちらです。
越後の紅葉狩りと洒落こんでみまして、その際に。
・彌彦神社(西蒲原郡弥彦村弥彦2887−2)
・祭 神
天香山命(あめのかごやまのみこと)
天香語山命とも表記。地名から伊夜日古大神(伊夜比古大神、伊夜彦大神)などとも称される。
・由 緒
創建年代は詳でないが、社記によると和銅4年(711年)、詔により神域を拡げ社殿を造営し、続日本後紀天長十年の条に「名神に預かる」とあり、延喜の制では名神大社に列し、村上天皇の天暦元年(947年)に正一位に進まれた。
古来朝廷の御崇敬篤く、明治天皇はご一新にあたり明治11年、北陸御巡幸に際し御親拝相成り、昭和47年には昭和天皇・皇后両陛下御揃いで御親拝の光栄に浴し、更に昭和56年には皇太子、同妃であられた天皇・皇后両陛下のご参拝を仰いだ。
由緒は、こちらのHPより転載させて頂きました。
彌彦は正式には「いやひこ」ですが、地名などが全て「やひこ」と読む関係で、一般には「やひこ」と呼ばれる。との事です。
弥彦山の紅葉狩りの向かう前段に、早朝の弥彦神社に安全祈願のお参り。
弥彦山の紅葉狩りレポは、こちらです。
(カルディナのレポは、こちらです。)
大きな赤い鳥居のある参道から巡りました。
境内では、菊祭りが開催されていました。
隋神門内部を覗く。
とっても大きな拝殿でした。
隋神門前の大正五年(1916)十月生まれの狛犬さん。
早朝でして、光が足りなかった。

そして、摂社・末社へ。
石段上の明治四十三年(1910)四月生まれの狛犬さん。


その境内には、多くの摂社・末社が祀られていました。

参拝後、登山道へ。
そして、お馴染みの弥彦山頂の御神廟。
御祭神並びに妃神の御廟(奥宮)だそうです。

何処でも見通しの良い高い所には、無粋なものが多くなっていますね。

分水方面や多宝山・弥彦公園方面の眺め。
しか~し、海も見えているのですが、天気が今2くらいなのが残念。


山頂からの絶景を思い浮かべながら、同じ道を下山でした。
途中の彩りを少しだけ。


降りて来て弥彦神社に参拝をと思いましたが、菊まつり開催中なので大混雑。
狛犬さん写真を追加などはとても無理。
仕方なく大駐車場へ戻りましたが、そちらも大変な混み様でした。
適宜着替えて、そそくさと次の地へと移動でした。
・稲荷神社(燕市太田)
・祭 神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
素戔嗚尊(すさのうのみこと)
大市姫命(おおいちひめのみこと)
※ 大市姫命は、素戔嗚尊と結婚し大年神(おおとしがみ)と倉稲魂命(うかのみたまのみこと)とを産んだ関係で、五穀神として崇敬されている。
とされていますが、祭神由緒と共に不明です。
混雑している弥彦神社から、国上山南麓の田園地帯へと移動でした。
社殿はその田園地帯の小高い位置に在りました。

社殿は、丁寧な補修がなされていました。
そして、明治二十六年(1883)九月二十七日生まれの
狛犬さん。
台座に平成二十二年十月修復との表記も。

建立から120うん年過ぎていると思われますが、とっても味わい深い狛犬さんでした。
そして本殿の右手に小さなお社が。
覗いてみますと、”おお、何と言うものが!”でした。
石の棒状のものが祀られていましたっけ
。
”ほらね、見えるでしょ!”子孫繁栄を願っているのでしょうね。
犬山市ではこれの反対のが祀られていましたっけ。
かなり遠目の方ですが、2~3回後にご紹介予定です。
ご期待くださいね。
”誰が期待なんか・・・!”とおっしゃらずにね。
これにて、越後の狛犬さん その34は、おしまい。
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
写真集は、こちらです。どうぞ、ご覧下さい。
・越後の狛犬さん その33は、こちらです。
・越後の狛犬さん その35は、こちらです。
越後の狛犬さんは、まだまだ続きます。
次回も燕市編となります。
いろいろと面白い方々が登場しますので、
お楽しみに!
これからも、是非お立ち寄り下さい。
では、また。
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