狛犬(ちょい遠目?)06

ちょい遠目の狛犬さん その30

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ちょい遠目の狛犬さんシリーズ?の2010年取材分もやっと最終回となりました。
9月21日、たぶん湯ノ沢峠へとお花見に行った帰りだと思いますが、記録がありませんので何をしにあちらへと行ったのか定かではありません。
で、以前から神社があるのは承知していましたが、幾度となく前を通っていたにも関わらず狛犬さんがお住まいとは・・・。
それも、綺麗にお化粧をしてもらった狛犬さんが。
金目に金歯、そして口の中のパタ~ンでしたのに。


と言う事で、焼山林道を下って来ました左手のこちら。



・八大龍王神社(甲州市大和町初鹿野5147)


・祭 神
 難陀(なんだ)、跋難陀(ばつなんだ)、沙伽羅(さがら)、
 和脩吉(わすきつ)、徳叉迦(とくさか)、
 阿那婆達多(あなばたつた)、摩那斯(まなし)、
 優鉢羅(うはら)

 八大龍王は、釈迦生身の眷属で、釈迦生誕の砌、彼等が天より甘露を降らせ祝福したともいう高い神格をもつ龍神。水を司どる神、水分の神様。
 八大龍王は、萬人を救い導き、教えを与える神であり、神仏一対神との事です。

・由 緒
 下の社頭案内板を拡大してご覧ください。

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道路に面して赤い幟が林立しており、鳥居の後ろ側には狛犬さんが。

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社号標の後ろに八大龍王神社の由来が。

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で、少し平たい頭の狛犬さんで、昭和四十七年(1972)四月吉日生まれでした。

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今回は1社のみのご紹介で、写真が少ないのでベタベタと。
3つ目の鳥居を潜り拝殿へ。

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こちらの神社も、ご近所の狛犬さん その39でご紹介しました横浜市戸塚区瑞穂神社同様の雰囲気があった記憶があります。
その瑞穂神社のレポは、こちらの最下部に有ります。

何となくゆっくりとは境内を巡る事が出来ず、神社跡や菖蒲ヶ池跡などを眺めながらの戻りとなりました。

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こんな短めの、甲州市・八大龍王神社の狛犬さんレポでした。



取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。



・ちょい遠目の狛犬さん その29は、こちらです。

・ちょい遠目の狛犬さん その31は、こちらです。



シリーズは、まだまだ続きます。

では、また。

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ちょい遠目の狛犬さん その29

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またまた、狛犬さんレポの間隔が・・・。
今年もかなり暑い日が続いたし、ちょいとヤボ用が多くて、狛犬さんは置いてきぼり。
ホルダの中で、早く出せ!と更に怒っている様です。
だいぶ涼しくなって来ましたので、狛犬さんもオットリとお出ましです。
で、前回の平塚八幡宮からの移動となります。
そのちょい遠目の狛犬さん28は、こちらです。

平塚駅前の国道沿いの大きな平塚八幡宮をお参り、
若干時間がありますので北東方向へと進路を変更。
相模国府祭(さがみこうのまち)の六神社の残り2社のうちのこちらへ。



・前鳥(さきとり)神社 (平塚市四之宮4-14)


・祭 神 
    菟道稚郎子命 (うじのわきいらつこのみこと)
      学徳の神様
    大山咋命 (おおやまくいのみこと)
            活動と福禄の神様

    日本武尊  (やまとたけるのみこと)
            安全守護の神様

・由 緒
 神社名の「さきとり」は平安以前の古い地名で、相模川河原に接する自然堤防の南端で、地形名から起こったと言われています。
奈良時代の天平7(735)年の『相模國封戸租交易帳」には「大住郡埼取郷」として記載されています。
この「さきとり」の地に奈良時代以前、畿内から御祭神を「氏の上」とする氏人が移り住み、遺徳を偲び、清浄な地にお祀りしたのが「さきとり」神社と考えられます。  延喜年間(901~923)に編纂された『延喜式』という法制書の中で全国の著名な神社が収録されている神名帳に、当神社は「前鳥神社」と記され、相模国の十三座のひとつとして登載されています。また、四之宮の称は、養老年間(717~724)の相模国の国府祭が始まったとされる頃に生じ、平安時代には四之宮郷として通称されるようになりました。
 鎌倉時代には幕府の崇敬を受け、建久3(1192)年8月、源頼朝公夫人政子の安産祈願にあたり神馬の奉献があり、建暦2(1212)年に幕府は当社を将軍家祈祷所と定めました。近世に入ると、関東八カ国の領主となった徳川家康公は天正19(1591)年11月、当社に武運長久祈願のために朱印地十石を寄進、あわせて社地二千百余坪を除地として加護しました。   

     前鳥神社HPより。 
詳細は、HPへどうぞ。


こちらも広い境内で、駐車場から少し移動。
表参道の石の鳥居と狛犬さん。

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昭和五十七年(1982)十一月二十三日生まれでした。

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鳥居の右手には、鐘楼や忠魂碑、そして宝篋印塔などが。
鐘楼の周囲では、子供たちが楽しそうに遊んでいました。鐘楼の後ろには「さきとり幼稚園」も併設されています。

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石の鳥居を潜り参道を拝殿へ。

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拝殿手前の左手(西方)に、脇参道の赤い鳥居が目に入りましたのでそちらへ。

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昭和五十七年(1982)八月吉日生まれでした。

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阿像後ろの寛政六年(1794)十一月の彫のある社号標。

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赤い鳥居を潜り直して拝殿へと向かいますと、左手に境内末社と思われる2つの小さなお社が。
神社の記録には境内社が数社あるとの事ですが、社名は不明です。

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稲荷社右隣の社の前に、昭和十六年(1941)四月吉日とあるこちらが。

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セメント製のような感じのする、金目の名残のある狛犬さんでした。
寄り道が多く時間が掛かってしまいましたが、どうにか拝殿へと辿り着きましてお参り。

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拝殿を背に参道を眺めますと、最初の石の鳥居が見えていました。

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時季により、茅の輪も潜られるとか。
その参道を少し戻りますと、 ”おお~ぃ、こっちだよ~ぉ!”の声が?
声がする方を見ますと・・・、祖霊社の狛犬さんが。
来た時には、工事用天幕の陰で見えませんでした。

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鎮守の森の木立の下で少し暗く、天幕にも邪魔されて条件が・・・。と、ピンボケの言い訳でやんす。
大正七年(1918)九月二十八日建立、昭和五十七年十月吉日表参道より移転修理。との彫がありました。
脇参道の赤鳥居下の狛犬さんの台座には「共有解散記念」ともありましたので、昭和五十七年に一大行事?があった様ですね。

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鬱蒼と茂る樹々を眺めながら参道を戻ると、こんな案内板がありました。

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平塚八景・森の前鳥神社との事。どおりで、7月なのに狛犬さんが涼しそうな顔を見せて居る訳ですね。

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足元には、こんな可愛い花も。
まあ、暑さに強い花でもありますがね。

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と、こんな感じで2010年7月13日の中井の蓮と狛犬さんを訪ねての旅?は終了となります。
間が長~~~くなってしまいました狛犬さんレポ、お付き合い戴きありがとうございました。
相模国府祭(さがみこうのまち)の六神社は1社・伊勢原市の比々多神社を残して、次回は甲州市の神社をご紹介予定です。
少々お待ち下さい。


取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。



・ちょい遠目の狛犬さん その28は、こちらです。

・ちょい遠目の狛犬さん その30は、こちらです。



シリーズは、まだまだ続きます。

では、また。

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ちょい遠目の狛犬さん その28

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またもや狛犬さんレポの間隔が・・・。
ちょいと他の作業が多くて、狛犬さんは置いてきぼり。
ホルダの中で怒っている様です。
で、前回の六所神社から移動後となります。
そのちょい遠目の狛犬さん27は、こちらです。


六所神社平塚八幡宮相模国府祭(さがみこうのまち)の六神社として、奈良・平安時代から続きます謂れのある神社です。
その六社とは、すでに訪れました相模国一之宮寒川神社、二之宮川匂神社、三之宮比々多神社(未訪)、四之宮前鳥神社(次回ご紹介)、平塚八幡宮、総社六所神社です。
毎年5月5日にこの六社が大磯の斎場に集まり、国家安泰・五穀豊穣・諸産業の繁栄を祈念します。もちろん大きく立派な御神輿も参集し、盛大なお祭りです。
詳しくは、こちらなどをご覧下さい。



と言う事で、レポを続けます。
大磯町の六所神社の大きな赤い鳥居を後にし、国道1号線を更に東進。
平塚駅の北方、こちらにも国道1号線に面して大きな赤い鳥居が在ります。



・平塚八幡宮(平塚市浅間町1-6)


・祭 神  応神天皇(おうじんてんのう)
      神功皇后(じんぐうこうごう)
      武内宿禰命(たけうちのすくねのみこと)

・由 緒
 当宮は千六百有余年の長く輝かしい歴史を持つ神社で、その昔は鶴峰八幡宮といわれました。創祀は第十六代仁徳天皇の六十八年であります。時にこの相武の地に大地震があり、人民が非常に苦しんでいることを聞かれた天皇が国土安穏を祈願して創られたのが当宮であります。
 その後、推古天皇の御代にも当地に大地震があり、人々を案じられた天皇は、当宮に「鎮地大神」の御宸筆を賜り、新宮殿を造営して国土安穏を願われました。
 そのような由緒を持つ当宮は、相模の鎮めとして、朝廷の信頼あつく、記録に残るだけでも顕宗天皇は膳部の料、仁賢天皇は四千余町の土地、天武天皇は土地の税、文武天皇は宝剣、聖武天皇は法華経を寄進しておられます。
 以来、相模の国一国一社の霊場として重要視され、鎌倉時代以降は武人の信仰もあつく、源頼朝公の夫人の安産を願って神馬奉納、徳川家康公の社領寄進等はよく知られています。  社頭案内板より


4~5車線の国道を渉らずに、こちらからちょいと主参道の一の鳥居を。

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先ずは、大鳥居下の高い台座に座る大正十一年(1922)八月三十一日生まれの狛犬さん。

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参道を進みますと、ブロンズ製の二の鳥居が。
扁額が透けていました。このタイプは、初めての出会い。

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二の鳥居同様、こちらもブロンズ製の狛犬さん。
元は昭和六年(1931)六月四日生まれとの事ですが、昭和四十六年(1971)十月吉日復興と。戦時中の昭和十八年に供出されたのでしょうか?
こちらも割合に高い台座の上でした。

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数段の石段を上がり、茅の輪を潜って拝殿へ。

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境内には、諏訪神社や若宮社、神明社なども祀られていました。
拝殿が大きすぎて、少し遠くから。

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拝殿を背に。茅の輪向こうに、二の鳥居や一の鳥居が見えています

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拝殿の左手に神輿舎がありました。
覗いて見ますと、何と木製と思われます神殿狛犬が。

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嬉しくて手が震え、ちょいとボケてしまいましたが。

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思わぬ出会いに喜んでおりますと、”良かったニャ~ァ!”とニャンコさんが。

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境内を巡りながら戻りますと道祖神の石碑や古い石祠があり、その前には宝船や狛犬さんなども。

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こちらの境内も樹々がかなり多く、弁財天も祀られて居ました。

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広めの池が2つほど。
当然にも”カメこ~~~い!”と声をかけますと、

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亀さんや錦鯉がゆったりと遊びに来ました。
国道1号線に接した平塚八幡宮ですが、境内は案外と静かで涼しい風が吹き抜けていました。
この後、少し離れていますが前鳥(さきとり)神社へ。

と言う事で、ちょい遠目の狛犬さん その28は、
これでおしまいです。



取材した多くの狛犬写真があります、

カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。

ご覧いただけると嬉しいです。



・ちょい遠目の狛犬さん その27は、こちらです。

・ちょい遠目の狛犬さん その29は、こちらです。



シリーズは、まだまだ続きます。

では、また。

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ちょい遠目の狛犬さん その27

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かなり長くお休みをしていましたちょい遠目の狛犬さんの再開です。
前回のその26は、こちらです。
前回のレポは、今年の1月に干支に因んでの狛龍さん詣ででして、順番がずれてしまいました。
狛龍さんのレポは、こちらです。
従って今回は、残ってしまいました2010年7月分です。


毎度お馴染みの季節物、中井蓮池の里を楽しみながらでした。
その蓮池の里のレポは、こちらです。


斜め(ハス)になって咲いている花を楽しんで、帰り道?こちらへ。
国道1号線に面して在ります。



・浅間神社 (小田原市前川586)


・祭 神 木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)

・由 緒 不明です。



旧東海道・国道1号線の国府津駅前を過ぎ、2kmほど東進した橘IC入口の少し手前山側です。
国道に面した参道を20mほど進みますと、正面に鳥居が。

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意外と狭い感じの境内でした。
文化二年(1805)六月吉日の彫りがある一対の石灯籠を過ぎ、数段の石段を登ると拝殿が。

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狛犬さんの台座には皇紀二千六百年記念の彫りがありましたので、昭和十五年(1940)生まれですね。

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拝殿の右手には、多くの石塔が祀られていました。

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2基の双体庚申供養塔。
いつの頃から祀られているのでしょうか?
年代は読み取れませんでした。

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明和五年(1768)十一月六日の彫りのある、青面金剛の剣人型庚申供養塔。

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拝殿裏手には、社稷神と彫られた 地神塔。
文化五年(1808)二月吉日の彫りもありました。

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狭い境内ですが、大きな樹々が見られました。

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浅間神社のお参りを済ませ、1号線を更に東へ。
二宮町を過ぎ大磯町へ入り4~500m進むと、国道沿いに赤い大きな鳥居が在ります。そちらにお参り。




・六所神社(大磯町国府本郷935)


・祭 神  櫛稲田姫命 (くしいなだひめのみこと)
      素盞嗚命   (すさのおのみこと)   
      大国主命   (おおくにぬしのみこと)

・由 緒
 人皇十代崇神天皇の頃、出雲地方よりこの地に氏族が移住せられ開墾開発された。
そしてこの地を「柳田郷」と名付け、彼らの祖神たる櫛稲田姫命、素盞嗚尊、大己貴尊(又の名 大国主命) を守護神として、石上台、又の名伊勢神台 (当鎮座地北西一kmの台地) に祀り社殿を結構し柳田大明神と称て地域の親睦発展は元より、子々孫々に到るまでの弥栄を祈願した。
 この柳田大明神が六所神社の旧名であり、御創建は崇神天皇甲申の年と言われ、今から約二千五十年~二千百年前。
柳田大明神の御加護の元に氏族の人々は心を一つに和して開墾開拓に辛苦努力を重ねられ、東国開発の基礎を固められ又相模国の形成に多大なる貢献をなされた。
大化改新後国の行政も次第に整い国司の制度が始められてゆく中に、元正天皇の御代養老二年 (718) 閏四月八日、石上台より現在の鎮座地に奉遷。暦勅を以って相模国八郡神祇の中心をなすべき旨宜下された。
桓武天皇天応元年 (781) 五月五日、早良親王夷賊征討に際し退壌祈願あり。平安時代に入って相模の国府 (今の県庁) が柳田郷に置かれるようになると、柳田郷の地名も相模の国府と称せられるようになった。
大化改新以来、国司は任国に着くと先づ神拝と言って国中の主たる神々を順拝し国幣を頒つ制であったが、順拝は大変な日数と費用と人員を要するため、主たる神々の御分霊を合わせ祀る社即ち総社を設ける習いとなった。
相模国の場合、柳田大明神に、一宮寒川神社二宮川匂神社三宮比々多神社四之宮前鳥神社平塚の八幡宮分霊を合わせ祀り相模国総社の成立を見ました。又六ヶ所の神社合わせ祀る所から国府六所宮とも称せられるようになった。
相模国府祭 (神奈川県無形文化財) もこの時代から「お祭り」の性格を持つようになったと思われる。そして鎌倉時代になると、源頼朝の崇敬誠に篤く『吾妻鏡』によると治承四年 (1180) 十月十六日の条、平家の大軍が平維盛を大将として富士川に攻寄った時国府六所宮にて戦勝祈願を行う。
同年十月二十三日、源頼朝は北条時政等二十五名の功賞を行う。その規に依り、文治二年 (1186)、本殿の改造が行なわれ、建久三年 (1192年) 八月九日、源頼朝の実子実朝の安産誕生祈願の為神馬奉納「総社柳田」と記す。
建長四年 (1252) 四月十四日、宗尊親王将軍の事始に幣帛神馬を奉納以上の様に源頼朝は総社六所宮に対する敬神の念誠に篤く、又相模国を代表する神社として崇敬し特別扱いをしている。
戦国時代には戦国の雄北条早雲の崇敬も大変篤く御子氏綱が永正年間 (1501~1520) に六所宮の御社殿御造営、又四代目左京大夫氏政公が御本殿の修復を行いこの本殿が現在のものである。
天文十三年 (1544) 十二月二十三日付の北条氏寄付状があり相州六所領六十五貫七十八文とある。又大納言徳川家康も相模国総社六所宮に対する崇敬の念誠に篤く天正十九年 (1591) 、武運長久の祈願として六所領 (15000坪) 五十石の寄進状御朱印があり、徳川家光は慶安元年 (1648)、 国家安全祈願として五十石の寄進状御朱印があり、以後歴代の将軍の特別なる祈願と六所領の寄進があり明治に到っている。 神社庁資料より



国道一号線に面した赤い鳥居を潜り、東海道本線により分断されてしまった参道(線路を潜る)を北上すると、

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大きな杜が見えてきます。
境内入口の車止めには、可愛い小鳥が。

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境内に入ると神池が在り、その脇にはかなり古い2対の石灯籠が。

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神様がお通りになられる敷石を避けて更に進むと、数段の石段の先に拝殿が。

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で、狛犬さんの台座の銘部が欠損しており、残念ながら年令は不明でした。
なかなか眼光鋭く、威厳がありました。(少し怖い顔?)

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            ↑ 尻尾のぐるぐる


相模国総社としては少し狭いと思われましたが、大きな樹々も数多くあり手入れが行き届いている境内でした。

拝殿を背に。

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一段降りて、

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参道の左右つながる神池には、六所ひぐるま弁天社が祀られていました。

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とっても静かな、しっとりとした六所神社でした。
この後、国道1号線を更に東へ。
平塚の八幡宮へと向かいました。


と言う事で、ちょい遠目の狛犬さん その27は、
これでおしまいです。



取材した多くの狛犬写真があります、

カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。

ご覧いただけると嬉しいです。



・ちょい遠目の狛犬さん その26は、こちらです。

・特別編・狛龍さん養沢神社レポは、こちらです。

・ちょい遠目の狛犬さん その28は、こちらです。

シリーズは、まだまだ続きます。

では、また。

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今日はこちらに!養沢神社へ 2011.01.06.

今日は、こちらに!
干支の辰!
狛龍さん詣でです。
見えるかな?

*******          以上モブログでした。    1/6追記

今年の干支狛さんに逢いに、あきるの市養沢の養沢神社へ行って来ました。


・養沢神社 (あきる野市養沢1018)

場所は、大岳鍾乳洞入口BSのまんです。
さらりと狛龍さんの方をご紹介します。
拝殿を背にして眺めますと、右に口を開いた阿狛龍さんと左に玉を銜えた吽狛龍さん。


口を開いて赤い舌を覗かせています阿の狛龍さん。

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顔を拡大しますと、

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左側の玉を銜えた吽の狛龍さん。

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こちらも顔を拡大しますと。

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そして、吽の狛龍さん側からの御両人?です。

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拝殿前に通常の狛犬さんが並んでいましたが、後日作成予定のレポにてご紹介となります。
そうそう、こちらの境内にとっても大きなトチノキが。
あきるの市の保存樹木に指定されているそうです。

※ 幹周; 6.34m(地面より地上1.3m部分を計測)
   樹高;   32m  との事です。
 

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こちらの境内の奥には、サルギ尾根への取り付きがあります。
かなり急な登りでして、鉄パイプの手すりが設置されています。
我が家の古いエアリアでは黒破線ですが、現在は赤線となっているそうですね。あきる野市で設置した指導標も充実した様子でした。


取り付き点からの上部の眺め。

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そこをズームしてみました。
写真で見るよりも、もっと勾配がキツイです。

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そして、境内から出て(御岳線)の養沢川沿いに行けば日の出山の登山口や御岳山下の七代の滝方面。
(大岳線)の大岳沢沿いに行けば大滝から大岳山へのとっても良い雰囲気の道へと続く。
と言うロケーションの非常に良い所です。


先ずは、今年の干支の辰・狛龍さんのご紹介でした。
詳しいレポは、暫くお待ち下さい。


・ちょい遠目の狛犬さん その26は、こちらです。
   狛兎レポです。

・ちょい遠目の狛犬さん その27は、こちらです。




では、また。

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今年の〆は、こちらです!    (狛犬特別編4)

今年の〆は、弱足ママさん からのプレゼントをご紹介します。

狛犬好きのカル2のために、寒い中パチリと撮って来て下さいました。
お疲れだったでしょうにね。


で、場所は武甲山御嶽神社です。
ポレポレ隊の忘年山行だったそうです。
その楽しかった&寒かった?レポは、こちらです。


武甲山御嶽神社(秩父市横瀬町横瀬)

先ずは、表参道の一ノ鳥居前の2対。

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手前側の昭和二年(1927)生まれの狛犬さん。

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鳥居側の昭和十四(1939)生まれの狛犬さん。

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武甲山山頂の御嶽神社の大正十年(1921)生まれの狛犬さんです。
なんとも恐竜さんの口元のような感じ。
でも、やっぱりオオカミさんかな?

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まだ訪れた事のない武甲山、行ってみたく(山遊びか?狛犬詣でか?)なりましたよ。
我が家も計画には入っているのですが、なかなか実現しません。
武甲山が平になる前には是非とも。と思案中です。
って、いつまで生きているつもりなのか?

皆さんのお陰で、狛犬さん写真集がより充実して来ています。
皆さんのご協力に感謝・感謝です。

※ 狛犬さん写真集は
表紙の下部の「一覧表入口」→「一覧表」→「
各県・市別の神社」で辿りますと、かなりの角度からの狛犬さんが眺められます。
ご面倒かも知れませんが、どうぞご覧下さい。

ママさんからのプレゼントのご紹介でした。今年も残すところ、あと6時間ほど。
今年も本当にお世話になりました。
皆様に元気を頂いて、生きております。

皆様が平和な幸せ溢れる新年を向かえられますように!!!

有難うございました。


では、来年また。

狛犬さん特別編その3は、こちらです
狛犬さん特別編その5は、こちらです。
是非、こちらにもお立ち寄りください。

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ちょい遠目の狛犬さん その26

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干支に因んで、今年は浦和へ初詣。
電車の都合で予定の順序が逆となりましたが、先ずは南浦和から。
南浦和~浦和の一駅散歩。と、どこかで聞いた事がある様な?
顎・足は自前の散歩ですがね。

そうです、今日は公共交通機関を使用しました。
南浦和駅で下車、駅の南東方向に進みました。



先ずは、大谷場氷川神社に詣でましたが、目的でした干支の兎さんからご紹介。


・参拝順序は、大谷場氷川神社調神社
         本太氷川神社大善院
でした。

ご紹介は、調神社・大谷場氷川神社・本太氷川神社・大善院の順序となります。

珍しい狛雉さんがお住まいの大谷場氷川神社は、調神社の次にご紹介します。




・調神社(さいたま市浦和区岸町3-17)



「調神社」は正式には「つきじんじゃ」と読むそうですが、地元では「つきのみやじんじゃ」と呼んでいるそうです。


・祭 神 天照大神(あまてらすおおみかみ)
       豊宇気姫命(とようけひめのみこと)
       素盞嗚尊(すさのおのみこと)

・由 緒
 「調宮縁起」によれば、第十代崇神天皇の勅命により創建。調とは「租・庸・調」の調で、伊勢神宮へ納める貢(調)物の初穂を納めた倉庫群の中に鎮座していたと伝わる。(鳥居無きはその為と伝わる)平安時代に編集された「延喜式」に記載される武蔵国四十四座のうちの一社である。
 中世、調が月と同じ読みから、月待信仰に結びつき、江戸時代には月読社とも呼ばれ、月神の使いとされる兎の彫刻が旧本殿や現在の社殿に、狛犬の代わりに兎の石像が境内入口両側にある。
 神域は約一万二千平米。欅、銀杏の大樹が鬱蒼と茂る鎮守の杜と、江戸時代末に建立の権現造の社殿が、悠久の歴史を今に伝えている。
 毎年十二月十二日には「十二日まち」が開催。
神社では「かっこめ」を領布、境内を中心に縁起物の熊手をはじめ様々な露店が立ち並び、近在からの人手で賑う。
 御利益は、運否天賦の「ツキはツキを呼ぶ」との謂れから、幸運を授かる信仰とされる。
 社頭案内板より

 

正面の入口には鳥居がありませんでした。
調神社の由来には諸説ありますが、有力なのは伊勢神社へのみつぎ(御調)の倉庫から発生したという説。その稲穂を運び込むのに障害になるので鳥居がないとの事です。
その入口を入ると直ぐに万延二年(1861)三月生まれの狛兎さんが。
阿吽とも子持ちで口は閉じている様な?吽像の傷みがかなり目立ちました。

時季的に有名な神社では多くの屋台が・・・。
狛兎さんや案内板までもがその幕の陰に。
案内板は、屋台の幕をそっとまくって・・・。

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手水舎にもウサギさんが。

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うしろ姿もチョビッと見えるシッポや耳が可愛い!そして木鼻の狛犬さんも。

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拝殿です。
白い幕が張ってあり、中は見えませんでした。

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上の写真の彫り物の中にもウサギさんが。

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            ウサギさん

           
左右の灯篭?にもウサギさんが。
見えますかね?写真はクリックで拡大します。

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こちらの神社は本当にウサギ関係が多いですね。
舞殿には、大きな白ウサギの絵馬が

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池にはウサギさんが2羽。カメさんは見る事が出来ませんでした。

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池を回りこみ、稲荷社へ。
(現在の本殿は安政年間の建立ですが、それまでの本殿は1733年に建てられた一間社流造りで、現在は稲荷社に転用されています)

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正面の破風の上部にウサギが彫られていました。

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社殿の両側の廊下と呼ぶのでしょうか?その突き当たりにも透かし彫りのウサギさんがいました。
う~さぎ うさぎ なに見て跳ねる~♪

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境内はかなり広く、大きな樹々が春を待ちわびている様でした。

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しかし、これほどのウサギさんに逢えるとは思いもしませんでした。
ウサギさんを十二分に堪能して、移動を開始。



と、ここで最初にお参りをしましたこちらをご紹介です。



・大谷場氷川神社
        
(さいたま市南区本町1-9)


駅から直線距離、150m位の「ふるさとの森」に隣接していまして、雉子の氷川様キジの氷川様とも呼ばれているそうです。

・祭 神   素戔嗚尊(すさのおのみこと)
       市杵嶋姫命・伊弉冉尊・大山祇命
               誉田別尊・菅原道真公・倉稲魂命
        国常立命

・由 緒
  創立年代は不詳。大谷場の鎮守社。大谷場の地はかつては一面の畑地が広がっており、この杜には古くからキジが住みついていたという。かつてはやしろに足を踏み入れればキジが飛び出してきたために氏子の間で「キジは氷川神のお使い」とされ「キジの氷川様」と称され崇敬されてきた。
当社は江戸初期に社殿焼失の古記録がある。
現在、覆殿の中にある本殿は寛文六年(1666)の造営とされる三間社流れ見世棚造。
当初は三間の神座に「男体」「女体」「簸王子」が祀られていたとされる。

詳細は、下の社頭案内板をご覧下さい。

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             写真はかなり大きくなります。



石段を登りきった参道の両側に、なんと狛雉さんがお出迎えでした。

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阿像には大きな雄と小さ目の雌雉が。
鳩ではありませんからね!

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吽像側には、雌雉と4羽の子供達が。

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狛雉さんのご関係は如何に?
阿像側は、当然にもお父さんと大きくなった子雉ですよね。まさか・・・ではないですよね。そして吽像は奥方と子供達?想像は膨らみます!
そうそう、皇紀2660年(平成十二年・西暦2000年)十二月生まれでした。



で、境内のご案内。
赤い両部鳥居を潜って 拝殿へ。

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手水舎の妻にも雉が。狛犬さんも良いですね。

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駅の近くの神社としては境内が広く静かな環境でした。
手水舎の傍らには、大きなユリノキが。浦和市時代に市の天然記念物に指定されていました。推定樹齢100年、樹高21.8m、幹周り3.15mとの事でした。

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実際の順序としては、この後狛犬さんは不在の2社を巡り、今回主目的の調神社へでした。


調神社のうさぎさんを堪能して浦和駅の北東方向へと移動しました。
40年程前に週一で訪れていた浦和周辺では浦島太郎でした。随分と大きな建物が増えましたよね。
で、続いてこちらへ。




・本太氷川神社(さいたま市浦和区本太4-3)


元府址(本太)氷川神社とも書かれていました。『もとふと』と読むそうです。境内に児童公園が出来ている、近隣との繋がりが濃い神社の様でした。


・祭 神 建速須佐之男命(すさのおのみこと)
      大日孁貴命(おうひるめむちのみこと)
      宇賀之御魂命(うかのみたまのみこと)
      菅原道真(すがわらのみちざね)  他

・由 緒
 今から一千有余年前、武蔵荘國時代に奉祀され、神祇菅領の奉幣をはじめ室町時代の記録を留める宮殿や、又江戸時代初期に修理した旧本殿等の、県指定文化財が鎮座しています。
 中世の高塙郷の拠点であり、ふるさとの由来と文化遺産を伝える、この地方きっての鎮守様です。
           社頭案内板より



東側の入口に大きな神明系?の赤い鳥居がありました。

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参道は直ぐに右に折れて、拝殿へと続きました。
こちらの両部鳥居には「元府跡」の額束がありました。それで「もとふと」との社名や町名が付いたのでしょうか?

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鳥居の内側には、「成長祈願 子育て獅子」との案内板がある昭和四年(1929)四月生まれの狛犬さんが。阿吽とも子連れでした。
親の顔のアップ写真は狛犬写真集に載せますが、阿吽とも親子の笑顔が素晴らしかったです。
右の子獅子は大人しそうで鞠と遊んでご機嫌な様子で、左の子獅子は立ち上がって元気が良さそうな感じでした。で、どちらの親がお父さんなのでしょうかね。

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優しそうなお父さん?歯が少なくなってしまったからか、笑顔が素晴らしい阿像が特別出演!
”良く来てくれたね~ぇ!”と笑顔で迎えてくれた様な気が。

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では、拝殿のご案内。

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こちらの境内には、宮殿(くうでん)と呼ばれるものが納められている旧本殿が在りますが拝観できませんでした。
 宮殿には当時この地方を治めていた地頭の高埇(たかはな)佐衛門尉盛影が、宝徳3年9月24日に大檀那となってこの宮殿を作り、その大工は新座の次郎三郎で、取持奉行はめんおう寺の僧であったこと、また鳥居も同じ年に建てた事が記されています。この宮殿、旧神社本殿は歴史的価値が非常に高いものとの事です。
詳細は、下の写真をご覧下さい。

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かなり広い境内で、上向福徳神(うわむきふくとくじん)が祀られていました。家内安全・商売繁盛とかでした。もちろんお参りをして来ましたとも。

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隣りには境内末社合祀殿があり、かなり大きな建物でした。
南側の参道入口をご紹介。真正面が拝殿です。

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まだもう1社お参りしようと思いましたが、お昼を過ぎていますのでこれにて終了とし浦和駅に戻りました。
駅への帰り道で「大善院・大聖不動明王」なるものを見つけました。
”お不動さんには居ないよね”と話しながら、ヒョイと覗くと! なんと、小さめですが狛犬さんの後姿が。それでは、とお参りでした。




・大善院(さいたま市浦和区東仲町9-8)
  (大聖不動明王・浦和不動尊)



本当に駅前と言って良い場所です。

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お不動さんの境内社で三社堂と言う名前だそうです。
年令不明の少し小型の狛犬さんでした。

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案外と広い感じがする境内には、鐘楼もありました。
やはり年末年始は混雑したのでしょうね。

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こんな感じで、思わぬところで狛犬さんと出会う事が出来ました。
ニコニコしつつも、13時過ぎでお腹が・・・。
駅前でかなり遅めの昼食を済ませて赤羽へ。
湘南新宿ラインに乗り換えて帰宅となりました。


風が少し冷たい日でしたが、念願が叶って狛兎さんに逢えました。そして狛雉さんや笑顔の素敵な狛犬さんや思わぬ所の狛犬さんにもめぐり合う事が出来た初詣でした。
今年も良い年となりそうな予感。そうなって欲しいものです。

駄文に長々とお付き合い、本当に有難うございました。

今回の狛犬さんはご近所さん その30と一緒に写真集に載せる予定です。少々お待ち下さい。



取材した多くの狛犬写真があります、
   カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。

ご覧いただけると嬉しいです。



・ちょい遠目の狛犬さん その25は、こちらです。

ちょい遠目の狛犬さん その27は、こちらです。
・特別編・養沢神社狛龍レポは、こちらです。


次回の

  ・ご近所の狛犬さん その30は、こちらです。
     怒涛???の藤沢市編の続きです。

  ・越後の狛犬さん その19は、こちらです。
      越後の狛犬さんは、柏崎市編です。

こちらも、少々お待ち下さい。



狛犬さんシリーズは、まだまだ続きます。

では、また。

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