狛犬(ご近所)06

ご近所の狛犬さん その30

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昨年10月9日に、ご近所の狛犬さん その29を上げてからかなりの月日が過ぎてしまいました。
怒涛の藤沢市編が続く予定でしたのに。
飛び込みの記事が沢山で。との言い訳です。

と言う事で、国道1号線の藤沢バイパス付近までごは紹介出来ていますので、その続き昨年の3月5日の藤沢・町田線沿いの狛犬さん詣でのレポです。



467号線の亀井野付近から北上してみました。
3社巡るも狛犬さんは不在でして、何んとも不安な感じを抱きながらこちらにお参りでした。




・地神社 (藤沢市亀井野2-36)


こちらの神社は、周辺の土地区画整理事業に伴い境内が地神の森公園となり、その片隅に残された感じの社でした。
境内=公園?は周辺よりやや高く、コナラ、ムクノキ、エゴノキ、ヒノキなどの樹木に覆われていました。
その境内?公園?では、先輩諸氏がゲートボールに勤しんでいられました。


・祭神   埴山姫命 (はにやまひめのみこと)

・由緒
  創立年月不詳。寛政年中岡部庄九郎知行の内にて、山林安全、五穀成就を祈願せりと伝う。文政9年再建。大正12年9月1日関東大震災により社殿倒潰。大正15年9月再建。
   鎮座地を含む周辺の土地区画整理事業執行に伴い周辺の住宅化が進み、平成4年社殿を改築境内整備を実施した。神社庁史料より
 

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社殿は、住吉造りと言うそうです。
この界隈では珍しい建築様式ですね。

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平成八年(1996)九月吉日生まれの狛犬さん。

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境内の片隅には、『山之神』や『地神社』の石碑も祀られていました。

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地神社のお参りを済ませて更に小さなお社に立ち寄りながら、湘南台方面に北上。続いて町田線の東側のこちらです。




・今田鯖神社 (藤沢市湘南台7-201) 



藤沢市と横浜市の境を流れる境川流域には、さばと読まれる神社が12社あります。既にご紹介済みの石川佐波神社も含まれており、2社目のお参りでした。

古くから七さば巡りと言って、一日でこの内の七さばをお参りすることで疱瘡、麻疹(はしか)、百日咳などの悪病除けになると信仰されていた様です。



・祭 神  源義朝 (みなもとのよしとも)

・由 緒
 創立は、元禄十五年(1702)。当地の住人井上瀬兵衛により造立される。祭神源義朝が佐馬頭であったことから鯖神社と称する。
 文政九年(1826)に再建し、昭和八年(1933)本殿・拝殿が改築される。
 平成七年(1995)八月に、放火により昭和八年(1996)建立の社殿が消失。 平成九年(1997)再興するも、同十三年(2001)再度不審火により社殿・御神体が消失。同十四年(2002)新社殿に新たな御神体を納め再興した。
             境内案内板より



車止めのある参道の入口の鳥居に鯖神社の扁額がありました。他のさば神社には見当たらないそうです。

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平成九年(1997)十月一日生まれの狛犬さんでした。

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さば神社めぐりの方がお参りされていましたので、暫し歓談。その後境内を一巡り。
社殿の後ろに、1対の石塔がありました。何なのかは不明です。

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社殿に向かって右手には、稲荷社が。

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左手には、荒神社が祀られていました。
荒神様は、火や竈を祀り不浄災難を除く神様です。昭和八年の社殿新築の際に、今田村南部から遷移されたそうです。
祠の石碑には、元禄五年(1692)九月井上氏、石井氏の銘文があるそうです。

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そしてその手前・鳥居側には、嘉永四年(1851)十月の彫りのある手水鉢や石碑も並べられていました。

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更に5~600mほど北上しまして、湘南台5丁目と接している高倉の小栗のこちらへ。




・稲荷大明神 (藤沢市高倉277)



こちらには狛犬さんは不在でしたが、双体庚申供養塔が祀られていましたのでご紹介。
小高い土地に小さな赤鳥居とお社などが在るのみで、由緒などの詳細は不明です。

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石段の脇に庚申供養塔が祀られていました。
その側面に、寛政十年(1798年)や寛保と読める彫りがありました。

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双体庚申供養塔には、延享三年(1746)建立の彫りや維持文政十二年(1829)の彫りがありました。資料によりますと、昭和四十二年(1967)に復元されたそうです。

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と簡単なお参りを済ませて、更に北へ1キロほどの高倉中学近くに移動でした。




・七ツ木神社 (藤沢市高倉1128)



鯖神社でご紹介しました、さば12社の1社です。
元は『鯖明神社』・『鯖神社』と呼ばれていたそうです。
如何にも鎮守の森と言う雰囲気の広々とした静かな境内でした。



・祭 神 源義朝  (みなもとのよしとも)
      (左馬頭義朝(さまのかみよしとも)
       ・源頼朝や義経の父) 

・由 緒
 文禄年中渋谷義重崇敬厚かりしと伝う。文政9年(1826)再建。大正13年(1924)氏子中にて拝殿改築す。相模風土記に七ツ木郷鯖神社と記せるは当社なり。往古より鯖神社と称せるを明治初年七ツ木神社と改称す。神社庁資料より



参道入口には、多くの石祠や石塔などが祀られていました。

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入口左手の土手に、「蠶(かいこ)神社」の石碑、その手前に道しるべの庚申塔がありました。後ほどご紹介します。

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木々に囲まれた石段を登ると1対目の狛犬さんのお出迎え。かなり広い前庭の奥に少し小さめの狛犬さんがお使えしている拝殿がありました。

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1対目の狛犬さんは、大正九年(1920)十月十三日生まれでした。
阿像の子獅子は、”なんか変な人が来たよ~ぉ!”と親の懐に逃げ込んだような感じでした。

親獅子達は、笑っているのか?”ウ~~~ッ!”と威嚇しているのか?

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そして2対目の40cm足らずの可愛い狛犬さんは、平成十二年十二月吉日生まれでした。

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拝殿を背にした景色です。

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拝殿の左手には、多くのかなり古い石祠が祀られていました。

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拝殿を背に右手=参道の鳥居を潜り石段を登った左手に石段があり、その石段の入口には、養蚕組合記念石廟が在りました。前述の「蠶(かいこ)神社」の石碑と一対を成すものと思われます。
先ずは、「蠶(かいこ)神社」の石碑の写真から。

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続いて石廟。破風の正面に「護蚕祠(ごさんし) 」(カイコを護る祠)と記されています。廟身の背面には「大正十二年四月吉日 建之」、左側には「下高倉養蚕組合 創立拾周年紀念」と彫られていました。
こちらの詳細は、「広報藤沢」に記事がありますので、こちらをご覧下さい。

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その石段を登ると稲荷社や石碑がありました。
左から、三笠山天皇、御嶽山座皇大神、八海山神皇。

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拝殿・舞殿方向を眺めると、広い境内に参拝の方の姿も。

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そして、冒頭にご紹介した参道入口の庚申塔です。
右側面には、安永八年(1779)十一月吉◎や、東とつか道、の彫りもありました。

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何故か左側面の記録がありません。
何方か参拝の折には、是非ともご確認を!



こんな感じの3月5日の第1弾は終了です。

が、地元の狛犬さんシリーズは、まだまだ続きます。



狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。  

どうぞ、ご覧下さい。



・ご近所の狛犬さん その29は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その31は、こちらです。


では、また

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ご近所の狛犬さん その29

ご近所の狛犬さんその28、2月8日の続きです。


一部に、後日の取材箇所も入っています。


東海道本線を北側に越えて三社取材をするも、御霊神社のみで狛犬さんと対面できましたっけ。

その後、羽鳥の御霊神社から国道1号線・四ツ谷交差点方面へ向かいました。

その際に、以前から何となく気になっていた『双体庚申供養塔』と出逢いました。

追加取材の写真と共にご紹介です。




・おしゃれ地蔵 (藤沢市羽鳥5-13)


旧藤沢宿の西口に位置しています。

旧藤沢宿から旧1国・県道43号線を四ッ谷交差点方向へと移動です。

引地川を渡ると、メルシャンワイン工場の前の登り坂・引地坂となります。

その坂の途中、左手の道端にとっても小さな祠があります。

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     (四ツ谷交差点方向を背に、遊行寺方面を眺めています)

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顔に紅を注してもらっていました。

「女性の願い事なら何でもかなえて下さり、満願のあかつきには白粉を塗ってお礼をする」と伝えられています。

きっと何方かがお礼をされたのでしょうね。

実際には、お地蔵様ではなくて『双体庚申塔』ですね。

えっ? 「カル2は、みんなのために願い事をしたか?」って?

いえいえ、これでもカル2は♂です。願い事は聞いてもらえないでしょうから、止めておきました。



ここから、その28続きとなります。

四ツ谷交差点手前の稲荷社と2ヶ所の八坂神社へお参りでした。

残念ながら狛犬さんには出逢えませんでしたが、庚申供養塔が待っていてくれました。

そうです、双体庚申塔です。



・小さな庚申塚?(藤沢市城南5-3-36)



細い路地の傍らに祀られていました。

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正徳三年(1713)正月三日の彫りが。

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嘉永元年(1848)五月吉日の彫り

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そして、享保◎◎年三月吉日の双体神

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この後、八坂神社2社をお参りするも・・・。

藤沢バイパス入口に接して建つ(道路の関係で移転させられたか?)八坂神社の傍・町内会館前にこちらが。


                                        

・庚申塚?(藤沢市城南5-1-8)


傷みが激しく、双体神かな?と思われる石塔が

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延享元年(1744)正月?

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安永七年(1778)二月吉日

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生年月日が不明のお地蔵様、狛犬さん?も

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どの地区でも大切に護られている様ですね。

お参りを済ませて、国道1号線を渡りこちらへ。



・四ツ谷(大山)不動尊(藤沢市城南1-1)



狛犬さんブログの主旨に若干反しますが、庚申塔をもご紹介しておりますので、まあ良いか?と。

「全ての道は、大山へ通ず」と言われていた大山街道の中でも1番賑わった東海道口・田村通り大山道の入口です。

四谷不動(大山道標)

東海道と大山道が交差する四谷辻に建てられていた道標で、大山不動尊の下、正面に「大山道」、両側面に「これより大山みち」とあります。延宝4年(1676)に江戸横山町の講中が建てたものです。堂外の道標が初代のもので、万治4年(1661)に江戸浅草蔵前の講中によって建てられたものです。江戸時代を通じて、江戸町人の大山参詣が盛んでした。四谷辻には多くの茶屋が立ち並び参詣客を誘いました。今でも7月1日の大山開きには、四谷町内会の年中行事として、辻堂元町の宝珠寺の住職のもと護摩供養が行なわれています。
   藤沢市教育委員会  社頭案内板より

他の社頭案内板には、昭和38年藤沢バイパス新設のため当地に移転した。ともありました。


右が大山道

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左側が東海道・国道1号線

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道標の上に、大山不動尊が。

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道標正面に「大山道」、左右の側面に「これより大山みち」の文字も。

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大きな鳥居の柱には、「天保十一庚子歳六月再建之」の文字も刻まれ、 「烏天狗」の扁額?も掛けられていました。

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さて、ここからは狛犬さんのご紹介となりそうですが・・・。

東海道を100m足らず西へ、二ツ谷公民館前の交差点まで進みました。

二ツと二ツの両方が混用されていますが、

江戸時代には大山詣で帰りの道者や信者が宝泉寺へ詣り、さらに江ノ島鎌倉方面へ向かう途中の休憩場(立場茶屋)として二軒茶屋があったことからと言われています。又、「二ツ家」が本来の地名であったとも伝えられています。   稲荷社社頭掲示板より




・二ツ家稲荷神社(藤沢市城南1-3)



と言う事で、狛狐さんのご紹介です。



・祭 神 保食神(うけもちのかみ)

・由緒伝来
当町稲荷社ハ昔古ヨリ設立延宝七年六月并ニ天明六年九月再築享和三年二月新築天保九年二月再建是マデ修繕致シ束リ今回大破ニ及ビ氏子一同協議之上新築仕リ度何分少数ナル町民負担ニ堪ヘ兼テ有之有志諸氏多少ヲ不満新築費ノ内御寄付被成下度伏テ願ヒ奉候也明治三十九年氏子一同協議之上新築明治四十三年其ノ筋ニ依リ無格社ハ可拂ヒノ命令ニ依リ一時川澄忠右エ門氏ノ宅地内ニ五ヶ年程置ク大正四年二月川澄藤之助氏功志ヲ以テ神台四二六番地ニ新築セリ昭和十八年太平洋戦争ニ依リ当時ノ海軍省ノ命令ニ依リ稲荷社ノ敷地(参百坪余)ヲ買収サレ物資不足ノ折リ下内地城南一丁目三番地ニ新築ス昭和六十一年屋根ノ損傷ヒドク瓦ヲ葺替同時ニ外装ヲモ一新ス昭和六十二年氏子有志ニ依リ玉垣ヲ奉献ス
      平成八年十一月吉日新築ス
      二ツ家稲荷神社氏子中
                     社頭案内板より



立て直されて綺麗になった稲荷神社でした。

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心を洗わなければなりませんね。

でも、御神水が入っていませんでした。

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鳥居側に、平成八年(1996)十一月吉日生まれの狐さんが。

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拝殿側に昭和十八年(1943)二月生まれと年令不明の狐さんが。

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境内の国道沿いには、市の重要文化財の「寛文十年庚申供養塔」などが祀られていました。

藤沢市指定重要文化財 庚申供養塔

庚申信仰は、十干・十二支の組合せにおって六十日に一度めぐってくる「庚申の日」に、その夜を眠らずに過ごして無病・息災・長寿を願う信仰である。その源流は、「人の体内にいる三尸の虫が、庚申の夜、天にのぼってその人の罪過を天帝に告げるため生命を縮められる」とする中国の道教の教えに由来している。江戸時代、万治・寛文頃(1658~1672)には、仏教を背景に広く庶民に伝わり、「庚申講」が結ばれて庚申の夜は、講中の人々が当番の家に集まり、徹夜で酒食歓談して過ごす庚申待の行事や、供養塔の造立が盛んになった。二ツ家稲荷神社境内の寛文十年庚申供養塔は、総高105cm、蓮辧型で、造り出しの基礎部の上に別に台座を作り、その上部箇所に正面向きの三猿像を載せる手法をとっている。藤沢市教育委員会
                   社頭案内板より

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寛文十年(1670)九月吉日の庚申供養塔。

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天明元年(1781)九月吉日の双体庚申供養塔。

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この日は、あと4~5箇所をお参りしましたがやっと1社で狛犬さんと出逢うことが出来ました。

新湘南バイパスを潜り、大庭随道入口・芙蓉CCの際へ移動でした。




・日枝神社(藤沢市城南1-21)
     山王権現 (さんのうごんげん)



・祭 神 大山咋神(おおやまくいのみこと )

・由 緒
  創建は元治元年(1864)で、以前は山王神社と呼ばれていましたが、明治初年に日枝神社と改称されました。当時の社殿は草葺屋根でしたが、昭和六十三年に今の姿に改築されました。社頭案内板より

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昭和六十三年(1988)二月吉日生まれの狛犬さん。

スッピンの狛犬さんも良いですよね。

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新湘南バイパスのお蔭で、境内から海が見えなくなってしまった!とか。

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境内入口の階段右側に四基の庚申塔が祀られていました。

左から、元禄六年(1393)・宝永六年(1709)・宝暦六年(1758)・天保十五年(1844)と彫られていました。

写真は全て拡大できます。クリックを!

下の写真は、かなり拡大できます。

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こんな感じで、2月8日分&+αのレポは終了です。

が、地元の狛犬さんシリーズは、まだまだ続きます。



狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。  

どうぞ、ご覧下さい。



・ご近所の狛犬さん その28は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その30は、こちらです。


では、また

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ご近所の狛犬さん その28

1月25日、片瀬の諏訪神社の続きです。

そのレポは、こちらです。

片瀬の上諏訪神社のお参りを済ませて、市道を更に南下です。

湘南モノレール・湘南江の島駅を左に眺めながら進み、県道467号と江ノ電の踏切を渡ります。

その昔は江島神社の参道としてとっても賑わっていた道幅の狭い商店街、江ノ島の参道・湘南すな(州鼻)通りを行きました。

600mほどの商店街を抜けると、海岸線に沿った134号線と出合います。

地下道を真っ直ぐ進むと江ノ島ですが、こちらのお参りは済んでいますので134号を右折でした。

134号線を2kmちょい進むと松波と言う交差点が有り右折、引地川を渡り100m程進んだ左手が立ち寄り地です。(実際には、途中から近道をしていますが)



・鵠沼伏見稲荷神社
   
(藤沢市鵠沼海岸5-11)


祭 神
  宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ)
  佐田彦大神 (さだひこのおおかみ)
  大宮能売大神 (おおみやのめのおおかみ)
  田中大神 (たなかのおおかみ)
  四大神(しのおおかみ)

沿 革
 鵠沼伏見稲荷神社は、昭和十八年五月十二日京都市伏見の旧官幣大社稲荷神社(現伏見稲荷大社)を勧請して創建せられた。
 白砂青松の保養地であった鵠沼海岸は、大正十二年九月一日の関東大震災後、とりわけ昭和四年小田急電鉄が開通してから、鵠沼海岸駅前の商店街を中心に住宅地として急速に町造りが進むに及び、地域住民の要望により新しく鎮守社を創建することとなり、御祭神として庶民に最も親しまれ、広く信仰の集まる稲荷大神をお祀りしたのであるが、東京を始め首都圏一帯には昔から稲荷大神の崇敬者が極めて多く、当社にも四季を通じて参拝者絶えず、御社勢年毎に隆昌に向い、湘南の鎮守と仰がれている。神奈川県神社庁史料より



国道1号線・藤沢警察署への道からの眺め

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植栽も多く落ち着いた感じの境内でした。

赤い小さな橋を渡ると左手に湧水が、そして正面に拝殿です。

こちらの拝殿は、拍手を打つと御燈明(電気式)が明るくなる様です。

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拝殿の左手には稲荷社や祖霊社が。

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湧水の傍の、年令不明の狛犬さんです。

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沢山祀られていた稲荷社のご紹介。

拝殿側から、稲荷社・奥社
祭神は、宇迦之御魂大神、佐田彦大神 、大宮能売大神

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反時計回りで、稲荷社・末社。祭神は、上と同じ。

キツネの彫り物が。稲荷社だからなのでしょうね。

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続いて、稲荷社・摂社。祭神は、上と同じ。

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8枚上の写真の1番左手・赤い鳥居の左が祖霊社です。

祖霊社とは、神社の歴代の物故神職・役員総代の御霊をお祀りする社。明治維新の神仏分離政策により、持仏堂を廃して代わりに氏神の境内に建立された社との事です。


祖霊社

こちらの狛犬さんも年令不明です。

小さいながらも怖い顔で仕事をしていましたっけ。

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境内の植え込みの陰には引退キツネや石仏が沢山ありました。

どこか傷んでいるのか?お祀りするスペースの関係か?

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この後、六社をお参りするも残念ながら狛犬さんは全て不在でした。

1月25日分は、これで終了となります。

引き続きまして、藤沢市の狛犬さんのご紹介です。




2月8日、東海道本線の海側からです。

辻堂駅の南側の八社にお参りするも、こちら一社のみの出逢いとなりました。





・諏訪神社(辻堂元町3-15)



祭 神   建御名方神(たけみなかたのかみ)
       八坂刀売神(やさかとめのかみ)

由 緒
  創建は平治年間(1159)。長野県上諏訪・下諏訪の両諏訪大社の分神を祀り、「辻堂のお諏訪様」と呼ばれ。祟敬されている。
  明治6年の神仏分離により、辻堂村社をして、辻堂総鎮守になった。神社周辺に、八幡神社・白山神社・日枝神社・八松稲荷神社など8社程、末社があるようです。
       社頭の案内板より抜粋

諏訪神社は全国で約2500社あり、特に北条氏の所領地に多いのだそうです。ご近所には本当に多いですね。


諏訪神社は宝泉寺と境内を接し、神社の鐘楼や鳥居が寺の境内にあって、かつて宝泉寺がこの神社の別当役をつとめていた頃の神仏混淆の面影がありました。

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↑↓右端に宝泉寺の本堂の屋根が見えています。

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大正九年(1920)九月生まれの狛犬さんです。

子獅子が上向きに押さえられていて、丸い後足がとっても可愛かったですね。 

写真は全て大きくなります。クリックを!

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境内はかなり広いですが、祭礼の時には4台の大きな山車が入り大混雑となります。

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平成12年の社殿新造時に掘り出された樹齢500年といわれている欅の根が社殿前に御神木として祀られていました。

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更に諏訪神社の末社といわれている神社を巡りながら東海道本線の山側へ。

この日はなかなか狛犬さんに出逢えませんでした。




・御霊(ごれい)神社(藤沢市羽鳥3-15)


祭 神 神産霊神(かみむすびのかみ)
     高産霊神(たかみむすびのかみ)
     玉積産霊神(たまつめむすびのかみ)
     足産霊神(たるむすびのかみ)
     生産霊神(いくむすびのかみ)
             神社庁史料より

由緒・伝来  
 旧羽鳥村の鎮守社で関東大震災により半壊、本殿は昭和38年に新築された。との事なれど詳細は不明です。



こちらの境内も住宅が押し寄せて来て、とても狭い参道となっていました。入口にはかなり古いと思われる鳥居の柱がありました。

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3連の鳥居の奥にお社がありました。

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こじんまりとした拝殿と本殿でした。

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拝殿の彫り物が龍でなく、武将の様でした。

六万騎山の『地蔵尊』と同じ時代のものなのでしょうか?

地蔵尊のレポ(速報)は、こちらです。

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大正七年(1918)三月十一日生まれの狛犬さんです。

お母さんの右足が、子獅子の頭から離れていました。これは、押しつぶしては可哀想との愛情からでしょうか?

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二の鳥居と三の鳥居の間に鐘楼や手水鉢、そして石灯籠が。

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手水鉢には文久三年(1863)十一月の彫りがありました。しか~し、後の水道の蛇口がどうもね~ぇ。

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梵鐘は銅で造られており、至徳3年(1386)の銘がある古いものでした。
現在は廃寺となっている千葉県の香取神宮寺の旧鐘で、明治維新の時の廃仏きしゃくで、東京神田の古物商の店頭にあったものを、明治5年正月に当時高座郡羽鳥村の鈴木伝治郎ら5人が世話人になり、三觜八郎右衛門以下76人の協力 を得て22円1分で購入したと追刻されています。火急の警鐘として使用されて いましたが、戦争中は中世の優良工芸品という事で供出から除外された(または 溶かされず返却された)という藤沢市の指定工芸品です。
案内板より

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石灯籠には、嘉永三年(1850)秋八月の彫りが。

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境内の片隅には、庚申塔が祀られていました。

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中央の大きめのものが寛文七年(1667)製。三猿が丸彫りに近い感じで、はっきりと刻まれていました。

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庚申塔の左手には、天保四年霜月再建と彫られた道祖神も祀られていました。

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何社目の御霊神社でしょうか?神社に拠って個々の趣がありますね。

この日の狛犬さん詣ではまだまだ続きますが、その28はこれまでとします。




地元の狛犬さんシリーズは、かなり続きます。



狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
 

どうぞご覧下さい。



・ご近所の狛犬さん その27は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その29は、こちらです。


では、また

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ご近所の狛犬さん その27

昨年の11月3日に葉山の熊野権現を探訪、その後江ノ島から大船方面へ。

そのレポ、ご近所の狛犬さん その22はこちらです

やっと藤沢市内の続きです。

1月25日、先ずは東海道本線の海側を集中的に。



前回、少しご案内しましたところ、ポチがこんな日記を。

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と言う事で、ポチにペンペンされながらですが、怒涛の藤沢市編が始まります。

何回続くか分かりませんが、ご愛顧の程を!



最初は、東海道本線際の山側です。

1ヶ所のみ 出逢えましたっけ。



・東耀山・弥勒寺(藤沢市弥勒寺519)

 弥勒寺は、この辺りの地名の由来となった古寺で創建は鎌倉時代の嘉禄5年(1226)、北条康時が父・泰時の三回忌にその菩提を弔うために建てた寺と伝えられている。
 元は本尊として弥勒菩薩を祀る法泉寺という禅宗の寺院であった。新田義貞の鎌倉攻めにより消失したが、その時弥勒菩薩は裏山の岩窟に奉安されて難を逃れた。後、山腹の弥勒堂に安置された。
 天正元年(1573)、村に病が流行ったとき、諸国行脚中の日蓮宗の僧日祐が村民の願いを入れて祈祷したことから、以後に日蓮宗に改宗し弥勒寺と称するようになった。
 日蓮宗でありながら、日蓮上人像とともに阿弥陀菩薩を本尊として弥勒寺を称するのは全国でもここだけのようである。
 この像は行基作と伝えられ、現在は本堂内の正面に日蓮上人像、左脇に阿弥陀菩薩像を安置している。日蓮上人は扉の後に正徳2年(1712)の銘がある厨子内に収容、裏山にあった弥勒堂は、その後取り壊された。
          藤沢市観光協会資料より




山門です。

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天保十年(1839)の彫りがありました。

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本堂

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本堂の左脇から奥の石段へ。

いつの頃か再建されたのでしょう。弥勒堂です。
 
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・弥勒堂
 
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そして、少し荒削りの感じがしますが、この方達です。

大正十五年(1926)二月四日の生まれでした。
   
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弥勒堂の境内の片隅のかなり古い社の前には、真新しい毘沙門天がありました。
      
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狛犬さんの位置からの本堂方面の眺め。

お墓は左手にありました。
   
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この後は、前回残してしまった海岸方面です。

藤沢駅前から467号線を江ノ島方面へ。

もちろん、裏道を行きましたが。




・諏訪神社



こちらの諏訪神社は、上社下社とがあります。
祭神や由緒は、ほぼ同じですので一括します。


・祭神  上社 建御名方命 (たけみなかたのみこと)
       下社  八坂刀売命 (やさかとめのみこと)

・由緒
 当社は養老七年(七二三)三月に信濃国より諏訪大社を勧請したものであるが、これは諏訪大社が他郷へ御分霊した中で最古のものであるといわれている。
 弘仁三年(八一二)大学寮・近江伊豆の国司・大江政文が神徳 を感じ、下社を字宮畑の地より鯨骨の湖畔に移して修理し又、天長三年(八二六)村岡五郎義員が上社を諏訪ケ谷より、字浪合の山腹に移して改宗を営んだ。更に天慶三年(九四〇)五月、伊豆の守護職が両社に修理を加え、建久二年(一一九一)七月、台明により社領五反歩の寄進があった。
 貞和三年(一三四七)七月には別当玉蔵院、聖護院宮に申して社殿を再建した。
 その後、上社は安永元年(一七七二)九月に、下社は嘉永元年(一八四八)七月に改築された。
 明治六年村社に列せられ、昭和十六年下社を改築、社務所を新築した。社頭案内板などより


先ずは、下社のご案内から。


・諏訪神社・下社(藤沢市片瀬2-21)



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高さ1mくらいの、年令不明の狛犬さんです。

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拝殿の屋根には、獅子付き留蓋も。

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広い境内の片隅には、白山神社、山王神社、第六天社の年代物の石祠が祀られていました。そして、御神燈と彫られた石灯篭(文化三年七月)の基礎部分には狛犬さんと思われる浮き彫りが。

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そして、本殿の背後にはお稲荷さんも祀られていました。

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左手の稲荷社のキツネさんの表情が何んとも。

キツネさんの会話?

左側・♀?(歯をむき出して)

 ”遊んでばかりいないで、少しは仕事をしたら?”


右側・♂?(牙を少しだけ出して)

 ”そんなに怒らなくても・・・。”


何て言う会話が聞こえて来る様な?

♀のキツネさんは、歯を剥き出しにしてとても怖そう。

そこへ行くと、♂のキツネさんは、弱々しく牙を出していますが何となく情けない感じでしたっけ。可愛そうにね。

昔っから何所の世界も♂は気が弱かったのかな?

身につまされる会話が聞こえたような気が?

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とまあ、勝手な想像は置いといて。

二の鳥居を出て、案内表示に従って左に少し行きました。



・諏訪神社・上社(藤沢市片瀬2-19)


 
下社はほぼ平でしたが、こちら上社は石段を登ります。
 
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社前には、大正四年(1915)七月生まれの狛犬さんが。

右側が吽像のようでした。子獅子がムンズッ!と押さえられて(踏みつけられて?)苦しそうでしたが、何となく喜んで居る様な表情かも?

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本殿の右手には、立派な造りの皇大神宮が祀られていました。

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本殿の左手に回ってみますと、引退したキツネさんが。

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この後海岸線に出て134号線を少し西に進み、鵠沼伏見稲荷神社へ。

長くなりますので、今回はここで終了です。



地元の狛犬さんシリーズは、かなり続きます。



狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。

どうぞご覧下さい。



・ご近所の狛犬さん その26は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その28は、こちらです。


では、また。 

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ご近所の狛犬さん その26

昨年最終の狛犬さん詣ででした。



・寒川神社(高座郡寒川町宮山3916)



・祭 神 寒川比古命(さむかわひこのみこと)
       寒川比女命(さむかわひめのみこと)

祭神二柱をたゝえて寒川大明神又は、寒川大神と称されていますが、古くより諸説がありました。古くは寒川神といわれていますが、近世には八幡神、あるいは菊理媛、素盞鳴命、稲田姫尊と称され、一定ではありません。

・由 緒
関八州鎮護の神として古くからこの地方の名祠とあがめられている。
即ち総国風土記によると、約千五百年前雄略天皇の御代に幣帛を奉納せられたとあるので、当時既に関東地方に於ける著名の神社として遠近に知られていたことが明らかであり、従って創建の極めて古いことと、往古から朝野の崇敬殊に厚いこととが知られる。
桓武天皇の延暦七年五月をはじめとして、御歴代奉幣、勅祭を行わせられたことは史上枚挙に遑まがない。仁明天皇承和十三年以来、数次に神階の奉授があり、更に醍醐天皇の御代に制定された延喜式では、相模国内唯一の国幣の大社と定められ、特に名神祭に預る名神大社にも列せられた。
斯く皇室の御尊崇厚きは勿論、一千数百年の昔から相模国の一の宮、総鎮守として士民信仰の中心となり、源頼朝・北条義時・同重時等屡々社参神宝を奉納し、小田原北条氏も累代社殿の造替、社領の寄進等怠りなく、武田信玄の信仰も殊に厚かった。

明治4年國幣中社に列せられましたが、明治7年には『特選神名牒』の選があり、その際皇太神宮儀式帳に所載される末社牟彌乃神社(むみのじんじゃ)の御祭神が寒川比古命・寒川比女命であることにより、新たに御祭神にこの一説が加えられ、明治9年『官社祭神考證』により当社の御祭神は寒川比古命・寒川比女命の二座とせられました。
大正5年12月、内務省通牒により、当社の御祭神は寒川比古命・寒川比女命二神とされ、今に至っています。 神社HPより


年の瀬が近い12月18日の探訪です。
お正月の準備に入っている様子で種々の作業をされていました。



三の鳥居と太鼓橋ですが、目の前が交差点となっています。
一の鳥居は銅製、二の鳥居はコンクリート製でかなり大きさです。

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神門の前に、狛犬さんが鎮座。

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神門から本殿はこんな感じに。そして、大きな本殿。

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かなり大きな狛犬さんで、平成6年(1994)中秋生まれ。御大典奉祝祈念の彫りがありました。

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鎌倉の鶴岡八幡宮の狛犬さんと同じ位の巨大さでしょうか?

で、阿・吽ともに♂でしたよ。それもかなりご立派な・・・。

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ね~ぇ!



と言う事で、この後所用を済ませて更にお参りです。
寒川神社から南東方向1.5キロくらいの位置です。
江戸から御殿場に通じる旧東海道・大山街道の県道44号線に面して鳥居が有ります。この付近は江戸時代には宿場町として、27ヶ村の寄場として殷賑を極めたとの事です。




・八幡大神(高座郡寒川町一之宮1-21)
 (一之宮八幡大神)


・祭 神 
  誉田別尊 (ほむだわけのみこと)
  大日・貴神 (おおひるめむちのかみ)
  稲倉魂命 (うかのみたまのみこと)
  大山咋命 (おおやまくいのみこと)
  奥津比古命 (おきつひこのみこと)
  奥津比女命 (おきつひめのみこと)
  大雀命 (おおささぎのみこと)
  菅原天神 (すがわらてんじん)   

・由緒沿革
 元禄十(一六九七)年八月の創立と伝えるが、平安時代の和名抄に「佐牟河波伊知乃三夜牟良(さむかわいちのみやむら)」と記されていることから、古くより奉祀されていたと推定される。爾来武門・上下の尊崇をうけ、明治元年の神仏分離令により妙光寺持より村持となり、社格制度制定により同六年、村社に列せられる。更に村内の数社を合祀し、社殿を再興、屋台三基(町文化財指定)を奉製し神事殷賑を極める。大正十二年、関東大震災により建物一切倒壊するが、同十五年、本殿他を再建す。昭和二十年の終戦により宗教法人となる。同四十五年、屋台保存殿を新築、同五十八年十二月、社殿の屋根葺替並改築・神楽殿、社務所の新築に着手し、氏子崇敬者の浄財により同五十九年六月、完成し、本遷座祭並奉祝祭を齋行す。    神社庁資料より

44号線からの眺め。

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二の鳥居?と本殿。

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こちらもお正月の準備が進んでいました。
一之宮八幡大神の社号標。

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拝殿の彫刻が立派でした。

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そして本命のこちらは、昭和31年(1956)1月生まれの狛犬さん。

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8月上旬の例祭の宵宮には一之宮の東・西・北の3町の屋台が各町内から八幡大神をめざして巡行している。これを屋台神賑行事といい、寒川町指定重要文化財となっており、かなり盛大に執り行われる様です。

境内の片隅にはかなり古い石祠や石塔が祀られていました。

左端の石灯篭・安政6年、堅牢地神塔・文久元年4月、二十三夜供養塔・嘉永5年3月、石祠・文化7年12月との彫りがありました。

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一番右の男女の単身2神は、欠損により天保までしか判読できませんでした。(町資料に天保十二丑正月吉日とあり。)

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少しずつ傷みが増して来て、時代とともに朽ちていくのも仕方がないかもしれませんね。


さらに2社をお参りするも、残念ながら狛さんは不在でした。
この年最後の神社にお参りです。
八幡大神から44号線をさらに1キロほど南東方向へ。
県道から少し入った静かなところに在りました。



・十二神社(高座郡寒川町大曲1-16)


・祭 神
  国常立神 (くにのとこたちのかみ)
  豊雲野神 (とよくもぬのかみ)
  宇比地迩神 (ういじにのかみ)
  須比地邇神 (すいじにのかみ)
  角杙神 (つぬくいのかみ)
  活杙神 (いくくいのかみ)
  意富斗能地神 (おおとのじのかみ)
  意富斗乃弁神 (おおとのべのかみ)
  淤母陀琉神 (おもだるのかみ)
  阿夜訶志古泥神 (あやかしこねのかみ)
  伊邪那美神 (いざなみのかみ)
  伊邪那岐神 (いざなぎのかみ)
  天照大神 (あまてらすおおみかみ)
  天忍穂耳命 (あめのおしほみみのみこと)
  瓊瓊杵命 (ににぎのみこと)
  彦火火出見命 (ひこほほでみのみこと)
  鵜草葺不合命 (うがやふきあえずのみこと)

・由緒沿革
  新編相模国風土記稿に「十二天社 社頭に安永八年(1779)の鐘あり、岡田村宝幢院持」とあります。明治維新の際、十二天社を十二神社と改称しました。明治42年荒廃神社併合が国で決められた時、神社を存続させるためにはやむを得ないと反対を押し切って神輿を180円で売却し、神社を存続させた石塚善太郎氏の功績は今も語り継がれています。寒川町資料より


住宅が押し迫ってきている感じの境内でした。

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昭和54年(1979)12月生まれの狛犬さんです。

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台座の後ろ側にこんな文字が彫られていました。

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阿像側

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吽像側

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唐獅子や みたまと共に とこしえに

  まもりつけよ このみやしろを

です。(吽像側)

そして、氏神様を七十余年も護り続けた方が建立されたのでしょうか?
それとも、その方への感謝の念を表しているのでしょうか。


何んとも言えない心に沁みる言葉で、2009年の狛犬さん詣での締めくくりとなりました。


ご近所さんのシリーズ、2009年はこれで終了です。

が、ちょいと遠目の狛犬さんご紹介が残ってしまっています。
7月分を只今作成中です。
いよいよ周回遅れとなって来てしまいそうです。



ご近所さんシリーズもまだまだ続きます。



狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。

どうぞご覧下さい。



・ご近所の狛犬さん その25は、こちらです。

・ご近所の狛犬さん その27は、こちらです。


では、また。 

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