ご近所の狛犬さん その30
昨年10月9日に、ご近所の狛犬さん その29を上げてからかなりの月日が過ぎてしまいました。
怒涛の藤沢市編が続く予定でしたのに。
飛び込みの記事が沢山で。との言い訳です。
と言う事で、国道1号線の藤沢バイパス付近までごは紹介出来ていますので、その続き昨年の3月5日の藤沢・町田線沿いの狛犬さん詣でのレポです。
467号線の亀井野付近から北上してみました。
3社巡るも狛犬さんは不在でして、何んとも不安な感じを抱きながらこちらにお参りでした。
・地神社 (藤沢市亀井野2-36)
こちらの神社は、周辺の土地区画整理事業に伴い境内が地神の森公園となり、その片隅に残された感じの社でした。
境内=公園?は周辺よりやや高く、コナラ、ムクノキ、エゴノキ、ヒノキなどの樹木に覆われていました。
その境内?公園?では、先輩諸氏がゲートボールに勤しんでいられました。
・祭神 埴山姫命 (はにやまひめのみこと)
・由緒
創立年月不詳。寛政年中岡部庄九郎知行の内にて、山林安全、五穀成就を祈願せりと伝う。文政9年再建。大正12年9月1日関東大震災により社殿倒潰。大正15年9月再建。
鎮座地を含む周辺の土地区画整理事業執行に伴い周辺の住宅化が進み、平成4年社殿を改築境内整備を実施した。神社庁史料より
社殿は、住吉造りと言うそうです。
この界隈では珍しい建築様式ですね。
境内の片隅には、『山之神』や『地神社』の石碑も祀られていました。
地神社のお参りを済ませて更に小さなお社に立ち寄りながら、湘南台方面に北上。続いて町田線の東側のこちらです。
・今田鯖神社 (藤沢市湘南台7-201)
藤沢市と横浜市の境を流れる境川流域には、さばと読まれる神社が12社あります。既にご紹介済みの石川の佐波神社も含まれており、2社目のお参りでした。
古くから七さば巡りと言って、一日でこの内の七さばをお参りすることで疱瘡、麻疹(はしか)、百日咳などの悪病除けになると信仰されていた様です。
・祭 神 源義朝 (みなもとのよしとも)
・由 緒
創立は、元禄十五年(1702)。当地の住人井上瀬兵衛により造立される。祭神源義朝が佐馬頭であったことから鯖神社と称する。
文政九年(1826)に再建し、昭和八年(1933)本殿・拝殿が改築される。
平成七年(1995)八月に、放火により昭和八年(1996)建立の社殿が消失。 平成九年(1997)再興するも、同十三年(2001)再度不審火により社殿・御神体が消失。同十四年(2002)新社殿に新たな御神体を納め再興した。
境内案内板より
車止めのある参道の入口の鳥居に鯖神社の扁額がありました。他のさば神社には見当たらないそうです。
さば神社めぐりの方がお参りされていましたので、暫し歓談。その後境内を一巡り。
社殿の後ろに、1対の石塔がありました。何なのかは不明です。
左手には、荒神社が祀られていました。
荒神様は、火や竈を祀り不浄災難を除く神様です。昭和八年の社殿新築の際に、今田村南部から遷移されたそうです。
祠の石碑には、元禄五年(1692)九月井上氏、石井氏の銘文があるそうです。
そしてその手前・鳥居側には、嘉永四年(1851)十月の彫りのある手水鉢や石碑も並べられていました。
更に5~600mほど北上しまして、湘南台5丁目と接している高倉の小栗のこちらへ。
・稲荷大明神 (藤沢市高倉277)
こちらには狛犬さんは不在でしたが、双体庚申供養塔が祀られていましたのでご紹介。
小高い土地に小さな赤鳥居とお社などが在るのみで、由緒などの詳細は不明です。
石段の脇に庚申供養塔が祀られていました。
その側面に、寛政十年(1798年)や寛保と読める彫りがありました。
双体庚申供養塔には、延享三年(1746)建立の彫りや維持文政十二年(1829)の彫りがありました。資料によりますと、昭和四十二年(1967)に復元されたそうです。
と簡単なお参りを済ませて、更に北へ1キロほどの高倉中学近くに移動でした。
・七ツ木神社 (藤沢市高倉1128)
鯖神社でご紹介しました、さば12社の1社です。
元は『鯖明神社』・『鯖神社』と呼ばれていたそうです。
如何にも鎮守の森と言う雰囲気の広々とした静かな境内でした。
・祭 神 源義朝 (みなもとのよしとも)
(左馬頭義朝(さまのかみよしとも)
・源頼朝や義経の父)
・由 緒
文禄年中渋谷義重崇敬厚かりしと伝う。文政9年(1826)再建。大正13年(1924)氏子中にて拝殿改築す。相模風土記に七ツ木郷鯖神社と記せるは当社なり。往古より鯖神社と称せるを明治初年七ツ木神社と改称す。神社庁資料より
参道入口には、多くの石祠や石塔などが祀られていました。
入口左手の土手に、「蠶(かいこ)神社」の石碑、その手前に道しるべの庚申塔がありました。後ほどご紹介します。
木々に囲まれた石段を登ると1対目の狛犬さんのお出迎え。かなり広い前庭の奥に少し小さめの狛犬さんがお使えしている拝殿がありました。
1対目の狛犬さんは、大正九年(1920)十月十三日生まれでした。
阿像の子獅子は、”なんか変な人が来たよ~ぉ!”と親の懐に逃げ込んだような感じでした。
親獅子達は、笑っているのか?”ウ~~~ッ!”と威嚇しているのか?
そして2対目の40cm足らずの可愛い狛犬さんは、平成十二年十二月吉日生まれでした。
拝殿を背に右手=参道の鳥居を潜り石段を登った左手に石段があり、その石段の入口には、養蚕組合記念石廟が在りました。前述の「蠶(かいこ)神社」の石碑と一対を成すものと思われます。
先ずは、「蠶(かいこ)神社」の石碑の写真から。
続いて石廟。破風の正面に「護蚕祠(ごさんし) 」(カイコを護る祠)と記されています。廟身の背面には「大正十二年四月吉日 建之」、左側には「下高倉養蚕組合 創立拾周年紀念」と彫られていました。
こちらの詳細は、「広報藤沢」に記事がありますので、こちらをご覧下さい。
その石段を登ると稲荷社や石碑がありました。
左から、三笠山天皇、御嶽山座皇大神、八海山神皇。
そして、冒頭にご紹介した参道入口の庚申塔です。
右側面には、安永八年(1779)十一月吉◎や、東とつか道、の彫りもありました。
何故か左側面の記録がありません。
何方か参拝の折には、是非ともご確認を!
こんな感じの3月5日の第1弾は終了です。
が、地元の狛犬さんシリーズは、まだまだ続きます。
狛犬の写真は、カル2の狛犬さん写真集の中に沢山掲載しています。
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