狛犬(ちょい遠目?)05

ちょい遠目の狛犬さん その25 大山紅葉狩り

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ちょい遠目の狛犬さんシリーズは一旦お休み予定でしたが、急遽季節の物として1回だけ追加です。

場所は伊勢原市の阿夫利神社・下社です。


阿夫利神社・下社 (伊勢原市大山355)

一昨年の11月26日にミニクマさんご夫妻と紅葉狩りに出かけたのですが、下社境内は工事中でした。

従って、今回は狛犬さんの写真を撮り直しです。

一昨年の

 ・ カルディナのレポは、こちらです。

 ・  カル2のレポは、こちらです。

 ・  狛犬写真集は、こちらです。

と言う事で、11月24日晴れる事を信じてお出かけでした。

途中通勤渋滞に嵌り、若干時間が押してしまいました。

道すがら、桜の葉が綺麗に色付いていました。

今年の桜は、一段とあでやかな感じがしますね。



で、先ずは目的地の阿夫利神社・下社へ。

境内全般が綺麗に整備されていました。

そして、木々も良い具合に色付いています。

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先ずは、石段を登りきった所の年令不明の狛犬さんです。

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その少し奥の、昭和十一年八月建之 登山拝三十年記念の彫りがある、ブロンズ製の狛犬さんです。

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拝殿です。右手には工事用の櫓が組まれていました。

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本殿内の「丹沢名水」入口の左手に、耳の可愛い小さな狛犬さんが置かれていました。年令は不明です。

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名水の奥の「ぼけ封じの双体神」は、今回も暗い中もボケ少なかったです。 でも、一昨年よりも少しボケているかな?

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明るいところに出て、ボケを減らして周囲を探索。

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そうそう、拝殿の左手に大山への登山口があります。

この日もかなり大勢の方々が登って行かれました。

我々は、このまま帰る訳には行きません。

見晴台にお立ち寄りです。

景色を楽しみながら、二重社へ。

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二重滝と狛龍さんにご挨拶。

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見晴台は展望の良い所で、ここから引き返される方や山頂に向かう方など10名ほどの方が休まれていました。

後ほど作成予定の、そちらのレポにてご紹介します。

でも、少しだけ。

見晴台から戻る途中のかなり太く大きなモミの木です。

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そしてこちらも、かな~~~り太く大きな杉です。

上のモミもそうですが、根元のカル2が小さく見えますよね。

はぁ、カル2はもちろんそんなに背が高い方ではありませんが。

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下社まで戻って来まして、カルディナに降りはどうする?と聞くと。

”男坂を降りて見ようよ!”とのお言葉!

と言う事で、降りていただきました。

こったら石段が!

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こったら石段も続々と!

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そして、こったら石段も連続します!

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ん十年前は幾度となく、こんな道から山頂まで登りました。

えっ、今ですか? 

今はそったら事、考えた事もありましぇんって!

で、男坂を降りきって、大山寺へ。

今度は、女坂ですから簡単に登られます。

道は、随分と手を入れられている様子でした。

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      ねっ、勾配がゆるいでしょ!



大山寺のモミジは丁度良い時季でした。

でも先ずは、こちらから。

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宝篋印搭(ほうきょいんとう)の狛犬さんです。

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そして、トリはこの方。

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これが見たくて来た?(狛犬さんかな?)のです。

一昨年よりも綺麗かも知れませんね。

今年の紅葉は十二分に満足していたはずなのに、幾度眺めても良いものですね。

どなたかの◎欲?と似ている気がします。

苦情?抗議?が来るでしょうか?若しかして!



こんな感じの昨日の大山山麓紅葉情報でした。

で、女坂を降りてエックス君まで帰ったとさ。

その詳細レポは、作成未定となっております。





取材した多くの狛犬写真があります、

   カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。

ご覧いただけると嬉しいです。



・ちょい遠目の狛犬さん その24は、こちらです。

・ちょい遠目の狛犬さん その26は、こちらです。

次回の

  ・越後の狛犬さん その19は、こちらです。

     越後の狛犬さんは、柏崎市編です。

あっ、かなり遠目の狛犬さんが1本残ってた!

少々お待ち下さい。



狛犬さんシリーズは、まだまだ続きます。

では、また。

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ちょい遠目の狛犬さん その24

昨年の12月6日、信濃川上へ行く用事が出来まして、途中ちょいとお立ち寄りでした。

まあ、何時もの事ですが何が主目的だったのか?

と言う事で、中央道の長坂ICへ。


中央道からの眺めです。

岩殿山付近も色付いていました。

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南アルプス方面、鳳凰も白いお化粧を。

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長坂ICで降り直ぐに右折、県道32号線を1㌔ほど進んだ左手に先ずはお立ち寄り。




・八幡大神社(北杜市長坂町大八田4404)



甲斐源氏は今から九百余年前の長元二年、源頼信が甲斐守となった時から隆盛をした。伝承によればその開発の中心地・当地に源氏の守護神である誉田別命を京都の岩清水より勧請。頼義の子義光は広大な神領と壮大な社殿を寄進し大八幡宮(おおはったのみや)と尊称した。それが当八幡大神社であり、甲斐の八幡信仰の発祥であって大八幡の荘名大八田の村名はこれから起る。甲斐はその一族の支配するところとなり八幡宮も亦各地に勧請され当社は総社と仰がれるに至った。古祠は六・七丁東にあり総社にふさわしい壮麗な社殿であったが水害によって流失し現在地に移築された。神社庁史料より


今はその面影も全く無いと言って良いほどの素朴な小さな社が在るのみでした。しかし、社の脇にはとても大きな欅が残されていました。

その巨木にひかれて記事にしました。

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更に32号線を進み長坂駅前の北杜警察署先を左折し、5~600mほど進んだ左手へ。




・穂見諏訪十五所神社
        (北杜市長坂町長坂上条1461)



大きな欅の枝先から池へと木の葉が舞う静かな雰囲気の神社でした。

”カメ~~~!”と呼んだら、大小のがワンサカ寄って来ました。しかし、季節的に?カメさんは姿無しでした。

呼んだら来てくれたので、朝ご飯を進呈でした。


主祭神 保食神(うけもちのかみ)
     配神 建御名方命 國狹槌尊 豐斟渟命
            大戸道命 大戸邊命 面足命 惶根尊
            句句廼馳命 迦倶槌命 埴安姫命
            金山彦命 罔象女命 天八十魂命
            天三下魂命 天八百魂命 天合魂命
            天八十萬日魂命

・由 緒
創建年月不詳。文献に依ると、元は諏訪神社・建御名方神だったところに、十五所神と保食神を合祀した。後に穂見神社と称したとの事です。



社号標には、左に十五所大明神、
中央に諏訪大明神、右に穂見大明神とあり、鳥居の扁額には中央に正位諏訪大明神とも彫られていました。

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鳥居の奥に太鼓橋があり、池を渡って境内へ。

更に随神門を潜ると、拝殿でした。

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昭和四十三年(1968)八月吉日 明治百年記念の彫りのある狛犬さんでした。

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境内にはかなり古木の欅がありました。

下の社頭案内はかなり大きくなります。

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境内の片隅には、多くの石祠が祀られていました。

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拝殿の裏手には、かなり立派な本殿が鎮座していました。小雨模様の中で写真が上手く撮れませんでした。 腕のせい?

従って、下の社頭案内をどうぞ!

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こちらにも沢山の石祠が祀られていました。

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とても静かな広い境内で、去り行く秋を堪能。

再訪したいなと思いつつ更に移動でした。

数社を訪れながら南八ヶ岳のビューポイントへ。

やはり、いつお邪魔しても良い感じですね。

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更にほんの少し北上して、こちらにお邪魔しました。




・八嶽神社 (北杜市大泉町西井出1877)




 ・祭 神 建御名方命(たけみなかたのみこと)
       岩長姫命(いわながひめのみこと)
       罔象女命(みずはのめのみこと)

 ・由 緒 
  創立年代は不詳であるが文献によると第六十代醍醐天皇の御宇延喜二年 八嶽権現(岩長姫命)泉権現(罔象女命)を祀り八嶽神社と称し天正三年建御名方命(諏訪明神)を合祀し主祭神として祭祀したと云う。    (以下略)下の社頭案内板をご覧下さい。かなり大きくなります。

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八嶽神社、やつがたけ神社と読みます。

新しめの石鳥居を潜って行くと、これも新しい石灯籠があり、その奥に古い木製の赤い鳥居がありました。

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かなり広大な境内にとても大きな拝殿や神楽殿が在りました。

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平成六年十二月吉日生まれ。 

氏子中、狛犬建設委員会の彫りもありました。

子獅子が気取っていましたっけ。

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境内にはかなり古そうな石灯籠の名残が。

そして、こんなに偉そうな顔をした龍も。

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もう1つ、大泉村時代に指定された天然記念物・コナラの巨木がどっしりと。

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で、思い出した昔話?を1つだけ。

祭神の方々事ですが、

建御名方命は、ご存じの通り大国主命(おおくにぬしのみこと)の息子で、諏訪大社の祭神です。

罔象女命は、伊邪那美命(いざなみのみこと)の娘の水の神で、八ヶ岳南麓の豊富な湧水を表しているのでしょう。

岩長姫命は、大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘で、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の姉です。

この姉妹は二人揃って瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の元に嫁に出されるのですが、瓊瓊杵尊は美しい木花咲耶姫だけを嫁にして、醜い岩長姫を大山祇神に返してしまった。とか。

岩長姫命は八嶽権現とも呼ばれ、正に八ヶ岳を表します。

そこで、富士山と八ヶ岳が背比べをした。

とかのお話に続きます。結果は、ご存知の通りです。



そんな所で、次に移動です。

北杜市内の2社をお参りした後、川上村へ。

佐久街道からの八ヶ岳です。

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川上村の広域農道からの金峰山と瑞牆山です。

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振り返ると八ヶ岳が。

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そして川上村のシンボル?男山・天狗山・御陵山等々。

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川上村のメインロード・68号梓山海ノ口線、川上中学近くのこちらへ立ち寄りでした。




・住吉神社(南佐久郡川上村大字原字宮原291)


割合広い境内は木々が茂り夏でも涼しいのではないか、と思われました。もっとも、この付近は夏でも涼しい土地ですが・・・。



祭神は住吉三神と思いますが、由緒と共に不明です。

木製の鳥居の扁額には、正一位住吉宮とありました。

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かなりな彫刻が施された随神門を潜り拝殿へ。

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奥の本殿も、とても素晴らしい彫刻と色彩が。

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川上村で出逢った唯一の狛犬さんです。

子取りの吽像が右で、玉取りの阿像が左でした。

年令は不明で、子獅子が何か不機嫌そう。

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狛犬さんになぜか違和感を抱きました。よくよく見ると、阿吽とも90度ずらして左右を振り替えると良いような感じでした。でも、そうすると台座の装飾などが合わなくなって来ます。上手く行かないものですね。

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こちらの境内にもかなり古い石祠が祀られていました。

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かなりの木々が鬱蒼と茂っているな!と思っていましたら、こんな案内板が有りました。なるほろね。でした。

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こんな感じで十社ほどお参りするも、狛犬さんと対面出来たのは残念ながら三社でした。

お参りを済ませて、所用を済ませて帰宅でした。

本当に何が主目的何だかな~ぁ!



と言う事で、ちょい遠目の狛犬さん その24は、これで終了です。



ちょい遠目の狛犬さんは、これで少しの間お休みです。

次回からは、越後の狛犬さんシリーズの再開です。

お楽しみに!



取材した多くの狛犬写真があります、

カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。

ご覧いただけると嬉しいです。



・ちょい遠目の狛犬さん その23は、こちらです。

・ちょい遠目の狛犬さん その25は、こちらです。

次回の

・越後の狛犬さん その19は、こちらです。

越後の狛犬さんは、柏崎市編です。



シリーズは、まだまだ続きます。

では、また。 

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ちょい遠目の狛犬さん その23

ちょい遠目の狛犬さん その22の続きです。

昨年11月5日、久し振りに奥多摩・日原の小川谷林道と日原林道の様子を見に行った帰りです。



吉野街道を滝山街道方面に進み、梅ヶ谷峠入口の交差点を過ぎると鳥居がありましたのでお立ち寄り!




・稲荷神社(青梅市和田町2-476)



祭 神  倉稲魂命(うがのみたまのみこと)

由緒伝来
  社宝は安政6年(1659)作の木彫白狐の像一対がある。旧村社との事ですが、創建など詳細は不明です。



吉野街道に面して鎮座していますが、こちらも道路拡張のために境内が狭くなってしまった様子でした。



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石段の途中の、慶応二年(1866)の彫りのある狐さんです。

阿吽とも子取りでした。

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少し狭い境内にお社が。

どなたが祀られているのかは不明です。

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そして、鳥居の下には文化七年(1810)十二月の彫りのある手水鉢が置かれていました。

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こちらの蛇口も、”何だかな~ぁ”でした。

本数が少ない路線とは言えBSの端に路駐ですので、そそくさとお参りを済ませたとさ。

この周辺にも神社が沢山ありますが、今回は割愛し帰路に着きました。

小倉橋を過ぎ、相模川の右岸の高田橋際交差点の右側です。

暫らく前の渋滞時に見つけた鳥居にお立ち寄りでした。
(こんな時でないと時刻的に立ち寄れない場所です。)




・諏訪神社(愛甲郡愛川町角田934)



帰りには絶対に見つけることが出来ない山の南側の中腹です。

昔の相模川は、かなりの暴れん坊だったのでしょうね、高い位置に還浄寺と言うお寺と並んで鎮座していました。


祭 神  建御名方命 (たけみなかたのみこと)

由緒伝来
  当地の豪族小沢氏の館跡、小沢古城址の一部に鎮座している様です。

 小沢氏は平安時代の末期から鎌倉時代にかけて活躍した武士団武蔵七党のうち、八王子を根拠にして栄えた横山党の一族で、代々ここに館をかまえて支配した。対岸の田名氏、上流の小倉氏もともに横山党の一族であった。愛川町教育委 案内板より

山の斜面のとても狭い境内でした。

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平成十二年九月吉日生まれの狛犬さんです。

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境内の片隅には正徳元年(1711)十月吉日の彫りのある石灯籠や文政二年(1819)四月吉日の彫りのある水鉢も置かれていました。

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お参りを済ませ、更に相模川右岸を昭和橋まで進みました。

こちらの神社は、かなり以前から気になっていましたが、なかなかお参りをする機会がありませんでした。




・依知(えち)神社(厚木市上依知1)
 (あかぎだいみょうじん)



こちらの神社は、昭和橋建設・道路拡張のために境内が分断されていました。

祭 神 磐筒之男命   ( いわつつのおのみこと )

由 緒
  第五十代桓武天皇六代の後裔平将門公関東平定の節当社に参詣し相模川氾濫の苦難を眼前に熟視され赤城山神馬献進の託宣を給い忽ち堅牢なる護岸の完成が実現したのである。之に感謝感激した氏子は、将門公の御霊を相殿にして天慶元年(937)社殿を再建し、赤城明神社と称したのである。
 建久三年(1192)源頼朝公鎌倉幕府を創設せられるや当社に沿革由緒に深く感銘され、拾万余坪に及ぶ社領を寄進されたという。その境内は、祭り競馬をした所を馬場、大鳥居のあった所を鳥井という地名にして現代に遺す程の広大なる土地であった。続いて鎌倉幕府第二代将軍源頼家公は建仁二年(1202)当社の社殿再建記念に銀杏を寄進されたという。それが現在厚木市指定天然記念物の神木大銀杏である。
 天正十九年(1591)徳川家康公は、当社の由緒経緯と氏子の誠意に深く感動され、御朱印壱石を下賜されたのである。以来依知郷の郷社として祭礼も盛大に行なわれ、金田村までも神輿が渡御したと伝承されている。
 明治四年広大な社領も維新の大改革により上知となり、ついで社地の払い下げを得て同二十七年七月十九日に依知神社と社号を改名し現代に至っているのである。社頭記念碑より



道路により本殿と分断されてしまった、神楽殿や2本の銀杏の古木。

案内板によると、源頼家が鎌倉2代将軍に任ぜられた際に社殿を再建し、その記念としてこの大イチョウを植えたとの事。すると、樹齢800年か? まあ、500年くらいでしょうかね。

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以下、508号線を挟んだ反対側となります。

慶応二年(1866)秋九月十九日の彫りのある鳥居には屋根が設けられていました。

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昭和五十七年(1982)三月吉日 古希記念 と彫りのある狛犬さんです。

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拝殿の右手に、狹水神社

祭神は:水の神、罔象女命(みつはのめのみこと)。
寛文七年(1667年)水天宮として幹線水路一の関の所に祀られた、その後元治元年(1864年)依知神社に安置され相模川の水害を防除し依知地区水田の灌漑用水を守り耕作農民の生活安全と豊作を守護している。
          案内板より抜粋

罔象女命とは黒姫山鵜川神社でもお逢いしましたっけ。

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拝殿の左手には、正一位火防(ひぶせ)稲荷大明神

  この社殿は、星梅山妙伝寺(日蓮宗)に本社がありますが、語り伝えによりますと、明治三十一年(西暦1898年) 妙伝寺祖師堂が全焼し、飛火して六反向きで六軒川向こうの当麻でも火災のあった大火でした。
 その后、祖師堂の再建の工事中、大工棟梁が夜な夜な夢枕に社殿が無くて困っているとのお告げがあり、ご住職がご祈祷いたしましたところ、火防稲荷大明神のお姿が見えたので早々に社殿を建立して、お祭りされました。 当時は、たまたま村内に火災が多く人心を痛めましたので、私どもの先代が村の火災の守護神として分魂をお願いして、当社神社境内に社殿を建立致しました。
 その後火災のあるときは、火防稲荷大明神の赤旗を屋根棟にかざすと風向がかわって、火災を逃れたという話もありました。
 このような霊験あらたかな社殿も大正及び昭和初期、戦後昭和三十四年につづき四十六年・五十一年と社殿の修復鳥居の建立等を行って今日に至りました。
                  案内板より抜粋

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その奥には、二十三夜塔秋葉大権現などが祀られていました。

二十三夜塔

  二十三夜の月の出には阿弥陀三尊が現われこれを拝する者には極楽浄土への道が開かれるという信仰から講中が集まり終夜に及び飲食などの月待行事を行った。今生も後生も安楽な生活ができるようにと講中の願いをこめて建立された。

石塔は、弘化三年(1846)八月吉日の彫り。

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秋葉大権現

  静岡県周知郡春野町の秋葉神社の神(ホノカグッチノカミ)を祀ったもので鎮火、防火の神とか。
寛政四年(1792)三月吉日、上依知村講中により建立。

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地神塔は、文久の彫りが見られました。

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道路に囲まれて三角形となってしまった境内ですが、時間的な関係か案外と静かな感じがしました。

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こんな感じの昨年11月5日の狛犬さん詣ででした。

次回のちょい遠目の狛犬さんは、山梨県北杜市方面となります。

お楽しみに!




取材した多くの狛犬写真があります、

カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。



・ちょい遠目の狛犬さん その22は、こちらです。

・ちょい遠目の狛犬さん その24は、こちらです。



ちょい遠目の狛犬さんシリーズもまだまだ続きます。



では、また。

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ちょい遠目の狛犬さん その22

昨年11月5日、久し振りに奥多摩・日原の小川谷林道と日原林道の様子を見に行って来ました。

その日の

 ・林道関係のレポは、こちらです。

その後の

 ・奥多摩タワ尾根(人形山)の

  カルディナのレポは、こちらです。



小川谷林道入口・日原鍾乳洞前の駐車場に駐車。

以後、徒歩にて下見。



その駐車場の前に在るのがこちらです。



・一石山神社
  
(東京都西多摩郡奥多摩町日原1052)



一石山神社の背後にそそり立つ断崖絶壁が燕岩です。しかし、この神社が御神体としているのはこの岩ではなく、神社から川を挟んだ対岸に開口する日原鍾乳洞(石山御岩屋・一石山大権現)です。

・祭 神
  天照大日霊女貴尊(おおひるむちのみこと)
   (天照大神)
  稜威尾走命(いずのおばしりのみこと)

・由 緒
 明治維新の廃仏毀釈によって誕生した神社であるが、それ以前は日原鍾乳洞(御岩屋)に対する拝殿の性格を有するものであったという。
 一石山神社の社地には、一石山御岩屋(御本体・日原鍾乳洞)に対する拝殿の性格をもつ権現拝所といって、大日如来像を安置した大日堂が在った。
 現在の本殿は、昭和24年(1949)に建立され、鳥居は昭和39年(1964)に造られたものという。
 境内の一隅に倉沢山神社が遷座。
   祭神は、天照大御神、豊受大御神
  過疎化などの問題により、こちらに移転した。

 一石山大権現は、明治になって一石山神社と改替しましたが、社記によると
 鎮座起源は文武天皇の4年4月(700)役の行者の創建。大同4年(809)弘法大師が中興、天安元年(857)慈覚大師再興と伝えられる。
  天正18年(1590)小田原北条氏滅亡の際に兵火に罹り、堂社は破壊し神宝仏具悉く烏有に帰したが、慶長17年(1612)羽州羽黒山より梵天48本及び獅子頭三個を渡し来たり、再び繁栄を極めた。
 その後、寛永年間に上野東叡山寛永寺の所蔵となり、一石山本地堂と称して、各地から多くの崇敬者が参拝するに至った。 奥多摩町文化財保護審議会資料より

と、前置きが長くなりましたが、彼の羽州・羽黒山との縁が有るのでした。


で、燕岩の基には、綺麗な神明水が。

その隣りには石仏も祀られていました。

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社号標を眺めながら石段を登ります。

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社前には、平成元年(1989)四月生まれの狛犬さんが。

何んとも怖い顔で、初めて出逢ったタイプかも。

もちろん、子獅子も怖い顔!

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      怖くて手が震えて、ピンボケ!



境内の石灯籠には、安永八年(1779)四月の彫りが。

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この後、日原林道へ移動。

そして、帰り道の奥多摩駅近くへ。

適当な駐車スペースがなく、少し歩いて参拝でした。



・根元神社
   (東京都西多摩郡奥多摩町氷川1804)

・祭神、由緒などは不明です。

奥多摩町栃久保の集落の北側の急な斜面に鎮座。

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とても簡素な拝殿でした。

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少し急な石段を登りきると、年令は不明のこちらの方が。

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少し狭めの境内の片隅には、境内社や石祠が。

左から、将門神社・愛宕神社・子安神社。

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本殿の裏手に、こんな祭壇風の石囲いの中に丸石と楕円の石が祀られていました。どの様な祭事にどの様に使われるのでしょうか?

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その祭壇を背に、1枚パチリ!

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この後、青梅市御岳2丁目の熊野神社へお参りを。と思い路地に侵入するもあえなく返り討ち!結構長い距離をバックするハメに。

大岩から落ちエックス君のお腹をぶつけるし、這う這うの体で吉野街道を逃げ帰りましたとさ!

寒山寺駐車場にて休憩。気を取り直して吉野梅郷付近へ。

こちらにも在るのですよ、神社が。

吉川英治記念館の西側に位置します。



・愛宕神社(青梅市柚木町1-944)



・祭 神  火産霊神(ほむすびのかみ)  

・由 緒  創建・陽成天皇の元慶年中(877~884)

とかですが、詳細不明です。



吉野街道に面した参道に入ると、鳥居がありました。

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鳥居を潜り少し進むと左手に木製の鳥居があり、橋を渡り右手に折れますと石段が出現。

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石段を登ります。

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石段を登りきると、昭和五十年(1975)四月生まれの狛犬さんがお出迎えでした。

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本来ならば奥社がある愛宕山山頂まで行きたい所ですが、時間が少し押していますので後日に!と成りました。と言う事は、奥社でも待っていてくれる方が・・・。

で、お参りを済ませ、境内からの景色を十分に楽しんでエックス君に戻りました。

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参道の途中には 、こんな指導標もありました。

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とまあ、こんな感じで何が主目的だか分からない行動が間々在りますが、こんなのも時には良いのですよね。


次回のちょい遠目の狛犬さん23は、この続きで

青梅~厚木方面となります。




取材した多くの狛犬写真
があります
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。



・ちょい遠目の狛犬さん その21は、こちらです。

・ちょい遠目の狛犬さん その23は、こちらです。



ちょい遠目の狛犬さんシリーズもまだまだ続きます。



では、また。

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ちょい遠目の狛犬さん その21

ちょい遠目の狛犬さん その20の続きです。

って、当たり前田のクラッカ-!
        ↑ ご存知の方はチト・・・。



昨年の7月21日、中井蓮池の里から神社を巡りつつ、小田原の『石垣山・一夜城』へ移動。

その後に、早川まで行ってみました。

もう1年も過ぎてしまいまして、狛犬さんが”早く紹介を!”と騒いでおり、大急ぎで記事を作成です。



先ずは、石橋山古戦場のご紹介です。

 平安時代の末期、地方には私有地である荘園が増え、律令制度は徐々に崩壊していきました。荘園を開発した地方の豪族すなわち武士たちは、東国の武蔵・相模に多く、小田原地方では曽我氏、大友氏、小早川氏、中村氏、河村氏、松田氏などの一族がいました。
 西国の武士を従えた桓武平氏は、保元の乱(1156)、平治の乱(1159)における貴族の内部争いを利用して勢力を広げ政権を握り、これに対し東国武士に信望のあった清和源氏は、治承4年(1180)高倉宮以仁王の平氏追討の令旨を掲げて、源頼朝が伊豆で挙兵しました。
 伊豆・相模の武将の援軍を得て300余騎を従えた頼朝は、鎌倉に向かう途中の石橋山で前方を平氏方大庭景親の軍勢3,000余騎に、後方を伊東祐親の300騎に挟まれ大苦戦となりました。これが「石橋山の合戦」です。
 頼朝方の先陣・佐奈田与一義忠が敵将の俣野五郎景久と対戦したのを発端として戦闘に入りましたが、10倍を超える敵の軍勢に頼朝方は敗れ、箱根山中に逃れた後、真鶴から海路安房(千葉県)へ向かったのでありました。 
小田原市HPより


と前置きを致しまして。


海岸線の135号線を石橋から旧道に入り 「ふくや旅館」の前を右折、細い急な坂道を登り東海道本線の佐奈田トンネル・根府川口の上を通り、みかん畑の細道を進みました。

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  当ブログの写真は全て拡大できますが、これは特に大きくなります。



右折の角には、こんな地図や佐奈田霊社の案内板もありました。

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                 これも特に大きくなります。



先ずは、文三堂へ行ってみました。

みかん畑の細い道を進むと、文三堂下に少し広めの駐車スペースが。



・文三堂


後ほどご紹介します佐奈田与一の郎党で、与一とともに石橋山で戦死した陶山文三を祀るお堂です。

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石段の脇には、正面に文三○墓・横に天保三年(1832)十月の彫りのある石塔がありました。○は判読不明でした。

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お堂の中には、墓碑(でしょうか?)や肖像画などが。

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お堂の片隅には年代不明の石仏も祀られていました。

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徒歩で農道を佐奈田霊神へ向かいました。

摘果されたのでしょうか?小さなみかんが沢山落ちている細道を少し行くと、左手の路肩に大きな岩がありました。

矢ノ根石と言うそうで、表面に2つの穴がありました。

言い伝えでは、佐奈田与一が射抜いた穴だとか。

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で、左上には七ツ割四つ目と思しき家紋の様な彫りが。

石垣には、家紋が掘り込んであるケースが多いですから、若しかしたらどこぞのお城の石垣用に切り出した際に、家紋を掘り込んだのかも知れませんね。しかし、かなり彫りが甘い様ですが風化したのでしょうか。

もしも、それが家紋なら菖蒲佐々木氏かも知れません。単なる四つ目ならば、尼子氏かも知れません。

どちらにしても源氏とのつながりがありますが、年代的に???です。

ず~~~と、後世に彫ったのなら余計に???です。

まあ、このような事例は沢山ありますよね。

タイムスリップが自由に出来たら、その時代に行って見たいですね。

エメリット・ブラウン博士役のクリストファー・ロイドにお願いをしましょうか。それとも病が順調に回復された、マイケル・J・フォックスに国際電話でもしてみますか。答えはきっと”ドクに頼んでよ”でしょうね。



余計な話は一旦置いといて。

更に少し進みますと、道の右手にねじり畑の標柱が。

佐奈田与一が敵の副大将・俣野五郎景久と組打をした所と言われています。源平相方の想いと激しい戦の為、以後この畑の作物は全てねじれてしまうとも伝えられています。

この時の話は、後ほどに続きます。

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ねじり畑の向かいに、佐奈田霊社への参道がありました。

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かなり古い急な石段・念仏坂を登ると、石畳の参道と かなり広い境内に着きました。


・佐奈田霊社 (小田原市石橋)


冒頭の石橋山古戦場のところでも一部ご紹介しましたが、石橋山の戦いで、頼朝の家来だった佐奈田与一は、平家方の俣野景五郎と一騎打ちをしましたが、刀に血がついていたために刀が抜けず、背後から首を切られ殺されてしまいました。後に討ち死の地に与一塚が建てられ、与一を御祭神とする佐奈田霊社が祀られました。1190年には源頼朝が与一の墓参りに石橋山を訪れています。
 与一・俣野の組討の際、与一の声が出ずに味方が駆け付けられなかったとの説もあり、佐奈田与一の霊魂が残って「のど(声)・せき・気管支炎・ぜんそく」に悩む人々を救う慈悲の誓願があると言われ、後に頼朝が天下を治めた事から諸願に霊験ありと信仰されています。このため、芸能関係の参詣 も数多くあります。
               佐奈田霊社HPより

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境内入口では「子宝祈願に御利益のある」という大正二年(1913)五月生まれの狛犬さんがお出迎え。阿吽とも子取りでした。

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色々な角度からの写真を 狛犬写真集 にてご紹介いたしますので、
ご覧いただければ幸いです。



こちらは、観音堂です。

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割合広い境内には、与一塚や湘南そろばん塚がありました。

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                   かなり大きくなります。


そして、そして、こんなのが。

佐奈田与一は力持ちだったとの事ですが、石に手を付いた時の手形とか。

形が不自然なのは、ご愛嬌?

やはりドク博士にお願いして、確認をして来なければいけないですね。

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と長くなりましたが、石橋山古戦場関係のレポは終了です。ここ一ヶ所で1レポが出来てしまいますが、かなり省略をしました。

更に続きます。今暫らくのお付き合いを!


石橋山から降りて135号線を少し戻り、石橋公民館の脇を左折。東海道本線の高架下に路駐。



子之神社(小田原市石橋16)



・祭 神  大国主命 (おおくにぬしのみこと)

・由緒伝来は、不明です。


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年令不明の狛犬さんでした。

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少し狭い感じの境内には、クスノキの古木が。

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手短かにお参りを済ませて、更に135号線を戻りました。

西湘バイパスの石橋ⅠCを右に見送り200mほど先の路地を左に入りました。50mほど先を左折し東海道本線の高架を潜り、この日の最終の立ち寄り地へ。


・紀伊神社(小田原市早川9)


・祭 神  五十猛命 (いたけるのみこと)
      惟喬親王 (これたかしんのう)

・由緒沿革
 早川の氏神様で、往古は木宮大権現、のち紀伊宮大権現と称され、土地の人からは「木の宮さん」と呼ばれ、箱根物産木工業の人たちに昔から崇拝されてきた神社である。
 神社縁起によれば、貞観年中(859~876)の創建で、祭神は五十猛命と惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)とが奉祀されている。木地挽(轆轤師)の開発者といわれる惟喬親王は、天安二年(858)京の都を追われて伊豆(河津)に流罪となったが途中嵐にあい国府津海岸につき、早川の庄に至りこの地で没したといわれ、当時親王の付人が木地を挽いて、朝夕の奉仕の料に当てたといわれている。また、この地には「木地挽」と言う字名が現存するが、この字名はその名残りであると言う。 
 なお紀伊神社の社宝である「木地椀」は小田原市の重要文化財に、社叢は天然記念物にそれぞれ指定されており、中でも社殿前のクスノキは市内で最大の老木である。 
社頭の案内板より


参道の鳥居の両側まで民家が押し迫って来ている、何んとも都会的な神社でした。鳥居を潜り参道を進むと、東海道本線の高架がありました。
拝殿への石段下には、金網を被った陶製の狛犬さんが。

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狛犬さんは、大正十一年(1922)七月生まれで少し傷みが。
触ると崩れてしまうのかも知れませんね。

阿像は、玉取り。吽像は、少し面白く招き猫風でした。

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石段の手前右手には
境内社(聖徳太子堂?)があり、昭和十年(1935)生まれとか言われている狛犬さんが。
火山石を積んだ山型台座の上の平らな台座にすわっていました。
かなり傷みがありまして、阿像の子獅子は少し判別が難しくなって来ていました。

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こちらの社叢はタブノキ、ケヤキ、イヌビワ、スギ、サワラなど広葉常緑樹や落葉樹、針葉樹が混生し、市指定の天然記念物に指定されている。特にクスノキは、小田原市内で最大の古木との事です。
そしてこちらの境内にも鐘楼がありました。

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そして、境内の片隅にはヤブミョウガが咲き誇っていた頃のレポでした。

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これで昨年7月21日の中井~二宮~石垣山~石橋山~早川のお遍路さんレポは終了となります。

何んだ・かんだ1年余も経過してしまいました。

記憶が一部不鮮明となりつつありますが、何とか・・・。



次回のちょい遠目の狛犬さん22は、

奥多摩~厚木方面となります。

取材時期は、昨年の11月初めです。

周回遅れまでには少し間が・・・。

頑張りましょ!






取材した多くの狛犬写真
があります
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。



・ちょい遠目の狛犬さん その20は、こちらです。

・ちょい遠目の狛犬さん その22は、こちらです。



ちょい遠目の狛犬さんシリーズもまだまだ続きます。



では、また。

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