ご近所の狛犬さん その20
今回のご近所さんは、単品が2点。
昨年の5月27日・船玉神社と6月23日・川名御霊神社のご紹介です。
写真は全て拡大できます。
・船玉神社(藤沢市大鋸2-4)
・ 祭 神 弟橘姫命 (おとたちばなひめのみこと)
・ 由 来
神社前の道は鎌倉街道で腰越又は深沢を通って鎌倉へ入ったようです
昔は江の島からこの付近まで舟が出入りしたと言われ、鎌倉三代将軍の源実朝が舟を造らせた材木を切り出した所と伝えられています
こゝは大鋸と言う地名ですが、「大船(おおが)引き」と言う職人たちが住人で船大工や玉縄城の御用などしていたと言われています 社頭掲示板より
藤沢宿の東方の鎮守様・諏訪神社の近くに在ります。
地名は大鋸(だいぎり)で神社の由緒は今一分かりませんでした。
神社の掲示にあります様に、藤沢橋の袂から鎌倉方面への少し狭い道に面していました。
やや狭めの境内でした。
拝殿の右手には古い社や何故か二宮金次郎の像もありました。
懐かしい感じと少し違和感が。その昔はどこの小学校にも二宮金次郎像がありましたが・・・。
5月27日のぶらりレポでした。
続いて、6月23日のレポ。
藤沢駅南側、鎌倉市との境に在ります。
新林公園に歩きに行った際の立ち寄りでした。
そのレポは、こちらです。
・川名御霊神社(藤沢市川名656)
・ 祭 神 早良親王(さわらしんのう)
鎌倉権五郎景政
・ 由 来
川名村の鎮守で天慶8年(945)8月創立との事です。
(後日ご紹介します宮前御霊神社の分社と伝えられています)
早良親王は、村岡を領した村上五郎(平良文)の祖である桓武天皇の弟。
良文は、板東八平氏の祖とされ、その子孫に合祀されている鎌倉権五郎景政がいる。
川名の地は、鎌倉郡津村郷に属し、良文の領した村岡に近いことから、村岡氏の支配下にあったものと考えられるが、定かではない。平安時代後期には、鎌倉権五郎景政が開発した大庭御厨の一部として、大庭氏の支配下にあったと考えられている。
川名屋台囃子は、藤沢市の無形民俗文化財に指定されている。 社頭の御霊神社由来碑より
長めの石段を氏子の方が清掃をされていました。
階段の途中の狛犬さん、何ともとぼけた?顔を。
昭和16年(1941)9月生まれでした。
ムラサキクンシランが咲き誇っている境内の片隅に、文化13年と彫りのある鳥居の柱の一部も残されていました。
こんな感じのぶらり狛犬さん遍路でした。
ご近所さんシリーズも、まだまだ続きます。
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