越後の狛犬さん その15
越後の狛犬さん その15です。
5月6日夜に、柏崎市の風車のある道の駅・「風の丘米山」泊りです。
明けて7日、米山に登りました。
米山のレポは、こちらです。
こちらは、狛犬シリーズです。
5月7・8日の狛犬レポの一部分は、こちらです。
道の駅を出発し8号線を南下するとすぐに、「米山大橋」です。
赤い橋を渡るとすぐ左手の神社です。
・胞姫(よなひめ)神社(柏崎市上輪329)
・祭 神 息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
龍神(たかおかみのかみ)
・由緒・伝来
文治年間、義経一行は直江津から海路奥州へ下向の折、嵐に遭いやむなく当地へ上陸しました。この時、急に北の方(正室)が産気づき、嫡男亀若丸を出産しました。同行の弁慶は無事出産の礼に当地鎮守境内に亀若丸の胞衣を納め、併せて源氏の氏神である諏訪・八幡の両神を祀ったと云われています。付近には、産所跡の「亀割坂」や弁慶が金剛杖を突いて湧出させた「弁慶の産清水(うぶしみず)」などの地名・遺跡も残っています。
上でも少しだけ書きましたが、
この神社の言い伝えは義経の伝説です。
奥州平泉への逃避行の途中で、義経の乗った船は米山のこの地に漂着し、その際に義経の妾は若君を出産させたといいます。
そのためこの神社は安産祈願で高名になります。
50Mほど登ると祠(ほこら)があり、へその緒を奉納したと言われています。
ちなみにこちらでも、弁慶が井戸を掘ったといわれています。
由緒等は、こちらをご覧下さい。
ご利益は、我が家にはもう縁がないですかね。
(かなり大きくなります。クリックを!)
胞姫神社の狛犬さん、年令は不明でした。
狛犬写真集に多くの狛犬写真をアップします。
境内はあまり広くはありませんが、緑が多く落ち着いた雰囲気でした。
弘化3年(1846)の銘のある石灯籠もしっかりと残っていました。
この後、米山に向かいました。
米山から下山後、高柳に移動です。
周辺の山には、白いトチの花が沢山咲いていました。
県道25号・柿崎小国線に入るとすぐの「圓田神社」は既出ですので、野田の交差点付近からご紹介です。
・鵜川神社(柏崎市野田982)
・祭 神 美都波能賣命(みづはのめのみこと)
・由 緒
美都波能賣命を祭神とし、もと黒姫大神と稱したが、黒姫山冬期登拝困難のため、鵜川の邊現在地に遷祀した社といふ。天保十年(一八三九)及び文久元年(一八六一)の神祇管領吉田家裁許状には、「黒姫大明神神祠官小林山城正藤原吉孝」とある。
(式内社調査報告より引用)
翌8日登りました、刈羽黒姫山の中腹の「黒姫山鵜川神社」の里宮のようですね。その黒姫山鵜川神社のレポは、こちらです。
昭和13年(1938)8月生まれの狛犬さんです。
かなり細かな細工がされていました。
かなり広い境内には、多くの境内末社が。
もちろん、読めない胞姫神社も祀られていました。
野田の交差点を更に直進、252号線に入り高柳に向かいます。
・山室神社(柏崎市山室1292)
山室の集落の鎮守様のようで、狭い境内ですがとっても良く手入れがされていました。
こちらの神社には石段が在りませんでした。
昭和12年(1937)4月生まれの狛犬さんです。
胸を張って、ガッハッハ!と笑っているようでした。
と、こんな感じの252号線沿いの神社巡りが始まりました。
越後の狛犬さんシリーズも、まだまだ続きます!
※ 狛犬さん写真集は、こちらです。
・越後の狛犬さん その14は、こちらです。
・越後の狛犬さん その16は、こちらです。
では、また。
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