かなり遠目の狛犬さん その10
2011年12月5日、犬山成田山~犬山城~針綱神社~三光稲荷神社と巡りまして、更に南下して津島神社をお参り。そして、丹羽郡大口町の白山神社へ。
その続きで、犬山市・大口町編のその4となります。
その1、その2、その3。
その3の白山神社から南西方向へ1キロ足らずの移動でした。
道を挟んだ向かいには、小口城址公園が在りました。
こちらは、後ほどご紹介。
・小口神社 (丹羽郡大口町城屋敷11)
・祭 神
小口天神・少名毘古邦命(すくなびこなのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
品陀和気命(ほむだわけのみこと)
息長帶姫命 (おきながたらしひめのみこと)
建速須佐之男尊(たけはやすさのおのみこと)
・由 緒
小口天神少名毘古那命を祀る当社は延喜式神名帳に小口神社(おぐちのかみやしろ)と記され、尾張国内神名帳には従三位小口天神とある。これにより千有余年前に斎祀せられた町内最古の氏神と推測される。
大正五年五月に当字に鎮座されていた神明社及びその境内にあった 神明社 須賀社 八幡社 の御祭神 天照大御神 豊受姫大御神 建速須佐之男命 品陀和気命 息長帯姫命 を合祀する。
創立年代不詳。
中世所在不詳となり、織田広近が長禄三年(1459)に小口城を築城した際、城域に天神社という神社があった。広近はその天神社を延喜式神名帳に登載されている「丹羽郡小口神社」として再建した。
社頭案内書、歴史民族資料館の資料などより
参道入り口は、小口城址公園に向いていました。
鳥居を潜り参道を進み直ぐに右に折れると、正面に吹き抜けの拝殿が見えました。
こちらでは、吹き抜けの拝殿が普通なのでしょうか?
小さいですが蕃塀(ばんぺい)風のものが1対とその向こうにも何やら・・・。
先ずは、拝殿のご紹介。
拝殿の向こうにも、何やら・・・。
大きいのと本殿前に小さいのが。
拝殿と本殿の間の狛犬さんは、大正六年(1917)一月生まれ。
場所取りをトップの写真と最後まで争っていましたが、残念ながら銜えた牡丹に負けた。
良い味していますよね。
いつでも触らせて頂けるのは嬉しいですが、日光や風雨にあたる場所に置かれていると傷むのではないか?と心配。
境内を巡ってみますと、石塔が祀られていました。
一番左の山ノ神様には、文化十四年(1817)九月の彫も見えました。他の石塔にも彫られて居たかは、未確認です。
そして、平成の大造営(平成十九年竣工)の際に葺き替えられたのでしょうか?飾り瓦が境内の片隅に。
そして、もう一つ。
拝殿の右手に、大口町指定の天然記念物、山柿が色付いた実をたわわに。
これにて、小口神社のレポはおしまい。
続いて、お隣の小口城址公園へ。
実際には、カル2が小口神社を探索中に、カルディナがチョイと見て来てくれました。
・小口城址公園
小口城は、大久地城、箭筈(やはず)城と呼ばれることもある。長禄三年(1459)、織田広近(ひろちか)によって築かれた。広近はその後、犬山、木ノ下城に7年間移る。大久地城は、織田信長、生駒氏らの攻撃を受け、長禄七年(1564)に落城した。
展示棟や物見櫓等を設置し、公園として整備。
展示棟には、小口城の歴史的変遷についての説明や展示、出土品の実物展示などがある。
との事です。
詳しくは、大口町のHP、小口城址公園をご覧下さい。
秋たけなわ、紅葉が綺麗に。
高さ17mの物見櫓からは、四方八方が良く見渡せ、これならば敵の軍勢も見つけられるだろう。との感想だった様な。
内部には、犬山城、岐阜城、清洲城などがどの方向にあるのかを表示し、当時の眺望を思い描く事が出来るそうです。
これにて、犬山市・大口町編のその4は、おしまい。
次回は、大口町下小口の白山神社です。
愛知県編は、もう少し続きます。
取材した多くの狛犬写真があります、
カル2の狛犬さん写真集は、こちらです。
ご覧いただけると嬉しいです。
・かなり遠目の狛犬さん その9は、こちらです。
(↑犬山市編その3です)
・かなり遠目の狛犬さん その11は、こちらです。
(↑犬山市・大口町編その5です)
シリーズは、まだまだ続きます。
では、また。
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